第3話 不登校と母親。それでも何とか働けてます。
おはようございます。ぽけぽけです。
今日は長く暗い話になりますが中学、高校の不登校の話をしたいと思います。
この記事は約4200字です。
目次
双極性障害?
鬱症状による不登校
工業高校でも不登校
職業訓練校の自動車整備科は不登校まではいきませんでしたが鬱症状あり
今の会社は20歳から勤めて15年。休職を何度も挟みますが何とか働き、やっていけております
双極性障害?
以前少し触れましたが、私は幼い頃から「イベント事があると全力で取り組み過ぎてパンクする」というのを繰り返しておりました。
例えば幼稚園、学校の運動会や遠足ではしゃぎ回り、その翌日、翌々日は必ずと言っていいほど謎の高熱や頭痛で休むといった感じです。
長らく私はソレを「性格」と思っており何か対策をするという発想すらありませんでした。
(双極性障害は遺伝する可能性があり、祖父も双極性障害のような症状で、亡くなるまで何十年も入院していたようです。この辺は祖母も母親も話したがらないので詳細不明ですが。)
今振り返ってみると、躁状態特有の多弁や過活動の兆しでもあったのかな?と感じます。
鬱症状による不登校
学生時代は家庭環境が特に酷く、毎日毎日繰り返される両親の夫婦喧嘩や酒乱による兄への暴力、ヒステリーを起こしながら暴れ回る母親からの正座強制+恫喝等で私の精神はギリギリでした。
私の部屋がリビングから薄い襖1枚を隔てただけの所にあり、閉めてもリビングから入ってくる音量がそんなに変わらないのも良くなかったと思います。
それでも学校は救いだったので毎日行ってました。特に勉強と先生が好きで学業と生徒会活動、部活動に熱心に取り組み、それに伴った成果も得ていました。家と違い、やればやるほど評価されるのも嬉しかったのだと思います。
ある朝の事、いつも通り母親が酒を呑み続けながら暴れ回って、私は泣きながらやり過ごし身支度を整え、中学校に登校しようと自分の部屋から出た瞬間、母親の寝ゲロを踏んでしまいました。
いつもと違うキモチワルイ感覚と徐々に冷たくなっていく右の足裏は今でも覚えています…
その瞬間、私は何もかもどうでもよくなってしまいました。右の靴下を脱いだ後、張り詰めた糸がプツンと切れたようにガックリ倒れてそのまま不登校になります。
実際の場面を見ていない父親と酒で記憶が抜けている母親は私の不登校の理由を知りません。
特に母親は酒が一定量を超えると酔いが覚めるまでの記憶が無くなるので、私がどんなに説明しても理解できないのです。認めない、頑なに信じないのではなく、純粋に理解できないのだと悟ってからは私は母親に何も言わなくなりました。
今でも理不尽に感じるのが、次の日母親に酒で暴れてた旨を伝えると「そんなことはしていない」「お前は嘘つきだ」と言われたことですね…
不登校の理由は何度も聞かれましたが母親に言っても無駄だと分かりきっているので、私はある嘘をでっちあげます。「部活動が辛かった」と…
私は中学2年生。能力は低かったですが挨拶の声が大きかったことと練習への取り組み方を買われバスケ部のキャプテンをしてました。
まあ、これも今思うと異常なのですがビンタやパイプ椅子が飛んでくる過激な場所でした。
夏場の練習は過呼吸を起こしたり、熱中症で倒れたりする過酷な練習でしたが、決してバスケットボールは嫌いではなかったです。
それを「辛かった」として不登校の理由にしたのは最低な行為だと思います…
どのくらい不登校をしていたのかは覚えていませんが、沢山の人に心配してもらったこと、受験に大切な2年生の成績がガタ落ちになったこと(それまでは勉強が好きな事もあり、美術以外はオール5でした)、様々な先生から温かい言葉やご厚意をいただいたことは今でも忘れません。
不登校を経験していると特に受験がかなり不利且つ辛いものになりますが、当時の私は今の私より頼もしい性格をしていたので「なるようにしかならんし、全力で取り組むだけだ」とある種の吹っ切りみたいなものがありました(笑)
それがかえって良かったのか前期面接で素直に不登校だったことを伝え、それでも機械に興味がある、この学校、この設備で学びたいと伝えて第一志望の工業高校合格を勝ち取ります(恐らくここで落ちたら勉強等がついていけずに駄目だったでしょう)。
工業高校でも不登校
小学校時代から一緒の仲の良い女の子と一緒に入った工業高校での日々は毎日充実してました。
その子と私以外に機械科の女子はいませんでしたが、下ネタはあるものの男子がなかなかに紳士で嫌な事は何一つなかったです。
一緒に入った子も私も旋盤、フライス盤、溶接を始めとする工業実習の授業の成績はとても良かったです。2人とも常に上から5番以内でした。
体験から基づく持論になるのですが、工業高校に入る女子は男子よりやる気があると思います。
なんせ惰性や消去法で工業を選ぶ女の子はほぼ皆無ですから。
機械が好きで好きでたまらんっていう男子よりも好きという思いとしっかりとした覚悟があったと思います。
彼女は天才肌、私は努力型で切磋琢磨してました。数学や国語などの一般教科は2人とも苦手で「バカ2人www」とよく言い合ってました。
それでもテストでは最初から地道に勉強してる私と、テスト直前でヤマカン暗記する彼女の点数にそんなに差が無かったのは少しズルい気がします(笑)
