符号

「ラストオーダーのお時間ですが」

 店員にそう言われて、スマホで時間を確認する。

 23時を少し過ぎていた。


 眞島さんも俺もビール3杯飲んだが、俺はほろ酔いで眞島さんは少しふらついていた。

 お酒に弱いのかもしれない。

「では、そろそろ帰りますか」

 そう言って、会計は眞島さんが全部払ってくれた。

 店を出て改めて礼を述べるが、眞島さんは思いの外かなり酔っているようで、一人で帰すのは躊躇われた。

「あの、大丈夫ですか?」

 体を支えながら問うと、「大丈夫です」と小さな声が返って来た。

 いや、絶対大丈夫じゃない。

 俺はそう確信し、タクシーを呼ぼうと思ったが、一旦うちに連れて行くことにした。

 一人で部屋にいたくなかったからだ。

 酔っているのを理由に俺は眞島さんをあの部屋へ引き入れた。


「すみません、細田様。いつもはこんなに酔ったりしないんですが……」

 眞島さんはそう何度も同じ台詞で謝った。

 玄関のドアを開けると、暗く冷たい空気が揺れた気がした。

 急いで電気を点ける。

 出て行った時のまま、何も変わっていない。

 何もいない。

 なのに酔いが一気に醒める気がした。


 とりあえず、ソファがないので眞島さんをベッドに座らせ、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、グラスに注いで渡す。

「すみません」と謝りながら、眞島さんは一気にグラスの半分を飲み干した。

「ここが……例のお部屋、ですか」

 眞島さんは酔いのせいか、とろんとした目で室内を見回した。

 その視線がエアコンで止まる。

「暑いですか? エアコン、入れましょうか?」

 問うと、「あ、いえ」と言ってグラスに残った水を飲み干した。

「お代わりは……?」

「あ、大丈夫です。少し落ち着きました。ありがとうございます」

 眞島さんからグラスを受け取り、とりあえず流しに置く。

 振り返ると、眞島さんは少し肌寒そうに両手で腕を擦っていた。


「あの、終電、もう無いんで……その、泊まって行きますか?」

 俺の提案に眞島さんは少し逡巡しつつも「そう、ですね。申し訳ないですが、お言葉に甘えさせて頂きます」と言った。

 タクシーで帰ると言われなくて安堵する。

「明日もお仕事ですか?」

「いえ、明日はお休みを頂いてて。そのせいか、気が緩んでしまったようで……飲み過ぎました。良い大人がこんな失態を、しかもお客様の前で……お恥ずかしいです」

「お酒、弱いんですね」

「いえ、いつもはこのくらいじゃ……一応営業もしてるので、お酒の席にはある程度鍛えられているんですけどね。若い方と飲むのは久し振りで」

 眞島さんはそう言って苦笑いを浮かべた。


 多分、眞島さんは40代だと思うのだが、そんな大人がこんな酔い方をするようには見えなかった。

 いや、大人だからじゃなくて、昼間のきちんとした眞島さんから今の姿は想像し難かった。

 一度電話で話してはいるが、昼間会ったのが初対面だ。

 だから、俺は眞島さんがどんな人物か知らない。

 でも、なんとなく今の眞島さんはいつもの眞島さんではない気がした。


「細田様。実は……気づいたことが1つあるんです」

 眞島さんの表情は暗い。

「ここ、209号室ですよね? 最初の入居者が亡くなった日は9月2日で、その前の中学生が亡くなった日も9月2日で……」

 眞島さんが何を言おうとしているのか、なんとなく察した。

 でも、俺は黙っていた。

「飛び降りたのは9階からで、その方が働いていたのは同じビルの2階で……実家で亡くなった人もいたって言ったじゃないですか? 実家はマンションで902号室だったんですよ」

 そこで眞島さんは少し沈黙した。

 そして。

「私の今住んでる部屋は902号室なんです」

 そう言った眞島さんの声は少し震えていた。


「不思議なくらい2と9しか出て来ないんですよ。幽霊とか信じてないし、ホラー映画も平気なんですけどね、流石にこれだけ揃うと……家に帰りたくなくなって。大家さんに会いに行ったのも、細田様のためもありますけど、それに気づいてしまったのが……正直な理由です」

 眞島さんも俺と同じく家に帰りたくなかったのだ。

「私、昨年離婚して今一人で住んでるんですよ。だから余計に……帰りたくなくて」

 そこに昼間のデキる大人の男の姿はどこにもなかった。

 項垂れる疲れたオジサンがそこに座っていた。


「さっきの焼鳥屋でも言いましたが、引越しを検討した方が良いと思います。資金がネックなら、敷金・礼金とか交渉次第でいろいろ削れる部分はありますし、不動産屋としてお力になれることはあります。本当はダメなんですけど、非常事態ですから」

 眞島さんの口から『非常事態』という言葉が出て、俺は急に現実に無理矢理目を向けさせられたような気がした。

 お金がないことを理由にあれは夢だ、気のせいだと目を背けていた。

「9月までに決めておいた方が良いです。2と9を避けていれば……多分、大丈夫なので。ここに住んだ方が全員亡くなってる訳ではないですし……」

 眞島さんはそう言って俯いた。

「確かに、今まで亡くなったのは6人のうち2人でしたよね。そういえば、実家で亡くなったっていう方はいつ亡くなったんですか?」

 少し希望が見えた気がした。

 が、俺の問い掛けに眞島さんからの返答はなかった。

「眞島さん?」

 近づくと寝息が聞こえた。

 座ったまま眠ってしまったようだ。

 俺は眞島さんをベッドに横にさせ、布団を掛けた。


 俺も寝るか、とクローゼットを開ける。

 確か奥にブランケットがあったはず。

 暑い時期で良かった。

 冬だったら布団がない。

 しかし、なかなかブランケットが見つからず、スマホを出してライトを照らす。

 ふと、クローゼットの左の壁に何か文字を見つけた。

 前の住人が書いたのか?


「7……?」

 数字が見えた。

 ライトを近づける。


「7つの……お祝い、に?」

 カッターか何か鋭い物で壁に傷をつけるように書かれていた。

 どこかで聞いたことのあるフレーズだ。

 何だっけ?


『7つのお祝いに』


 歌、のような気がする。

 何の歌だった?

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2026年1月14日 20:00
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209号室 ― 告知事項なし 紬 蒼 @notitle_sou

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