序章 華麗なる彼女の秘密 後編


 ――そして、運命の歯車が噛み合う音がした。


「……はぁ。今日も憂鬱だな」


 その音は、ため息と共にこぼれ落ちた。

 倉俣 翔太くらまた しょうたは、教科書で膨らんだ通学鞄を抱え直し、廊下の隅を歩いていた。

 身長165センチ、体重55キロ。

 成績は中の下、運動神経も人並み以下。

 趣味は読書(という名の漫画鑑賞)で、特技は「気配を消すこと」。

 それが、翔太という人間だった。


 この私立聖真玲愛学園おいて、男子生徒の地位は低い。

 圧倒的な女子生徒の数とパワーに押され、彼のような凡人は息を潜めて生きるのが処世術だった。

 特に、朝のこの時間は危険だ。

 なぜなら、あの『一華様』が通るからだ。


「うわ、来た……」


 前方から輝くようなオーラを纏った一団が近づいてくるのを見て、翔太は反射的に壁際にへばりついた。

 取り巻きを引き連れて歩く一華は、今日も完璧だった。

 美しい。確かに美しい。

 だが、翔太には彼女が、獲物を狙う肉食獣のように見えて仕方がないのだった。

 なんとなく、あの一団には関わりたくない。本能がそう警鐘を鳴らしている。


(目を合わせないように……石になれ、僕は石だ……)


 翔太は俯き、自分のつま先を見つめて通り過ぎるのを待った。

 しかし。

 彼の運命は、無慈悲にも彼を見逃してくれなかった。


「――あら?」


 鈴を鳴らすような声が、翔太のすぐ近くで止まった。

 心臓がドクリと跳ねる。

 まさか。嘘だろ。

 恐る恐る顔を上げると、そこには至近距離でこちらを見つめる、黄金の瞳があった。


「っひ……! あ、あの、おはようございます……物集女もずめさん?」


 翔太は裏返った声で挨拶をする。

 一華は美しい顔を不思議そうに傾け、じっと翔太を見つめていた。

 いや、正確には翔太ではない。

 彼女の視線は、翔太の顔からゆっくりと下へ移動し――そして、ピタリと止まった。


 股間である。


「……え?」


 翔太は困惑した。

 なぜ、学園のアイドルが、僕の股間を凝視しているのか。

 チャックが開いている? いや、今朝確認したはずだ。

 何か変なシミでもついている? まさか。


 しかし、一華の瞳孔は、みるみるうちに開いていった。


(――見つけた)


 一華の脳裏に、電流のような衝撃が走った。

 目の前の、地味で冴えない男子生徒。

 名前すら知らない、背景のような少年。

 しかし、そのズボンの奥に眠る「気配」は、彼女の第六感変態アンテナを強烈に刺激していた。


 決して大きくはない。自己主張もしていない。

 だが、その慎ましやかな膨らみが描く曲線。

 布越しに伝わってくる、未成熟で柔らかな質感。

 そして何より、怯えて縮こまっているであろう「彼」の、庇護欲をそそる愛らしさ!


(こ……これですわ……!)


 一華の頬が、ポッと朱に染まる。

 それは恋する乙女の顔であり、同時に、獲物を見つけた捕食者の顔でもあった。


(派手なマグナムでも、無骨な逸物でもない。慎ましく、けれど秘めたポテンシャルを持つ……まさに原石! 私が求めていた「理想のペット」が、こんな近くにいたなんて!!)


 一華は無意識のうちに一歩踏み出し、翔太の股間へと手を伸ばしかけた。


「あ、あの……物集女さん? 何か……?」


 翔太が怯えたように後ずさる。

 その反応を見て、一華はハッと我に返った。

 いけない。ここで手を伸ばしたら、ただの変質者だわ。

 私は淑女。気高く、美しく、手に入れなければ。


 一華は手を引っ込め、扇で口元を隠して優雅に微笑んだ。

 しかし、その目は笑っていなかった。

 ギラギラとした執着と、愛くるしい玩具を見つけた幼女のような邪気が、渦を巻いていた。


「……いいえ、なんでもなくてよ。ただ、貴方……少し、顔色が優れませんわね?」

「えっ、そ、そうですか? 自分では元気だと……」

「いいえ、優れませんわ。これは放っておくと大変なことになります」


 一華は断言した。

 そして、獲物を逃さない蜘蛛のように、甘く、冷徹に告げた。


「放課後、旧校舎の第2理科準備室へいらっしゃい。私が特別に、『診察』してさしあげますわ」


「は、はい……?」

「拒否権はありませんのよ? これは生徒の健康を守る、貴族としての義務ノブレス・オブリージュですから」


 そう言い残すと、一華は再び優雅に、しかし今までよりも弾むような足取りで去っていった。

 残された翔太は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


「……診察って、なんの?」


 その問いへの答えは、放課後、彼自身の身体で知ることになる。

 かくして、気高き変態令嬢と、哀れな愛玩男子の、狂騒の日々が幕を開けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る