とある者の仇討ち

井関和美

とある者の仇討ち



 目の前で最愛の母が撃ち殺されたのは、私がまだずいぶんと幼い頃の事だった。


 母は、とても優しい人だった。私を生んでからというもの、ずっと苦労をし続けていた。その日の食べ物にも困る時期だってあったというのに、「お母さんはおなかが空いてないから、お前がしっかりお食べ」と、その少ない食べ物を私に全部食べさせてくれた。


 私の背中には、生まれつき白くて大きなブチがあった。そのせいでやたら不格好な姿に見えていたし、変に悪目立ちもしていたから、周囲に暮らしている他の人達にはよく笑われた。


「やあやあ、今日もブチ公がのんきに歩いてるぞ」

「あいつと一緒にいると、こっちまでとばっちりが来そうだ。離れろ離れろ」


 時にはとても迷惑そうに言ってくるものだから、私には友達の一人もいなかった。それがあまりにも悲しくて落ち込む私を、母はいつも励ましてくれた。


「何も心配しなくていいのよ。どんな姿だろうと、あなたは私のかわいい大事な子供なのだから」


 慈愛に満ち溢れた母の温かい言葉に、幼かった私はどれほど救われていた事か。母さえいれば、他に何もいらない。おなかが空く日も多いけれど、母と二人で静かに平穏に日々を過ごす事ができれば、それだけで私はとても幸せだった。


 そんな母との幸せな日々が奪われたのは、本当に突然だった。あの日、私達はいつものように魚を獲りに行こうと、人里に近い川岸まで着くや否や、ある一人の男と鉢合わせになった。


 初めて見る男だった。ツンツンと逆立った短髪の下から覗く両目はギラギラとこちらを鋭くにらんでおり、色黒の肌と一文字に引き結ばれた口元がやたらと気味悪い。そして、それ以上にぞわりと全身が粟立つような恐ろしい空気を放っていた。


「……こんな所にまで出てきやがって、もう逃がさねえぞ」


 男はひと言だけそう言うと、肩に提げていた何やら細長い筒のような物を私達の方に向けてきた。それを見た瞬間、母は勢いよく私の方を振り返って「逃げなさい!」と大声を出した。


「逃げなさい、早く! あの男の目の届かない遠くまで!」

「お、お母さん……?」

「早く、あの男は危険なの‼ お願いだから逃げて‼」


 まるで、あの男の事を知っているかのような口ぶりだったが、私は逆にあのように慌てふためき、大きな声を出す母を初めて見た事による動揺で全く体を動かす事ができなかった。やっと後ずさりできたのは、私の耳につんざくような二つの音が聞こえてから少し経っての事だった。


 ズキューンッ、ズキューンッ……!


 川岸一帯に響き渡った二つの音。その次に私の目に映ったのは、苦しそうに短く呻きながらどさりと倒れ込む母の姿だった。


「え……」


 急に倒れて動かなくなった母に、私は顔を近付けた。ついさっきまで私に優しい眼差しを向けてくれていた瞳に光はなく、必死に逃げなさいと叫んでいた口の端からはだらりと舌が垂れ下がっている。よく見てみれば、眠る時はいつも私を引き寄せて温めてくれていた母の胸元には大きな穴が二つもあって、そこからどくどくと血が溢れ出していた。


「お、母さん……?」


 もう返事すらしてくれなくなった母を、私は信じられない思いで見つめる。そんな私の元に、あの男がゆっくりとした足取りで近付いてきていた。母を殺したあの道具を手にしたままで。


「子供か……」


 男は私をじろりと見下ろしながら言った。


「おい、ブチ公。お前はまだ子供だから見逃してやる。だが、もう二度と俺の目の前に現れてくれるなよ。もし、次に出てきたら……分かってるな?」


 ブチ公。周りにもそう呼ばれてきた嫌な呼び方をされて、私は男をにらみ返す。だが、それ以上何もできなかった。しばらく震えた後、母を置き去りにしてその場から逃げ出すしかなかった。







