第8章:傷跡と鈴の音


 餓狼隊(がろうたい)の駐屯地に戻った天(テン)たちは、早速、董(トウ)の歓迎会を開いていた。と言っても、焚き火を囲んで仙(セン)の作った得体の知れない煮込み料理を食べるだけだ。だが、その雰囲気は以前よりも少しだけ明るかった。

「おいおい、なんだその食いっぷりは! 喉に詰まらせるぞ!」

 元山賊の部下が、目を丸くして叫ぶ。彼の視線の先では、董が自分の顔ほどもある肉塊を手づかみで貪っていた。咀嚼もそこそこに飲み込み、次々と鍋の中身をさらっていく。その食欲は、小柄な体のどこにそんな容量があるのかと疑いたくなるほどだ。

「……んぐ、んぐ。……もっと」

 董が空になった椀を突き出す。口の周りは脂でベタベタだが、その瞳には初めて「満足」という感情が浮かんでいた。

「はいはい、おかわりね。あんた、いい食べっぷりするじゃない」

 仙が呆れながらも、鍋の底から肉をすくい上げる。

「ありがとう……毒、入ってないね」

「失礼な。味見くらいしてるわよ。……まあ、隠し味に滋養強壮のマムシ粉末は入れてるけど」

 董は一瞬動きを止めたが、すぐに気にせず食べ始めた。毒だろうが何だろうが、今の彼女にとっては満腹になることが最優先事項のようだった。

 天はその様子を、少し離れた岩の上から眺めていた。右腕の包帯を巻き直しながら、律(リツ)が近づいてくる。

「いい拾い物をしましたね、大将。彼女の戦闘データ、分析しましたがあれは異常です。関節の可動域、反射神経、筋持久力。どれをとっても常人の数値を逸脱しています」

「ああ。ありゃあ天性の殺し屋だ。親父(呂布)の軍にも、あんな奴はいなかった」

「しかし、精神面が不安定すぎます。戦闘中に暴走するリスクが高い。手綱を握れるのは、あなただけでしょうね」

 律は眼鏡を光らせた。

「それと、もう一つ問題が」

「なんだ」

「彼女の顔です。あの火傷の痕……あれがある限り、彼女は正規軍の兵士たちから差別され続けるでしょう。戦場では『目立つ』こと自体がリスクになります」

 天は董を見た。焚き火の明かりに照らされた彼女の横顔。左頬の火傷痕が、影を落としている。彼女自身、それを隠すように髪を垂らしているのが痛々しい。

「……そうだな。なんとかしてやりたいが」

 その時、仙が董に近づき、何やら話しかけているのが見えた。仙の手が、董の火傷痕に触れる。董がビクリと身を竦めるが、仙は引かない。天は興味を持って二人の会話に耳を傾けた。

「……随分と古い傷ね。焼印?」

 仙が問う。

「……見ないで。汚いから」

 董が顔を背ける。

「汚くはないわよ。ただの組織の壊死。皮膚が再生する過程で癒着しただけ」

 仙は懐から、小さな陶器の瓶を取り出した。

「これ、塗ってみなさい」

「……なに、これ」

「私の特製軟膏。薬草のエキスと、あと……まあ企業秘密の成分を混ぜたものよ。古い傷跡の皮膚を柔らかくして、再生を促す効果があるの」

 仙は指先に透明な軟膏を取り、董の頬に塗った。ひんやりとした感触。董が目を丸くする。

「……痛くない」

「当たり前でしょ。痛み止めも入ってるわ。これを毎日塗り込めば、完全に消えるとは言わないけど、随分目立たなくなるはずよ」

 仙はぶっきらぼうに瓶を押し付けた。

「あんた、顔立ちは悪くないんだから。そんな傷で台無しにするのはもったいないわよ」

 董は瓶を握りしめた。

「……どうして? 私なんかに」

「別に。あんたが可愛くなれば、部隊の士気が上がるでしょ。ただの投資よ」

 仙はツンと顔を背けて鍋の方へ戻っていった。董はしばらく瓶を見つめていたが、やがて小さく呟いた。

「……ありがとう。仙」

 その言葉に、天は口元を緩めた。この部隊は、傷ついた者同士の吹き溜まりだ。だからこそ、互いの傷の痛みがわかる。仙の「投資」という言葉の裏にある、不器用な優しさ。それが、この過酷な環境で生きる彼らの絆を強くしていくのだろう。


