1-2. 落ちこぼれの朝
まだ霜が残る寮の中庭で、僕――リオ・アーデンは木剣を握ったまま固まっていた。朝練の号令が鳴っても肩の力は抜けず、指先は冷たさと緊張で痺れている。手のひらに汗が滲み、木剣の柄が滑りそうになる。息を吸い込むたびに、冷たい空気が肺を刺し、胸が締め付けられる。
対面に立つガルド・ストームは貴族らしい金髪を無造作に束ね、雷属性の魔刀を肩に担いでいた。その魔刀は全長一メートルを超え、刀身に青白い稲妻が走っている。彼が剣を振るうたびに稲妻の尾が芝を焼き、焦げた草の匂いが鼻を突く。周囲の生徒たちがどよめき、その声が僕の耳に突き刺さる。
「また外したぞ、落ちこぼれ」
背後から笑う声が降り注ぎ、僕は否定も出来ずに黙礼した。首を下げる動作が、肩を押しつぶす。
リナ・フォルテは同じ学年で最年少首席候補だ。整えられた栗色の髪と鋭い眼差しで、教師陣の難解な質問にも論理的に答える。彼女はいつも
「努力すれば誰だって変われる」
と言うが、僕の足は地面に吸い付くように重く、一歩踏み出すたびに膝が震える。訓練を終えて教室へ向かう廊下は、石造りの壁が高く、天井から吊り下げられた魔導灯が青白い光を放っている。その光が、僕の影を長く引き伸ばし、まるで自分が小さく見える。
リナは僕の木剣を見て眉を寄せた。
「握りが緩んでる」
彼女は一歩近づき、手の甲を軽く叩いた。
「力を乗せて」
短い言葉に優しさが滲んでいるのに、僕は
「ありがとう」
と囁くのが精一杯だった。声が小さく、喉の奥で言葉がもつれる。
午前の座学は戦術史。教室の天井は高く、三メートル以上ある。その高さが、僕を小さく見せた。マスター・クロウは銀灰の髪を後ろで束ね、厳格な横顔を崩さないまま黒板に古戦場の陣形を描いていく。チョークが黒板を擦る音が、静かな教室に響く。
「魔刀は速さだけが武器ではない。判断を誤れば、どれほど輝かしい刃でも無力だ」
クロウはそう言いながら、僕の席の前で一瞬足を止めた。彼の視線は叱責でも失望でもなく、何か確かめるように柔らかい。その視線を感じた瞬間、胸の中心が軽く動いた。
「リオ、前回のレポートを添削しておいた」
机の上に置かれた紙には、丁寧な赤字で
「状況描写は良い。あとは自分の役割を決めろ」
と書いてあった。劣等生の自分に時間を割いてくれる人がいる──その事実が、胸の奥で温かいものが広がり、その温かさが全身に染み渡る。手のひらが少し震え、紙を握りしめると、指先に力が戻ってくる。
昼休みになると、僕は図書塔の片隅へ逃げ込む。図書塔は五階建てで、螺旋階段が中央にそびえている。その階段を上り、三階の奥にある書架の陰に、いつも羊皮紙を抱えたシルヴァ・ウィスパーがいる。彼女の周りには古い本が積み重なり、羊皮紙の匂いが漂っている。
細い指で古い文字をなぞりながら、彼女は
「詠唱無しでも発動する魔法があったみたい」
と目を輝かせた。その瞳は、暗闇を切り裂く。魔刀を扱えない彼女は学院内で異端視されているが、知識の深さでは誰にも負けない。
「リオは何か感じたことない?」
と問われ、僕は曖昧に笑う。感じるどころか、魔法の発動感覚すら掴めていない。それでもシルヴァは
「君は観察眼がある」
と真っ直ぐな声で肯定してくれる。その声が、肩を軽く叩く。
「剣の動きより、周囲の空気を読むのが上手い」
世界中で彼女だけが僕を落ちこぼれと呼ばない。その事実が、凍えるような孤独を少しだけ溶かしてくれる。
夕刻、寮へ戻る階段で父ケインからの手紙を受け取った。階段は石造りで、一歩踏み出すたびに足音が響く。その響きが、耳の奥に突き刺さる。
封を切ると、不器用な筆跡で
「無理をするな、でも自分を信じろ」
とだけ綴られている。父は前線勤務でほとんど家に戻らない。息子の成績表を見て落胆しているはずなのに、手紙からは焦りよりも温かさが伝わった。小さな紙片を握りしめると、紙の質感が指先に伝わり、幼い日の記憶が蘇る。
母アリアが膝に座らせてくれて、
「この力を使ってはだめ」
と言った時の真剣な眼差し。その眼差しが、今も僕を見つめている。何の力かも知らないまま、僕はその言葉だけを心に刺したまま生きている。息をするたびに、その言葉が胸を締め付ける。
夜になると、窓の外では風が塔の角を叩き、寮全体がきしむ。その音が、骨が軋むように聞こえる。ベッドに横たわっても眠気は訪れず、天井の木目をなぞりながら
「せめて誰かの役に立てるなら」
と呟いた。声が小さく、自分の耳にしか届かない。
学院では、才能ある者ほど早く戦場へ送られ、名誉を手にする。僕にはどの列にも属せない居場所の無さが、肩を押しつぶすほど重くのしかかる。肩が凝り、背中が痛む。息を吸い込むたびに、重さが胸を押しつぶす。
だが、クロウが書いてくれた
「自分の役割を決めろ」
という言葉が、薄明かりの中で静かに輝いていた。窓から差し込む月の光が、その文字を浮かび上がらせる。役割が決まれば、遅れている身体にも意味が宿るのだろうか。眠れぬ夜を抱えたまま、次の朝も木剣を握る自分を想像する。手のひらに、まだ木剣の柄の感触が残っている。落ちこぼれの日々は続くが、その継続こそが、いつか誰かを救う一歩になると信じたかった。
その時、僕はまだ知らなかった。明日の実戦演習で、自分の中に眠る何かが目覚めることを。
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