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コツコツと響く。重厚な騎士の足音。それとアイクの軽い足跡が不協和音を奏でる。

昼の騒がしさが収束しようとしている時刻ごろだった。


“Imperium administratio et bellum……”


脳内で、アステリア語で書かれた『帝国地理学』を、帝国語へと同時通訳する。


『現皇帝陛下の治世における最大の特徴は、軍事的拡張主義。および、それに伴う「版図の包接」を目的とした戦略的婚姻にある――』


(要するに侵略した国の姫を妃にし、生まれた子供で支配を固める。……嫌なやり方だ)



「第四皇子が、一部の学者しか解せない学術言語を読めるはずがない」

「皇帝の気を引くために、読めもしない本を飾っているのだ」と。


本の貸し出しを行った司書もローザも、きっと思っている。

彼らは憐れみの目を向ける。

だが、それでいい。

その無関心こそが、アイクの書斎を、誰にも検閲されない最も信頼できる知識の泉にしてくれるのだから。


先導する騎士を、チラリと見た。

重心が低く、隙がない。母上の庭園にいた護衛と同じだ。

陛下が送ってきた手駒。


なんともご丁寧なことだ、とアイクはうっそうと笑う。


ようやく、ひっそりとした自分の宮を抜けた。

終日光の消えない本城は、騒がしい。


帝都の夜は眠らない。


城下では繁栄の証だと謳われているが、この宵に向かう時刻でも、まだ喧騒が響いていた。


窓の奥。遠く離れた場所に建つ離れが見えた。

第三皇子クーリルトの住まう宮だ。

属国となった国の母を持ち、武功を立てた英雄。だが、扱いは皇族として最底辺のもの。

ーーその実力を脅威と見なされ、遠ざけられた皇子。



(それに比べて、第二皇子は気楽なものだ)


視線をずらせば、すぐ近くに魔術研究に没頭する第二皇子、リーンハルトの塔が見える。

今は政治に我関せずを貫いているが、火種は少しずつ燻っているはずだ。

本人の意思に関わらず、神輿は勝手に持ち上げられるものなのだから。


「到着いたしました。陛下がお待ちです」


思考に沈むアイクを現実に戻したのは到着を知らせる声と扉を叩く音だった。


「し、失礼します……」


開かれた扉を前にアイクは緊張に満ちた、幼い声を響かせる。そうしてそろりと中を伺う。窓から差し込む茜色が皇帝の顔も半分だけ影に落としていた。


「おとう……帝国のこーてー陛下にごあいさつもうしあげます」


陛下はきっと愚か者がお嫌いだろう。アイクは幼子として振る舞える最低ラインを見極めなければならない。


本当なら、とアイクは思う。本当ならこの後に時刻の挨拶を入れるべきなのだ。

今は夕暮れ時の終わりに向かう時刻だから「帝国の象徴が夜を見守る存在へとなられるわずかな合間にご挨拶できたことを嬉しく存じます」といった具合に。


でもアイクはそうしない。ーーさて開幕だ。



※ ※ ※




皇帝は幼い声を聞き頭を上げた。


「おお、もう来たのか早いな…許す」


許可を得たアイクは心細げしかしどこか安堵したように頭を上げた。


バタンっと扉が閉まる。シーンとし紙の上に走らせるペンの音のみが微かに響く。普段なら、この時刻ごろにいるのは帝国の象徴である皇帝だけだが、今日は隣に第一皇子アヴェラルトがいた。見向きもせず黙々と作業をしている。

執務室特有の、古い紙、高級なインクの混ざった、なんともいえない空気。


そんな中、興味津々にアイクは目線を彷徨わせている。


「アイク、……ふむ会ったのは初めてだったか。まぁ良い。そこにかけなさい」

「はいっ!」


アイクは陛下を真っ直ぐに見て満面の笑みで答えた。貴賓用の椅子は、5歳の身体にはあまりに巨大すぎた。アイクはよじ登るようにして座面にちょんっと下ろす。足は床に届かず、行儀悪くブラブラと宙を掻いている。


「先ほどの挨拶、とても良かったぞ。…練習したのか?」


柔らかな声色で皇帝はアイクに話しかけた。アイクはニコニコとしながら答える。


「いちばんがんばって練習したんです!ありがとうございます!」


皇帝がチラリと皇太子を見る。

そして、穏やかな雰囲気をぶった斬るように声がかかった。


「陛下」


ひんやりとした声を出したのは皇太子アヴェラルトだった。


「おお、どうした」

「大事なお話のようですので。しばし席を外したく存じます。」


ハンカチで口元を押さえアヴェラルトは言う。瞳はずっと父である皇帝へ向いていた。

アイクは目線を下げる。ぎゅっと服を掴んだ。


「お前の弟じゃないか。話して損はないぞ?」


皇帝は少し眉をあげアヴェラルトを諭す。一瞬皇帝とアベラルトの視線が交錯する。アヴェラルトはせせら笑いで返答する。


「ここにいる『皇族」は陛下と私だけではありませんか」


一瞬の沈黙のあとはぁぁ〜と深いため息をついて折れたのは皇帝の方だった。

アアヴェラルトを見て深く頷く。


「良い、存分に休憩してきなさい」


アヴェラルトは予定通りに静かにそこから立ち上がり、コツコツと早足で扉の方に向かう。アヴェラルトの従者は慌てて付き従う。


幼い皇子は、泣き出しそうなのを必死に堪えるように、ただじっと自分の服の裾を握りしめていた。その姿は、あまりにも無力で、痛々しかった。


「宵の始まりを帝国の象徴と過ごせたことありがたく存じます」


アヴェラルトは見事な一礼をして、そうして優雅に去っていった。既に日は落ちていた。

残ったものにもたらしたのは夜と暮れの狭間のなんとも言えない空気感だった。


「アイク」

「はい」


声をかけられたアイクは背筋を正し、陛下の方を向いた。当初の溢れんばかりの笑顔はもう残っていなかった。

皇帝は椅子から立ち上がり、アイクの元に寄る。


「陛下?」


不思議そうに尋ねたアイクの頭の上をわしゃわしゃと皇帝が撫でた。葉巻の匂いがかすかに漂う。


「すまなかった。……あやつも悪いやつではないのだ」


身を固めながらもフルフルとアイクは頭を振る。か細い声でいう。


「い、いえ黒髪であるぼくがわるいのです。……若き象徴皇太子殿下は何もわるくありません」

「気にするな。皇族である以上は、つきまとうことだ。」


我に免じて許してやってくれないか、と皇帝が、皇帝自らアイクに寄り添う。

もちろんとでもいうようにアイクはコクンっと頷いた。


「あの、それでおとう……皇帝陛下」

「好きに呼びなさい。ファーターでも良いぞ?」


くつくつと笑いながら皇帝はそう軽快に言って空気を和ませた。そんな皇帝にアイクは目を大きく見開いて嬉しそうに頬を紅潮させる。


「おとうさま…うれしいです!ありがとうございます」


バッとアイクは目の前の皇帝に抱きついた。



※ ※ ※


―――黒髪ゆえに疎まれてきた幼子が父の愛にふれる。


そんな陳腐なナレーションが聞こえてきそうだ。

皇帝の胸板に顔を沈めたまま、アイクは音もなくため息を吐く。



――皇太子をが悪役を、皇帝は救世主をそれぞれ演じる。そうしてアイクの心の弱さに漬け込む。なんて退屈な茶番劇。


(おかあさまの動向をこぼさせたいんだろうなぁ。……このたぬき)


だが。


補助に添えられていた皇帝の腕に力がこもった。

ぎゅっ。抱き返される。

葉巻の匂い。大きな手。


ーーもしかしたら。


胸の奥で何かが脈打つ。なんだ。なんだこの感覚。


「そういえば、アイク。……お前の母上のことだが」


皇帝の声が静かに耳に落ちる。


(……まぁそうか)


アイクは瞳から光を消した。

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機械仕掛けの天才皇子【デウス・エクス・マキナ】は今日も前世の夢を見る @montreur-de-marionnettes

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