 翌日。

 餓狼隊の駐屯地に、派手な鈴の音が響き渡った。

 シャラン、シャラン。

 その音を聞いただけで、誰が来たのかわかる。

「よぉ、薄汚ねえ野郎ども。息してるか?」

 甘寧(カンネイ)だ。

 彼は派手な羽織をなびかせ、大量の荷車を引き連れて現れた。荷車には、新品の槍、鎧、そして樽いっぱいの酒と食料が積まれている。

「甘寧将軍! こ、これは……?」

 律が目を丸くして駆け寄る。

「見舞いだよ。お前ら、合肥(がっぴ)で相当消耗したんだろ? 補充だ」

 甘寧は天幕から出てきた天を見つけ、ニカッと笑った。

「よう、天。腕の調子はどうだ」

「おかげさまでな。箸も持てねえよ」

 天は苦笑しながら、荷車の山を見上げた。

「こんな大量の物資、どこから調達したんだ? 正規の補給ルートじゃ、俺たちには回ってこないはずだろ」

「ああ、その通りだ。補給担当の役人は、『餓狼隊ごときに回す予算はない』なんてほざいてやがったよ」

 甘寧は腰の鈴を鳴らしながら、悪戯っ子のような顔をした。

「だから、ちょっと『説教』してやったんだ」

「……説教?」

「ああ。役人の執務室に乗り込んでな。机を真っ二つに叩き割って、『俺の兄弟分に飯を食わせねえなら、テメェの倉庫を全部燃やすぞ』って優しくお願いしてやったのさ」

 律が頭を抱えた。

「……脅迫じゃないですか。軍規違反ですよ」

「うるせえ! 戦場で命張ってる奴らが腹減らしてるのに、後ろでふんぞり返ってる奴らが肥え太ってるのが気に食わねえんだよ!」

 甘寧は唾を吐き捨てた。

「それに、孫権様も黙認してる。あの若殿、口では言わねえが、お前らのことを買ってるぜ。古参の爺さんたちの手前、おおっぴらには支援できねえが、俺が泥をかぶる分には目をつぶってくれる」

 天は荷車の中身を手に取った。槍の穂先は鋭く研がれ、鎧も革の匂いがする新品だ。これだけの装備があれば、戦力は大幅に向上する。

「……恩に着るぜ、甘寧」

「勘違いすんな。これは貸しだ。次の戦で、倍にして返してもらうからな」

 甘寧は天の肩をバンと叩いた。その衝撃で天の顔が歪む。

「痛(い)てぇな! 怪我人だぞ!」

「ハッハッハ! 怪我人なら大人しく寝てろ! ……と言いたいところだが、そうもいかねえぞ」

 甘寧の表情が、急に真剣なものに変わった。

「天。お前に渡したいものがある」

「なんだ? また変な酒か?」

「違う。……人だ」

 甘寧が合図をすると、荷車の陰から百人近い男たちが現れた。

 彼らは正規の軍服を着ていない。薄汚れた服に、鋭い目つき。その雰囲気は、餓狼隊の連中とよく似ていた。

「こいつらは?」

「俺の部下の中でも、特に手に負えねえ暴れん坊どもだ。命令違反は日常茶飯事、上官を殴って独房入りしてた奴もいる。俺の部隊ですら持て余してた『劇薬』どもさ」

 甘寧は男たちを指差した。

「こいつらを引き取ってくれ。お前の部隊なら、こいつらの使い道があるだろ」

 天は男たちを見渡した。どいつもこいつも、一筋縄ではいかない面構えをしている。だが、その瞳の奥には、抑圧された暴力への渇望が見えた。

「……なるほどな。正規軍の枠に収まりきらない連中か」

 天はニヤリと笑った。

「いいぜ。全員、俺が飼いならしてやる」

 男たちの中から、一人の小柄な男が進み出た。腰に二本の短剣を差している。目つきは鋭く、全身からカミソリのような殺気を放っている。

「アンタが新しい大将か? ……噂ほど強そうには見えねえな」

 挑発的な言葉。天は眉一つ動かさずに答えた。

「試してみるか? 片腕でも、お前くらいなら捻り潰せるぞ」

 男は鼻で笑い、目にも止まらぬ速さで短剣を抜いた。

 ヒュンッ!

 天の鼻先を刃が掠める。だが、天は動かなかった。瞬きすらせず、男を見据え続けている。

「……ほう。度胸はあるな」

 男は剣を納めた。

「俺の名は迅(ジン)。元は刀鍛冶の村で、試し斬り役をやらされてた。人を斬る感触だけが生きがいだ」

「俺は天だ。人を斬るのが好きなら、飽きるほど斬らせてやる。ただし、俺の命令がない時は抜くな」

「……へっ、面白え。ついて行ってやるよ」

 迅がニヤリと笑い、後ろの男たちもそれに続いた。

 さらに、もう一人。長身痩躯で、異様に腕の長い男が進み出た。背中には巨大な長弓を背負っている。

「俺は貫(カン)。山で猟師をしていた。百歩先の獲物の眉間を射抜ける」

「百歩か。太史慈将軍は百五十歩だったぞ」

「……チッ、あのおっさんと比べるな。だが、威力なら負けねえ」

 貫は太い腕を見せつけた。

 総勢五百名。

 迅率いる「双牙(そうが)隊」、貫率いる「鉄弓(てっきゅう)隊」、そして既存の断(ダン)率いる「砕牙(さいが)隊」、魏(ギ)率いる「鉄塊(てっかい)衆」。

 役者は揃った。だが、問題はここからだ。彼らは個としては強いが、集団としては烏合の衆だ。連携など皆無。このまま戦場に出れば、正規軍の餌食になる。

 天は、整列した荒くれ者たちを見下ろした。

「いいか、よく聞け」

 天の咆哮が響く。

「今日から一ヶ月。お前らを地獄に落とす」

 男たちがざわめく。

「地獄だ? 俺たちはもう地獄を見てきたんだよ」

「甘ぇ」

 天は一刀両断した。

「お前らが見てきたのは、ただの不幸だ。俺が見せるのは、強くなるための地獄だ。……ついてこれねえ奴は、今すぐ帰れ。ただし、残った奴は、俺が責任を持って最強にしてやる」