 あの男の目の届かない遠くまで。


 母の言う通り、そう感じる所まで走り切った後、私はへたりとその場に座り込んでしまった。


 母の為に、何もできなかった。優しかった母をいとも簡単に、そして容赦も躊躇もなくあっさりと殺せる道具を持つ男に、小さな子供の私に何ができたのかと言われたらそれまでだったが、でもやはり悲しくて悔しかった。そして、私の唯一の存在であった母を殺したあの男を、心の底から憎んだ。


 私は目の前にあった木の幹に、何度も何度も全身をぶつけた。悲しみも悔しさも憎しみも全部込めて。そして、いつの日か必ず、母の仇であるあの男を殺してやると誓った。







 それから何年もの間、私は一人きりで暮らした。


 幸いにも、母からいくつもの生きるすべを教わっていたので、特に大きな怪我や病気をする事もなく、順調に私の体は大きく成長していった。


 その成長に合わせて、体を鍛える事も忘れなかった。いつの日かまたあの男と相まみえた時、確実に倒せるように。命乞いをする間もなく殺されてしまった母と同じように、一瞬で殺してしまえるようにと懸命に努力を重ねた。


 それというのも、あの男が持っていた武器。周囲で暮らしていた人達からの話によると、あれは猟銃という名前であり、引き金と呼ばれる部分を引くと目にも見えない速さで鉄の球が撃ち出され、急所に当たればほぼ助からない。よくて、ひどい大怪我を負ってしまうものだという。


 その話を聞いた時は、ほんの一瞬だけ血の気が引いたが、すぐさま気を持ち直して皆に訴えかけた。


 どんなに恐ろしい武器を持っていようが、しょせん男はたった一人だ。私達皆で一斉に襲いかかれば、必ず殺す事ができる。皆だってあの男には家族の誰かしらを殺されたと聞いた。私と一緒に仇討ちをしようと。


 だが、周囲の誰も私の話には頷いてくれなかった。


「ちょっと大きくなったからって無謀な事を言うもんじゃないよ、ブチ公」

「あの男には誰も敵わない。同じような事を言って息巻いていた奴らもいたが、誰一人帰ってこなかったよ」

「お前の母さんは運が悪かったのさ。お前だけでも助かってよかったじゃないか」

「もうあきらめて、のんびりと静かに暮らしな。それが利口ってもんだよ」


 誰も彼もがあの男への復讐をあきらめ、自分の事だけしか考えていなかった。その事に心底幻滅した私は、もう誰とも関わらない事を決めた。たとえ一人きりでも、あの男を殺す。母の仇を討ってみせる。







 それから先に、何年もの時が流れた。


 私の体は、またさらに大きくなった。一人で生き抜いてきた賜物なのか、だいぶ知恵というものもついてきたし、鍛え抜いてきた四肢や胴回りは子供の頃とは比べものにならないほどがっちりとたくましくなった。背中の白くて大きなブチが消える事はなかったが、もう周囲の誰も私を「ブチ公」と呼んでバカにする事はなくなった。


 この頃になると、私は一人で暮らしてきたねぐらから出てきては、年がら年中、よく歩き回るようになった。


 母と二人で暮らしていた頃のように、食事が乏しくなってきたせいもあったが、それ以上の理由があった。あの男を捜す為だ。


 今なら、今なら確実にあの男を仕留める事ができるだろう。このたくましく分厚くなった体なら、あの猟銃とかいう武器から撃ち出される鉄の球にだって耐えられる。大した傷を負う事なく、あの男の体を組み敷く事ができるはずだ。


 そうなれば、もう後はこっちのものだ。母にしてくれたのと同じように、一瞬でその命を奪い取ってやる。どんなに助けてくれ、見逃してくれと泣き叫ばれても、絶対に許してやるものか。その命をもって、母を殺した罪を償わせてやる。


