序章2 凱旋、そして王への謁見
数日をかけ、王都まで戻ってきた勇者をそれはそれは壮大な出迎えが待ち受けていた。城門から続く大通りは、彼女の凱旋を祝う民衆で埋め尽くされ、歓声が雷のようにとどろいていた。
「勇者様! お帰りなさい!」 「よくぞ魔王を倒してくれました!」 「世界の救世主! 勇者万歳!」
人々の熱狂はすさまじく、衛兵たちが必死に規制線を張らねば勇者はたちまち人波に飲み込まれてしまいそうだった。
勇者はその熱狂的な歓迎に少し戸惑いながらも嬉しそうに、そして照れくさそうに手を振って応える。彼女のその無邪気で飾らない笑顔は、人々の熱気をさらに盛り上げた。
その中で、一人の幼い少女が人垣を掻き分け勇者へと駆け寄ってきた。衛兵に止められるが彼女は「大丈夫です」と制した。
少女は勇者の足元に跪き、肩を小刻みに震わせながら、これまで必死に堪えていた想いを吐き出すように言った。
「お帰りなさい、勇者様……私、あなたが戦っている間、何もできずただ震えて待つことしかできませんでした……こんな自分が情けなくて、悔しくて……」
勇者が生死を賭して戦っている時も。痛みに身体を震わせている時も。溜まりに溜まった疲労で動けなくなっている時も。
自分は安全な場所にいて、全てが解決するまでただ待っているだけだった。そんな自分の無力さに少女は罪悪感を覚えていたのだ。
そんな少女に対し勇者はしゃがみ込み、そっと頭を撫でた。
「情けないだなんて、そんなことありませんよ。あなたがこうして私を想い、駆け寄ってきてくれた。皆さんが私の勝利を信じて待ってくれていた。その気持ちこそが、私の力になりました。皆さんがいてくれたから、私は魔王に勝てたんです。だから私こそ……ありがとうございました」
そう言って、勇者は少女に眩しいほどの笑顔を見せ、握りしめた拳を胸に当てて見せつけた。
少女は涙を拭い笑顔を返すと、民衆の歓声はさらに大きくなった。
一方、勇者の心の中――彼女には感知できない領域で、微かに意識を保つ魔王の残滓がこの光景を嘲笑った。
《ふん……見事な欺瞞だな》
心の中の魔王は冷ややかに嘲笑した。
最期の力を振り絞り、勇者の心に潜り込んだ今の彼にできることは、人間には感知できない“陽炎”を勇者の周りに展開することで客観的に周囲と彼女の反応を観察することのみであった。
《口先だけの感謝と慈悲。よくもまあ、これほどまでに軽々しくものが吐けるものよ。貴様が与えたのは一時的とはいえ『世の平和』だ。それに比べて、奴らは貴様に何一つ与えてもいない。喝采と感謝の言葉だけが貴様への報酬とは、何とも滑稽な取引だな》
しかし、その嘲笑もつかの間だった。魔王は喝采を送る民衆のほぼ全てが狂喜乱舞する中、ごく少数──主に衛兵や兵士といった王直属の組織にいる者の中に、奇妙な表情を浮かべている者たちがいることに気がついた。
彼らの勇者を見つめるその瞳の奥には、深い哀れみや複雑な諦念、ある種の畏怖にも似た感情が潜んでいるように見えた。
(……? この違和感は何だ? 勝利の歓喜の中にありながら、なぜ哀れでいるのだ?)
魔王は不可解に思った。それは、彼が予想していた者の反応とは明らかに異なるものだった。
しかし、勇者はその少数派の異様な空気には全く気づいていないようだった。彼女は純粋に民衆の祝福を喜び、そしてそれに応えようとしている。
少なくとも、魔王からはそうとしか見えなかった。
(……まあ良い。どうせ余には関係のないことだ。今は静かに力を蓄める時である)
魔王の意識は静かに沈黙し、勇者は祝福の波に押されながら王城へとゆっくりと歩を進めていく。
一方、ほんの一握りの者達の哀れみと憂いを帯びた視線が、ひときわ強く勇者の背中に注がれていた。
◇ ◇ ◇
絢爛豪華な装飾が施されている王城の大広間は、魔王討伐という偉業を成し遂げた勇者を迎えるに相応しい威容を誇っていた。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが柔らかな光を放ち、磨き抜かれた大理石の床がその光を反射して燦然と輝く。
広間の最深部では、玉座に座る老王が静かに歩み入ってくる勇者を見下ろした。その左右には重臣たちがずらりと並び、広間の隅には兵士たちは整然と並んでいる。
皆一様に厳粛な面持ちで、その鋭い眼光で周囲を見張っている。
勇者はゆっくりと玉座の前まで進み出ると、恭しく跪いた。汚れきった衣服はこの場の豪華さとは明らかに不釣り合いで、彼女の疲労と激戦の痕を如実に物語っていた。
「よくぞ戻られた、勇者よ」
王の声は朗らかさを帯びていたが、どこか硬さが感じられた。
「お言葉ありがとうございます、陛下」
「魔王という災厄を世界から取り除いてくれたこと、心より感謝する」
「お役に立てたのであれば、これ以上の喜びはございません」
勇者は深々と頭を下げて答えた。
微動だにせず、ただ言葉を発するその姿は彼女を形取っている礼儀正しさが窺えるようだった。
