1-3

 レティナの声が、木槌の音に重なった。


「売られているのが、あなたの娘だったら?」

「あなたの妹だったら、どうしますか?」


 ジュスタンの脳裏を、小さな手で光る石を持った魔族の少女がよぎった。

『野菜洗い、助かる。……いなくなるの、だめ』


 右の輪から、野次が飛ぶ。


「あれは新しい勇者の戦利品だってよ」

「いい仕事してるよな」

「かわいい……」


 その声が、喉の奥の怒りに火をつけた。

 こんな連中のために戦ってきたのか、という問いが、遅れて形になる。


 やめろ、と言うつもりはなかった。

 止める、と決めた覚えもない。


 気づいたときには、足が前へ出ていた。


 次の瞬間。


 ぐらり。


 左脚が遅れた。

 踏んだはずの足が空を踏み、膝が石畳に当たった。


 鈍い音。

 痛みより先に、恥が来る。


 手のひらが石を掴む。

 冷たい。硬い。

 顔が、地面に近い。


 笑い声が落ちてくる。

 上から。群衆の高さから。


「なんだこいつ」

「怪我人じゃねえか」

「どけよ、邪魔だ」


 笑いが増えて、耳にこびりつく。


 奥歯がきしむ。

 悔しいのに、怒る資格すら汚れた気がした。


「……ちょっと、待って」


 左側から別の声が、笑いの隙間に刺さった。


「あれ……元勇者じゃない?」

「大力の……ジュスタン? 行方不明だって聞いたぞ」

「……嘘だろ。なんでこんなところに」


 レティナの目線が初めて意識を持ち、ジュスタンを見る。

 その目に、同情はない。

 驚きと同時に利用可能かの計算だけがある。


 民衆も尊敬じゃなく珍獣を見る目だ。

 昔の見世物が、勝手に帰ってきたみたいな空気だ。


 ジュスタンは歯を食いしばって起き上がる。

 松葉杖に体重を預け、左脚を引きずって前へ出る。


「銀貨五枚!」

「十!」

「二十だ、二十! 顔がいい!」


「うるさいんだよお前ら…。」

 数字が、奥歯を噛ませる。


「〜〜っ!」


 盾の列の先頭で、女騎士が顔を上げた。

 空気が、針みたいに尖る。


「これは…英雄波!?」


 女騎士が鋭く叫ぶ。

「勇者が力を起こす前触れだ。下がれ!」


 次の瞬間、レティナの目がジュスタンへ跳ねた。

「攻撃性が高い!」

「ミオ!」


 隣の少女が、もう杖を構えていた。

「はい!お姉様!」

 聖法の結界が二人を覆う。




「人を値札で呼ぶなァァァァァァァァァ!!」

(  スキル「大力→喉」 咆哮:2  )




 音じゃない。

 圧だ。


 近くの者は胸を押されたみたいに後ずさり、膝が抜けて尻餅をつく。

 遠くの者は反射で耳を塞ぐ。


 歓声が、喉の奥で引っかかった。

 広場が一拍だけ黙る。


 次の瞬間、悲鳴と罵声が破れて噴き出した。

 露店の布がばたんとめくれ、吊った木札がいっせいに鳴る。

 古い窓の薄いガラスが、きし、と嫌な音を立てた。


 騎士の鎧が震えた。

 金具が共鳴して、胸当ての上で小さく鳴り続ける。


 群衆の形が崩れる。

 ジュスタンの前に、息をする幅だけの道ができた。


 聖法の膜の向こうで、レティナが目を細めた。

 ミオはまだ杖を構え、結界を張っている。


 薄い光の膜が、怒声の圧を外へ逃がす。

 膜の縁で、空気が小さく震えた。


 膜の向こうで、レティナは笑いもせずに目を細めた。


「へぇ……」


 怯えも怒りもない。

 獲物でも数えるみたいに、ただ薄く笑っている。

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