2章 調ベル - 細田・眞島

過去の住人たち(前編)

「本来は個人情報ですから過去の入居者についてはお教えできないのですが……」

 眞島さんはそう前置きをして、俺に最初の入居者について少し教えてくれた。


 俺が持参した記事に載っていたのは、209号室の最初の住人だという。

 アパートから電車で30分のところにあるオフィス街のビルが職場だった。

 このアパートが3年前の3月に完成して、4月から入居開始。

 彼女が自殺したのがその年の9月2日。

 入居から死亡まで半年も経ってない。


「自殺の要因というか、理由って……」

「流石に理由はこちらでは……記事にも書かれていませんね。自殺と思われるとありますが、遺書が見つかってないと書いてありますから、事故の可能性も考えられますね」

「でも、ここに書いてありますけど、彼女の職場はこのビルの2階で、何の用事もない9階から転落したってことは自殺しか考えられませんよね?」

「確かに記事もそれを理由に『自殺か』という見出しになっていますね。細田様が聞いたと仰っていた声ですが……この女性がまだあの部屋にいる、とお考えですか?」

「……はい。部屋で亡くなってなくても、あの部屋に思い入れがあったら……まだ、んじゃないでしょうか?」

 俺は膝に置いていた手を握り締めた。

 空調が利いているのに、じっとりと汗をかいている。


「そういえば、もう1人亡くなっていると言ってましたよね? その人も……女性、ですか?」

「いえ。その方は男性です。3番目の入居者ですね。12月に入居されたのですが、1月以降の家賃が振り込まれなくて。それでお電話したのですが、連絡が取れずにいたんです。そうしたら、2月の下旬頃にご両親から連絡がありまして、亡くなったので部屋を引き払いたい、と。年末年始の帰省中にご実家で自殺された、と。なので、12月の入居ですから、入居されてすぐ、ですね」

「本当に物音とかの苦情はこれまで全くなかったんですか?」

「はい。苦情はデリケートでトラブルになりやすいので、電話口で解決できたものも含めて些細なことでも全て記録して残してあるんです。なので、パソコンのデータもこちらの紙のデータでも確認できませんので、なかったと断言できます」

「入力漏れとか記録漏れの可能性は……」

「完全にないとは否定できませんが、可能性はとても低いです」

 眞島さんは曖昧な物言いをしない。

 注意喚起のビラの1件でもそうだが、ファイルの綴じ方、カウンター周り、それに着ている制服から几帳面さが伝わって来る。


 電話が鳴り、隣に座る若い女性の従業員が取る。

 その彼女のシャツの袖のボタンは取れかけていて、皺が寄っていた。

 傍に置かれた書類も端が折れていて、乱雑に扱われている様子が伺える。


「引越しをご検討されますか?」

 問われて、俺は即答できなかった。

 今すぐ引っ越したい。

 今日、このままあの部屋に帰りたくない。


 でも、金が無い。


 あの部屋に自殺した女の霊がいる。

 それがここで確定してしまった気がする。

 事故物件を否定していた眞島さんもはっきりとは言っていないが、そう疑い始めている。

 あの部屋で誰も亡くなっていない。

 でも、何かが憑りついているなら、定義としては違っても俺にとっては事故物件だ。


「あの。すみません、眞島さん」

 不意に女性が俺を気にしながら声を掛けて来た。

「西区の物件のお客様からお電話なのですが……」

「すぐに掛け直しますと伝えてください」

 女性にそう言って、それから俺に向き直る。

「すみません、細田様」

「あ、いえ。こちらも予約もせず、突然お伺いしたので……」

「それは全然構わないのですが、ちょっと電話が長くなりそうなので……どう致しましょう? お待ち頂くのは申し訳ないので、この件についてこちらでもう少し詳しくお調べして、またご連絡させて頂く、ということで」

「はい。そうして頂ければ助かります」

 俺はそう言って会釈し、不動産屋を後にした。

 眞島さんは申し訳なさそうに何度か頭を下げ、俺を見送った。

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