第3話

 季節は移ろい六月。寝苦しかった。どうやっても眠る事ができない。


 仕方無しに窓を開けると、むあっとした湿気と生暖かい風が部屋に入ってくる。あたかも侵入者のようにやって来て、この部屋を占拠する。窓を締め、やはり寝ることにした。だが、それでも目が冴えている。


「サヤ、会いたいよ」


 夜の闇が、湿気が、私を心細くさせた。けれども、四月に出会ってから、何も進展がない。ただ、例の歌舞伎町のゲーセンで時々会うだけ。せめて、トークアプリの連絡先でも知っていたら、話は違ったのだろう。こんな夜なら、会話も弾むはず。トークアプリの連絡先、電話番号、フルネームすらも私は知らされていないのだ。


 彼女のことばかり考えているうちに、うとうとと微睡んでいった。




 中学生になった夏休み。親戚の美咲おねぇちゃんが、家に泊まりに来た。女子大生で、美人なおねぇちゃん。私の自慢の姉みたいな存在であった。


「ねぇ、摩耶。レトロゲームって知ってる? 私ね、大学のレトロゲーム研究会に入っているんだ―」

「でも、レトロゲームなんてつまらなそう」

「そんなことないって。摩耶はマリオくらいしたことあるでしょ?」

「それならあるよ」

「ふふ、そうだよね。実はアレもね、元はレトロゲームだったの」

「へー、そうなんだー」

「だからね、摩耶。私のコレ持参してきたの」


 美咲おねぇちゃんは、鼻高々でオレンジ色のゲーム筐体を見せる。


「スイッチ? 私のもあるけど?」

「ノンノン。入っているソフトが違うでしょ? 私のは、レトロゲーのソフトが一杯ダウンロードしてあるの。やってみる?」


 私は迷った。正直、やるなら今のゲームの方が良い。美咲おねぇちゃんと桃鉄やりたい。けど、拒否したら⋯⋯おねぇちゃんはきっと失望することになる。おねぇちゃんの落ち込んだ顔なんか見たくなかった。


 おねぇちゃんお勧めのソフトをやることにした。初めは、なんてつまらないのだろうと感じていたが、そのうち夢中になった。そうして盛り上がっていると、突然私の部屋のドアが開いた。そこから、パパが顔を出す。


「あ、パパ。お帰りなさーい」

「ああ、ただいま、摩耶」


 パパは笑顔のまま、視線をおねぇちゃんに向ける。


「おや、美咲ちゃんじゃないか。いらっしゃい」

「おじさま、お久しぶりです」

「君も田舎から東京の大学に出てきたんだ。もっと頻繁に遊びに来なさい」

「いえ、でも⋯⋯まだ大学生活にも慣れていませんし、バイトも多くて」

「まぁ、無理には誘わんがね。それでも、我が家に来れば、一食は浮くんだ。私のことなど気にせずに、遠慮なくいらっしゃい」

「そうですね⋯⋯そのようにしたいですね」


 美咲おねぇちゃんは、はにかんだ。

 夕飯を食べてから、夜遅くまでおねぇちゃんと一緒にレトロゲームをやり込んだ。


 我が家は狭いので、おねぇちゃんと一緒の部屋で寝ることになった。なんか、あの優しくて、綺麗な彼女が横で寝ていると思うと、胸がドキドキした。彼女の寝息が聞こてくる。


 自分でも分からない、ほの暗い何かを胸に抱えていた。まだ中一だった私は、それが密かな欲情であると知る術もなかった。そんな邪な心を知って天が怒ったのか、夏の豪雨が我が家を襲った。雷の閃光。数秒遅れて轟音。心胆寒からしめた。


「きゃあ!」


 雷鳴と共に、布団から飛び起き、隣で寝ている彼女にしがみつくように抱きついた。


「なに、雷が怖いの?」


 おねぇちゃんの問いに、大きく頷く。


「ふふ、じゃあ布団の中においで。一緒に眠ると怖くないから」


 彼女のパジャマが乱れていた。大きな胸がはち切れそうだった。手を差し出す彼女は、まるで大輪の胡蝶蘭のようであった。なによりも妖しく、艶やかに見えた。彼女に抱かれて眠ると、嘘のように熟眠出来た。大きな胸に抱かれていると、とても安心できた。


 おねぇちゃんは二日ほど泊まり、自分のアパートへ帰っていった。


 夏休みも終わりに近づき、私はまたおねぇちゃんに会いたくなった。そこで電話をかけようとしたけど、そうするのを止めた。住所は分かっている。いきなり訪問して、彼女を驚かせてやるのだ。そして、上手くなったゲームの腕も見せつけてやるんだ。


 洋菓子店でケーキを買い求めた。おねぇちゃんの家に近づくつれ、足取りが軽くなっていく。もうすぐおねぇちゃんに会える。私の胸は高鳴っていた。


 おねぇちゃんの住んでいるアパートは築年数の経ったボロであった。トントンと階段を上がり、部屋をノックしようとする。


「ああ、ああああ」


 え、なに今の声。おねぇちゃんが苦しがって、声を上げているの? なにか重い病気にかかって苦しんでいるのかな。


 そう思い、玄関を叩こうとしたが、直前でその手を止めた。これは病気とかで苦しんでいる声なんかじゃない。所謂、男女の営みの声なんだ。


「そうだよね……おねぇちゃんは美人さんだし、女子大生で大人だし、恋人くらいいたっておかしくないよね……」


 しょんぼりと肩を落とし、家路につこうとした。だが、そこで邪な考えが頭をもたげてくる。こうなったら、おねぇちゃんの彼氏を見てみたい。私のおねぇちゃんを奪った奴の顔を。


 そこに情念めいたものあったのかもしれない。私は階段を降り、その裏に隠れた。ここから男の人が下ってきたら、その人がおねぇちゃんの彼氏さんなんだ。こうなったら、意地でもその顔を拝んでやるんだから。


 たっぷりと3時間は待っただろうか。虚ろで無為な時間を過ごしていたが、階段まで声が聞こえてきた。


「また、また来てくれますよね?」


 この優し気な天女のような声音は、美咲おねぇちゃん。


「ああ、出来る限りそうするよ」


 男の声に聞き覚えがあった。え? え? まさか。


 それから間もなくして、鉄階段を下りる音がする。心臓は早鐘を打っていた。階段を下り切り、靴音が遠ざかる。そこで私は、アパートの門の陰から男性の後ろ姿を目にした。


 その後ろ姿は、パパだった。朝、パパが出かけた時に着ていたのと一緒のライトブルーの半袖シャツだった。




「うああああああああ」


 私は飛び起きた。体が寝汗で、ぐちょぐちょである。ああ、気持ち悪い、気持ち悪い。ベタベタ、ベタベタする。急いで浴室へと駆け込んだ。洗濯物入れに、オヤジの黒い靴下があるのが目に入る。私はトイレに駆け込み、そのまま嘔吐した。


 美咲おねぇちゃんとは、あの夏の日以来会えていない。風の噂によると、田舎に引き返してしまったとも聞くが、定かではなかった。

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短編:百合文芸 ナイトレイン @tikupen

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