過去の住人たち(後編)

 スマホを見ると、14時になっていた。

 昼飯を食べていないが、お腹は空いていなかった。


 まだ6月だと言うのに、この時間帯は夏のような暑さだ。

 それなのに朝から図書館、不動産屋と空調の利いた場所にいたせいか、体は冷え切っていた。


 これからどうしよう?


 俺は不動産屋からアパートの方角へと向かっていた。

 その足取りは重く、道行く人がどんどん俺を追い抜いて行く。

 ついには立ち止まって、周囲を見回した。


 行く当てがない。


 友達がいない訳ではない。

 でも、部屋に幽霊が出るからしばらく泊めてくれ、とは頼み難い。

『しばらく』と言っても、俺の場合、2、3日とか1週間とかじゃない。

『引越し資金が貯まるまで』になってしまう。

 今回の引越しに40万かかった。

 家具家電の購入費は除いて、だ。

 敷金と礼金不要の物件を見つけたとしても、あまり金額は変わらない。

 40万の内訳に引越し代は含まれていない。

 初めての一人暮らしだったので、家具家電などは購入店から送料無料で直接アパートの部屋に送ってもらったからだ。

 服と日用雑貨などをスーツケースなどに詰め込んで、自分で運び込んだので、引越し業者は頼んでいない。

 でも、次は業者を頼まないとまだ新品同然の家具家電を運び出せない。

 まだ入社2年目の俺にとって、40万は大金だ。

 実家にいたから貯まった金額であって、一人暮らし中の身では少し給料が上がってもすぐに貯められる金額ではない。


 あの部屋に帰るしかないのか。


 そう思って再び歩き出したが、アパートの近くの駅まで戻ったところで、俺はアパートではなく、駅に吸い込まれるように入った。

 そして、電車に乗り、数駅先のショッピングモールへ向かった。


 ここなら涼めるし長時間滞在していても怪しまれない。

 そう思った。

 店を見て回り、フードコートで夕食を摂り、そのままその場に居座る。

 営業時間を確認すると、意外にも食料品売り場は23時まで開いている。

 その他のフロアも21時から22時まで営業している。

 流石に食料品売り場をずっと歩き回るのは不自然すぎるので、ここにいられるのは21時が限界か。

 現在の時間はまだ19時。

 こういう時はなかなか時間が経たない。

 だが、既にここに座って1時間経っている。

 さらに2時間ここに座り続けるのか。

 周囲を見渡すと、ちょうど夕食時なのでそこそこ混んでいる。

 一人客もいるが、土曜日というのもあって家族連れが大半だ。

 なんとなく居づらくなって、その場を離れたが、店内を歩き回るのも疲れた。

 通路に点在する休憩用の椅子に目をやるも埋まっていた。


 やはり帰るしか……ないのか。


 俺は再び電車に揺られ、アパートの前まで戻って来た。

 すると、背後から「細田様?」と声を掛けられた。

 振り返ると、眞島さんが立っていた。


「昼間お会いした不動産屋の眞島です」

 眞島さんは丁寧に名乗り、鞄から名刺を取り出して差し出した。

「昼間、お渡しするのを失念しておりまして、失礼しました」

「あ、いえ。名刺のためにわざわざ……?」

「いえいえ。この近くの物件に用事があったんですが、近くを通ったのでちょっと寄ってみたんです。そうしたらお姿が見えたもので」

「こんな時間までお仕事ですか?」

「土日しかお時間取れない方も多いですから」

「大変ですね」

「いえ。それはそうと、細田様。こんな時間ですが今、お時間よろしいでしょうか」

「大丈夫ですが……眞島さんは帰宅されるところだったんじゃ……?」

「実は先程までこちらのアパートの大家さんに会ってました。分かったことをお伝えしようと思いまして」

 眞島さんは少し興奮しているように見えた。


「じゃ、すぐそこの焼鳥屋へ行きますか?」

 俺の部屋であの部屋の話をするのはなんとなく躊躇われたので、焼鳥屋へ誘う。

「いいですね。私、夕食まだだったんですよ。細田様も?」

「あ、いや」

「じゃ、カフェとかにしますか?」

「いえ。酒飲みたい気分なんで。それに……正直言うと一人であの部屋にいたくなくて」

「私は見たことないので幽霊は信じていませんが、それでもあのお部屋については……何かあると思います」

 眞島さんにそう共感してもらえて、俺は少しだけ安心した。


 小さな店のカウンターに並んで座る。

 注文するとすぐにビールが出て来て、とりあえず乾杯した。

 一口飲んでから、眞島さんは鞄からクリアファイルを取り出し、それを見ながら説明を始めた。

 眞島さんが大家さんから聞いたのは、あのアパートが建つ前の話だった。


 あの場所には木造の古い3階建てアパートがあり、各階10部屋ずつあった。

 その209号室には両親と中学生の娘が1人の3人家族が住んでいたのだが、その娘が自宅で首吊り自殺をして亡くなっているという。

 事故物件にはなったが、取り壊されるまで両親はそこに住み続けていたので、その後誰かが入ることはなかった。

 アパートを取り壊したのは4年前で、割とすぐに今のアパートの建築が始まった。

 3年前に完成して209号室の最初の入居者が自殺した。

 亡くなった場所は職場のビルだったが、同じ209号室の住人という奇妙な一致に大家さんも気味の悪さを感じたらしい。

 だが、部屋で亡くなった訳ではないので、深くは気にしていなかった。


「でもですね、3番目の入居者も亡くなったことで、大家さんはお祓いをしたそうなんですよ。私共に連絡はなかったですし、お祓いをしたなんて噂が立ちますと……ねぇ?」

 眞島さんはそう濁しながらビールに口をつける。

 そこに焼き鳥の盛り合わせとにんにく紫蘇漬け、だし巻き卵、キャベツが出され、「良かったら食べて下さい」と勧められ、にんにくを1つ貰った。


「細田様。やっぱり、お引越し、一度検討してみませんか?」

 眞島さんは真っ直ぐに俺を見て、かなり深刻な声音でそう言った。

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