そんな楽しい高校生活も高校3年生の時、母親の酒乱で崩れます。いつものように正座をさせられ意味不明な理由で怒鳴られ、目をそらしたり、微動だにするとそれについて怒鳴られる日々でした。
反抗するとそれに対しても何度も恫喝されるのでひたすら、本当にただひたすら母親が疲れて眠るまで耐えるしかないのがしんどかったです。
私自身が言われるのは良いのですが、仲の良い彼女の事を面と向かってようが無かろうが悪く言われ、それを嫌だと言えない自分も情けなくて辛かったです。
恥ずかしい話ですが当時の私はこの家、状態を異常とは気づいてないのです。だから人に相談する、離れるといった発想が出てこなかったです。
高校の不登校の直接の原因は、母親から何かされたということ以外今は思い出せませんが、また私は嘘をでっちあげます。
「高校3年生のグループ課題で班長としての責務が重すぎる」と…
なかなか堪える罪悪感ではありましたが、担任の先生と父親と母親の前で「両親の夫婦喧嘩や母親からの精神的虐待が原因です、助けてください」とは言えません。
というか今思えば、言っても母親は否定し、父親も私が正座させられてるのは知らなかったようなので信じてもらえなかったでしょう。
そんなこんなでまたまた3年生という大切な時期に不登校をかます私ですが、2年生の授業で選択した「原動機」で壊れたバイクのエンジンのオーバーホールをやったのがとても楽しくて自動車整備士の道を選びます。エンジンは結局着火部分のコイルが駄目だったかで動くことは無かったですが自分が活き活きと取り組み、レポートも一生懸命書いてめちゃめちゃ褒められたのが嬉しかったのが印象的です(^^)
不登校してる中で担任の先生が見つけてくれた職業訓練校への体験入校で自動車のエンジンの分解組み立てもやはりとても楽しく、自動車整備をココで絶対に学びたいと思いました。
試験は一般常識と面接でしたが、面接の方が見られると話を聞いていました。そこでも小さい頃から機械に興味があったこと、3K(キツイ、汚い、危険だっけ?)と言われる道に進むことになるがいいのか?との問いに迷いなくハイッて答えて無事合格しました。
職業訓練校の自動車整備科は不登校まではいきませんでしたが鬱症状あり
晴れて入校したのですが、高校時代と違い女性は私一人でした。
気づいたのですが、クラスに女性が2人だと気を使ってもらえるのに、1人だと逆に男として扱われるんですよね(笑)
そんなのお構いなしに、というか気にならないくらい実習が楽しかったです!
工業高校3年+職訓2年は私の中に様々なモノを残してくれました。
例えば、私の中の思春期男子くん(笑)
思春期男子特有の会話ばかり聞いてたし、してたしでノリや考え方がホント男子な感じなのです。
解離な話にもなるのですが、私は下ネタや性的な話が苦手なのに、思春期男子くん(冬馬と名乗っております)は進んでそんな会話に参加するし、どんと来い、任せろーといった具合です(笑)
恩師にも恵まれ職訓もまた楽しい事だらけだったのですが、ここでもアレが襲来します。
お決まりのパターンですが母親の酒乱です。メンタルは削られるものの家を出てしまえば辛さは無くなるので早めに登校しようとしました。が、母親がそれを気に入らなかったのか行かせまいとして(意味不明)目の前に立ちはだかったのです。
手を掴まれたり怒鳴られたりしたので私も日頃のストレスから母親を突き飛ばしてしました。
…母親は酒でフラフラだったこともあり後ろに倒れ、気を失ってしまいます。
その時の母親の死んだ魚のような濁った目が今でも離れません。
幸いというかなんというか母親は何事もなかったのですが、無理やり登校した私はここから鬱気味になります。
ポーカーフェイスは家庭環境から上手い方だと思うのですが、職訓の仲間から心配されるくらいには落ちていました。
相談こそしませんでしたが、それでも皆が励ましてくれたことがありがたく、徐々に鬱は解消されていきました。
そして、色んな学校から選出された人が自身の抱負発表する会に参加し、幸いなことに最優秀賞をいただき、県知事のお名前の印鑑がついた表彰状と楯ももらいましたとさ。
あの時応援してくれた仲間と指導してくれた先生には本当に感謝しかないです。
今の会社は20歳から勤めて15年。
休職を何度も挟みますが何とか働き、やっていけております
紆余曲折ありましたし、そこからもまた色々と事件があるのですが余りにも長すぎるので、勤めてからの話はまたの機会に。
色々ありますが、何とか働いてささやかながら夢もあり、それに向かって時には後退して少しずつ少しずつ進んでおります。
今回かなり長くなりましたが、ここまで読んでくださった方にお伝えしたいのは
「色々なことがあり大変なこともありますが、決して家だけが全てではないし学校や職場だけが全てでもありません。今、お辛いのでしたらストレスから離れてじっくりと休憩してください。無理を続けて自分を追い詰めると碌なことにならないです」
ということですかね。
ホントご自愛ください、と伝えたい人が周りに沢山いますので(汗)
本当に長くなりましたが今日はこの辺で。
次は、今の会社に自動車整備士として入社してからのお話あたりを書くかと思います。良ければお付き合いください(^^)
皆様の1日が良きものでありますよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます