第4話『合宿に行った理由』

会社を辞めて、時間が余った。

何かをしようと思って、

ジョギングを始めた。

ホームページで

地元のランニングサークルを見つけて、

入会した。

十歳年下の女性と、

たまたま並んで走るようになった。

走りながら話すと、

不思議と会話が続いた。

呼吸の合う速度で、

言葉も続いた。


いつの間にか、

他の人と話していると、

彼女が露骨に不機嫌になることに

気づいた。

サークルの合宿の案内が出たとき、

僕は行かない、と言った。

すると彼女は、少し俯いて言った。

「行かれないんですね?楽しみにしてたのに」

その顔を見て、

僕は途中から予定を変え、

合宿に合流した。

彼女は、目を見開いて驚いていた。


夜のバーベキューで、

僕は彼女に話しかけられなかった。

周りは騒がしく、

理由はいくらでもあった。

次の日の朝、

僕は、何のために来たんだろう、

と思って俯いていた。

そのとき、彼女が声をかけてくれた。

昼食の時間になって、

僕は聞いた。

「隣に座ってもいいですか?」


彼女は笑って、

「いいですよ。一緒に食べましょう」

と言った。

何を食べたのかは、

覚えていない。

ただ、彼女がずっと僕を見ていて、

僕も彼女を見つめ返していた。

周囲のメンバーが、

顔を赤くしたり、

目を逸らしたり、

手で顔を覆ったり、

驚いたまま固まっていたこと。

それだけは、

はっきり覚えている。


次の練習で会ったとき、

彼女はなぜか、

そっけなかった。

練習後、

勇気を出して誘った。

彼女は驚いて、

「今から用事あります!」

と言い、逃げるように帰った。


次の練習で、

僕はあえて彼女に声をかけず、

別の女性と話した。

楽しく話した。笑った。

彼女も、それを見ていたと思う。

その次の練習で、

彼女に声をかけた。

返事はなかった。

それから、

一言も話していない。


その後、

僕は膝を怪我して、

走れなくなった。

ランニングクラブもやめた。

彼女との接点は、

完全に失われた。

あのとき、

彼女を誘わなければ、

どうなっていただろう。

ランニングクラブの仲間として、

今も普通に話していたかもしれない。


それとも、

いずれ同じところに辿り着いたのかもしれない。

わからない。

ただ一つ、

確かなことがある。

彼女は、

この人生でたった一人、

僕に「心が通い合う」という感覚を

はっきり残した人だった。

今も、どうすればよかったのかは

わからない。

そのわからなさの上に、

今の僕がいる。

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確定してしまった僕と彼女たちの距離 —戻れない僕と彼女たちの瞬間について @PEDRONE

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