 私は一日も忘れた事のなかったあの男が恐怖に引きつる表情を見せる様を思い浮かべながら、あたりを徘徊し続ける日々を送った。







 そうしていた、ある日の事だ。あの人里に近い川岸で、ついに私はあの男と相まみえた。


 ツンツンと逆立っていた短髪は何故か真っ白になっており、色黒だった肌の艶もなくなって幾重ものシワが刻まれている。だが、ギラギラとこちらを鋭くにらみつける両目や引き結ばれた口元、そして、ぞわりと全身が粟立つような恐ろしい空気を放つ様は、あの日と全く同じまま、少しも変わっていなかった。


 私は全身を低く身構え、男を威嚇するべく唸り声をあげる。その際、私の背中の白いブチが見えたのだろう。男は「お前は……」と大きく息を飲んだ。


「そうか。お前、あの時のブチ公なんだな……」


 男は嫌な呼び方をしながら、手に持っていた猟銃をこちらに向けた。


「あの時、言ったはずだろう。二度と俺の目の前に現れてくれるなと。だが、こうして出てきちまった以上は、もう……」


 どこか悲しそうに言ってくる男だったが、私にはそんな言葉などどうでもよかったし、むしろ聞く耳すら持ちたくなかった。お前は母の仇。どんな理由があろうとも、私の唯一の心の安らぎだった優しい母を殺した、心底憎い仇だ。


 そんな猟銃なんて、怖くない。男が瞬き一つした瞬間に距離を詰めて、一気にその命を奪ってやる。そして、お前の首を空に掲げて「お母さん、見て。仇を討ったよ!」と声高々に言ってあげるんだ。


 さあ、覚悟しろ! 殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる‼


 私はこの日この瞬間の為に鍛え抜いた全身の力を最大限に発揮して、あの男の元へと駆け出した。


 何秒と経たないうちに、視界の真ん中にあの男の顔を捉えた。あと一秒だ。あと、たった一秒であの男の命を刈り取れる。それを確信して大きく吠えた、その瞬間だった。


 ズキューンッ、ズキューンッ……!


 私の眉間に、二つの大きな衝撃が迸ったのは。







 気が付くと、いつの間にか私の大きな体は地に倒れ込んでいたし、視界もかなり霞がかっていた。それでも私の耳はとても鮮明に、すぐ近くにいた何人かの声を拾い上げていた。



「……やっぱり、あんたの腕は一流だ。年を取っても全然衰えてないじゃないか、これで引退しちまうなんて惜しいよ」

「それにしても、こんな大物は久し振りだな。よくもまあ、俺らの畑や店を荒らしてくれたもんだよ」

「このブチ野郎。散々いい気になってた報いだ、ざまあみやがれ」


 誰かの足が、ごつんと私の鼻先を強く蹴り上げる。いつもだったらつらくて大きく仰け反るところなのだろうが、もう私はそんな痛みを感じる事すらできなくなってきていた。


「おい、やめねえか。こいつの命を蔑ろに扱うんじゃねえ」


 そこへ、あの男の声が聞こえてきた。それと同時に、二つの穴が空いているであろう私の眉間にふわりと触れる何かの感触があった。


「すまねえな、ブチ公」


 男の声が聞こえた。


「本当に悪いのは俺達の方だ。それを否定するつもりもねえ。でも、だからといって、お前らが暴れるのを見て見ぬ振りもできねえ。俺達にだって家族がある、生きていかなきゃならねえ場所があるんだ」


 何を言ってるんだろう、この男は。全く、訳が分からない。謝るくらいなら、私の母を返してほしい。私をこんな目に遭わせるくらいなら、どうしてお前が死んでくれないんだ。何故私が、こんなふうに死んでいかなくちゃならないんだ……!


「本当にすまねえ、ブチ公。俺の最後の狩りが、お前だった事だけがせめてもの……」


 謝るな、謝るな、謝るな。


 いくら謝られようと、私の悲しみも悔しさも憎しみも決して晴れる事はない。母の仇を取れなかった。これ以上の未練があるものか。


 ああ、悲しい。母の為に何もできなかった事が。


 ああ、悔しい。こんなふうに死んでいく事が。


 ああ、憎い。憎くてたまらない。


 あの男が、お前達が憎くてたまらない。


 お前達、人間さえ、いなければ……。


                                (完)

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