 天の瞳に、父・呂布の狂気が宿る。

「覚悟しろよ。今日から休みはねえ。飯も自分で獲れ。寝る間も惜しんで殺し合え」

 こうして、餓狼隊の「一ヶ月の地獄合宿」が始まった。


 それは、文字通り壮絶なものだった。

 まずは基礎体力。三十キロの岩を背負っての山岳マラソン。遅れた者は飯抜き。脱落者は容赦なく置き去りにされる。

 次に、実戦形式の模擬戦。木刀ではない。刃引きしただけの鉄剣を使用する。骨折、打撲は日常茶飯事。仙の治療所は、常にうめき声で満たされた。

 迅の双牙隊には、目隠しをしての乱戦を強いた。

「目で見るな! 気配で斬れ! 味方を斬ったら殺すぞ!」

 天の怒号が飛ぶ。竹林の中で、迅たちは互いに傷つけ合いながら、皮膚感覚で敵味方を識別する術を体に叩き込んでいく。

 貫の鉄弓隊には、さらに過酷な課題が与えられた。動く標的――走る董(トウ)を射抜くことだ。

「ちょ、待って! 本当に撃つの!?」

 董が悲鳴を上げながら逃げ回る。彼女の人間離れした柔軟性と回避能力は、格好の的だった。

「当たり前だ! 外したら晩飯の肉はなしだぞ! 董に当てたらボーナスだ!」

「ふざけんなッ!」

 貫が矢を放つ。殺気立った矢が、董の頬を掠める。極限状態での射撃。動く標的を偏差射撃で捉える感覚が、彼らの体に叩き込まれていく。

 そして、最も重要なのは「連携」だ。

 魏の鉄壁の後ろから、貫が射撃し、その隙を突いて迅が切り込む。

 最初はバラバラで、同士討ちばかりしていた。だが、天は諦めなかった。

 自ら、まだ自由にならない右腕を庇いながら、左手一本で丸太を担ぎ、仮想敵として立ちはだかった。

「来い! 全員でかかってこい! 俺を倒せなきゃ、戦場では一秒で死ぬぞ!」

 天の圧倒的な暴力。それに立ち向かう中で、荒くれ者たちの間に奇妙な連帯感が生まれていった。

「右だ! 迅、回れ!」

「魏、盾を出せ!」

 律の指示が飛び、兵たちが動く。個の力が、一つの巨大な奔流へと変わり始める。


 一ヶ月後。

 餓狼隊の駐屯地は、以前とは全く違う空気に包まれていた。

 殺気立っているが、静かだ。無駄口を叩く者はいなくなった。全員の目が、ギラギラと光っている。

 天は、整列した五百人の狼たちを見渡した。傷だらけで、泥まみれだ。だが、その立ち姿には、一本の芯が通っていた。

「……悪くねえ面構えになったな」

 天が言うと、迅がニヤリと笑った。

「大将のおかげで、地獄めぐりも悪くねえってわかったよ」

「ああ。次は本物の地獄を見せてくれ」

 貫が弓を撫でる。董も、魏も、律も、仙も、全員が頷いた。

 準備は整った。正規軍からはじき出されたクズたちが、最強の牙を手に入れた瞬間だった。


 その時、伝令の早馬が駆け込んできた。

 正規の伝令兵だ。彼は、異様な殺気を放つ集団に気圧されながらも、震える声で告げた。

「伝令ッ! 孫権様より勅命です!」

 天たちが集まる。ついに初陣の命令が下る。

「長江の上流にある『黒龍砦(こくりゅうさい)』。そこを拠点とする河賊・郭石(かくせき)を討伐せよ!」

 黒龍砦。それは長江の難所にある天然の要塞だ。郭石は数千の河賊を束ね、呉の補給船を度々襲撃している。正規軍が何度か討伐に向かったが、険しい地形と水陸両用のゲリラ戦術に阻まれ、手出しできずにいた場所だ。

 律が眼鏡を押し上げた。

「……なるほど。正規軍が攻めあぐねている汚れ仕事ですか。我々のデビュー戦にはおあつらえ向きですね」

「ああ。難攻不落の要塞か。燃えるじゃねえか」

 天は方天画戟を包む布に触れた。まだ、完全に使いこなす自信はない。だが、この部隊となら、やれる気がした。

「野郎ども! 出陣だ! 餓狼隊の恐ろしさ、世間に教えてやろうぜ!」

「おおおおおッ!」

 餓狼たちが雄叫びを上げる。それは、獲物を見つけた狼の遠吠えだった。

 時は建安十二年、初夏。

 赤壁の戦いへと続く時代のうねりの中で、凶星の部隊が、最初の狩りへと解き放たれた。

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