「その武勲に対し、我々は最大の敬意と感謝を示そう。しかし、激戦の後、すぐの凱旋であった。その身、いかに勇者といえど疲労は極限であろう。まずは身を清め、良き食事を取るがよい。盛大な宴にて歓迎しよう」 それは、世界を救った者に対しては至極当然の気遣いであった。しかし、勇者はゆっくりと首を横に振る。
「お心遣い痛み入ります。ですが……申し訳ございません。どうか、まずは休息を取らせてください。長きに渡る戦いで、身体が休息を強く求めているみたいですので」
照れを隠すように苦笑いする彼女の顔には、紛れもない疲労の色が刻まれていた。魔力の消耗も激しくもう一歩も動けない、と。
王は一瞬微かに眉を動かしたが、すぐに肯いた。
「……む。それも道理である。ならば、速やかに案内させよ。それと……汚れたその着物と同じものを、替えとして用意しておけ。――勇者よ。明日、改めて祝賀の宴と褒賞について話をしよう」
「はい、陛下。お心遣い、ありがたく頂戴いたします」
勇者は深々と頭を下げた。その言葉には、心からの安堵と感謝がにじんでいるように見える。
彼女は従者に導かれ、王城の深部へと進んでいった。
心中の魔王は、この光景を冷ややかに観察していた。
《褒賞か。ふん、さては領土か金貨か、はたまた貴族の地位か。人間どもの価値観は所詮そんなものだ。貴様の払った代償に比べれば、雀の涙ほどの価値もなかろうに》
しかし、勇者はその声を聞くことはできない。彼女はただ王の温情に心を温め、ようやく訪れた安息を噛みしめていているかのように見えた。
少なくとも、魔王にとってはそう見えたのだった。
◇ ◇ ◇
従者に案内された客室は広く、静かな部屋だった。
ふかふかのベッドと少しばかりの調度品が置かれているのみであったが、勇者にとっては十分過ぎるほどの部屋である。
従者が去り、独りになると同時に彼女の身体からは一直線に力が抜けていった。
「ふう……」
ようやく訪れた孤独と安らぎに、彼女は愛用の剣を警戒することなく壁に立てかけ、大きく背伸びをした。節々が軋み、全身の筋肉が悲鳴を上げるのを感じる。
その痛みは、あの魔王との激戦の証でもあった。
汚れた衣服を脱ぎ、片付けると、用意されていたのは同じ作りをしている普段着。普通の村娘と変わらない見た目のものであり、勇者はこれが自分にとって一番合っていると自負している着衣であった。
髪や身体は埃に塗れ、旅の中で染みついた得体の知れない汚れが付着しているが、彼女にとっては限界を迎えたようで。
そのままベッドへと倒れ込むと柔らかい羽毛布団が身体を包み込み、自然と瞼が閉じられた。
その意識はたちまち、深く暗い眠りの底へと沈んでいった。
――その心の奥深くで、魔王は静かに呆れていた。
《……存外、呑気な女だ。これほどの歓迎を受けたとはいえ、あまりにも無警戒すぎる。まあいい。ゆっくり休むがよい。“器”である貴様のその身体と魂は、いずれ余のものとなるのだからな》
◇ ◇ ◇
そして夜が明け、窓から差し込む朝日が客室を優しく照らし始めた刻のこと。勇者は既に起床し、その意識をはっきりと保っていた。
ベッドの縁に腰かけ、窓の外の平和な街並みを静かに見つめているその横顔は、どこか覚悟のような凜とした、しかしどこか寂しげな表情を浮かべている。
まるで、儚い幸せの終わりを予感しているかのようだった。
そしてしばらくすると、部屋の外から重々しい足音と金属音が複数接近してきた。
魔王は分かっていたかのような口調で勇者に忠告した。
《騒がしい来客が来たぞ、勇者。……おっと、貴様にはこの忠告も聞こえんか》
声はやはり届いていない。にもかかわらず、勇者もすでに部屋の外の音には気づいていたようだ。
ゆっくりと微かに息を吸うと、ごく自然でありながらどこか諦観にも似た平静さをもって、その音が自室の前で止まるのを待っていた。
その瞬間、ノックもなくドアが乱暴に開かれた。
「動くな。抵抗すれば、容赦はせん」
現れたのは屈強な兵士たちだった。その数、十名近く。全身を鋼の鎧で固め、手には鋭い槍を握っている。
それは歓迎のための護衛などではなく、明らかに危険な対象を拘束しに来た者たちの装いだった。
「勇者、陛下より命令だ。そのまま我々に付き従え」
一人の隊長格の兵士が、硬い口調で告げる。
兵士たちは一気に室内に雪崩込み、あっという間に勇者の周囲を取り囲んだ。壁に立てかけられた彼女の愛剣も、躊躇なく回収されてしまった。
用意された衣服を着た勇者は普通の村娘にしか見えず、とても魔王を討ち滅ぼした者には見えない。しかし、兵士たちはそんな彼女に対しても最大級の警戒を緩めない。世界を救った英雄をまるで極悪人のように扱うその光景は、あまりにも異様だった。
「はい、わかりました」
勇者はうなずき、兵士たちに囲まれるようにして客室を後にする。
その彼女の表情には動揺の色は一片もなく、まるでこの結末を予期していたかのようだった。
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