プロローグ②
ノースアロライナ地方には豊かな自然がある。海と山に囲まれ平野部には大きな川が流れている。大地には魔力が浸透し、空には竜が飛んでいた。6歳の少女ウラフリータが暮らしているお屋敷の自室の窓からはそんな景色が一望できた。
窓の外に見える様々な未知のなかでウラフリータの心を惹いたのは、海に浮かんでいる大きな船だった。船には様々な用途があったが、ウラフリータはそれを知らず、ただ一目惚れだった。なにより形が好きだったのだ。
ウラフリータはノースアロライナ地方を治める領主の娘として生を受けた。大貴族の娘として何不自由なく生活することが許され、賢かったウラフリータは幼いながらにその自らに与えられた特権に気付いていた。
ギフテッドなのだろう。生まれつき高い知能があった。目に映るものをシンプルな図形でデフォルメする。耳で聞いた言葉たちが頭のなかでビジュアルイメージとして鮮明に残る。才能に溢れ賢いウラフリータは周囲から可愛がってもらえる。
お屋敷のなかで、大切に育てられた。
まるで宝石箱に閉じ込めた宝石のように。
しかし、死神に見つかった。
◇◇◇
その日は猛暑だった。
ウラフリータは朝の暑さで目を覚ました。まだ眠い目を擦る。身体が汗ばんでいるのを感じる。寝間着の薄いドレスを指でつまんで浮かす。たしかに汗で濡れていて肌の色が透けている。ウラフリータはベッドから降りた。
ウラフリータの部屋はベッドを中心に貴族の女子が好みそうなレイアウトだった。一人が使うには大きすぎるであろう広さである。窓に背中を向ける形で勉強机が置いてある。勉強机の手前にはこれまた机。こちらの机は背丈が低く、ソファーに座ってお菓子やお茶を楽しむためのテーブルだ。そして壁際には大きな棚が置いてある。
大きな棚にはいくつもの船の模型が並んでいた。ウラフリータがこよなく愛する大きな帆船の模型から、小さなボートまで、様々な種類の船の模型だ。コレクター気質なのか、オタク気質なのか、実家の財力や権力を惜しみなく使用して、好きなものを好きなだけ収集していた。
船の模型を眺めていると、自然と口角が上がる。
しかし模型を眺めるだけで満足するような女の子ではない。ウラフリータは何事も本物を求める。そして今日は生まれて初めて本物の船に乗る日だ。煩わしい側近が起床の合図に来るまで、ウラフリータは模型を眺めて想像する。
(ああ、あの黄金よりも美しく純粋な船に、宝石のような自分が乗ったとして、海の神はわたしを連れ去ってしまうのだろうか)
この極めて詩的な妄想が、ウラフリータの頭のなかでは鮮明に映像として思い浮かんでいる。
使用人たちが部屋に来た後、ウラフリータは朝食を取り、外行きの服装に着替えることになる。それから使用人たちを引き連れてクルトコの港町に馬車で向かう。町に着き、領主お抱えの船乗りに挨拶をして、船に案内するように催促する。
焦るウラフリータに注意を促すため、船乗りの頭領が口を開く。
「ウラフリータ様、海は危険です。あそこには、死神が住んでいます。毎年のようにウチの若いのが攫われてしまいます。死神は若さを欲しています。ウラフリータ様のような子供は死神に狙われることでしょう。十分、気を付けるようお願いします」
注意はウラフリータにさほど響いていない。しかし側近たちは頭領の言葉に気を引き締めた。側近のなかでも比較的若いモルシーナは、ウラフリータが死神に攫われそうになったときには自分が身代わりになると、心に決める。
側近たちの決心をよそにウラフリータは船に対面した。
船に乗り込むときの最初の一歩。ウラフリータの足は震え、靴の裏の焦点はなかなか定まらず、不安定な足元のせいで身体が揺れ、腰のあたりを側近に抑えてもらいながら、夢にまで見たその一歩を踏み出した。
ガトン。ガトン。と、軽い体重を乗せた靴が船板を叩く。それだけでウラフリータの表情は花が咲いたようになる。乗っただけでこの興奮だ。船が動き出したら卒倒するのではないかと、側近たちはひやひやしていた。
今回のクルーズでは出航からローマ海の沖に出て、ぐるりと回って帰ってくる安全なルートを通る予定だ。ウラフリータにもどこへ向かいたいという希望はなく、ただ船に乗りたいというだけなのでそうなった。
頭領から出向の合図が上がる。船員たちはあわただしく動き、ウラフリータは大人しく船が動くのを待っている。
「ふふふ。死神は我慢ができるのかしら?」
出航と同時に、ウラフリータは呟いた。船が海をかきわけて進む間、側近たちはウラフリータから目を離さない。ウラフリータは船の際に立ち、壁に捕まりながら遠くを眺めていた。船が進んでも景色はさほど変わらない。しかしそれで良かった。
モルシーナはたったそれだけで満足をするウラフリータが不思議だった。自らも今まさに船に乗っているわけだが、自分の主人がこの状況を何をどう楽しんでいるのか想像ができない。
気になったモルシーナは同僚の一人に聞いてみる。
「これって何が楽しいんですかね? わたしはウラフリータ様が満足ならそれでいいのですが、本当に満足しているのか気になって。ほら、賢い人ですから、迷惑をかけないように、これで満足している演技をしているとも思えてきませんか?」
「さあ?」
同僚は陰鬱とした雰囲気の女性だった。昨今の情勢を考えれば陰鬱とする気持ちも分かる。ノースアロライナでは中央の政変の余波を受けて、内乱が発生しようやく沈静化に向かっているのだ。モルシーナの実家は完全に勝ち組だが実家が負け組になった貴族たちは未来に希望が持てない。
「さあ、ってまじめに考えてくださいよ」
「まじめ……。そうね、ウラフリータ様は死神を所望しているわ」
同僚は頭領の言葉を思い出し、死神という言葉を口にする。表情には笑みが浮かんでいたが、楽しくて笑っているような雰囲気ではない。あまりに暗い様子なので、死神を所望しているのは同僚の方ではないかと、モルシーナは心配だった。
時が経ち、船はローマ海を折り返し、何事もなくクルトコの港町に向かっていた。海は波もなく穏やかで、船もほとんど揺れることはない。モルシーナは、果たして何を警戒したらいいのかと、海の旅が何事もなく終わったことにホッと胸をなでおろす。
船の先に立つウラフリータの視線の先にはノースアロライナが見えた。自分の生まれ育った清く、美しい町だ。目に見えるものしか見ることができないのが勿体なくて、ウラフリータは目を瞑った。
ウラフリータの頭のなかには黒が生まれる。
その黒に白く線が引かれ、立体的に現実を映し出す。やがてその頭のなかの黒の上では、海と、ノースアロライナと、船と、ウラフリータが思い描かれる。自分の目では自分を見ることはできないけど、目を閉じることでウラフリータは自分自身を見ることができた。
自分が世界の一部になった感覚だ。
圧倒的な全能感。
そして満足感。
その後。
背中に強い衝撃がある。身体のなかで、ドン! という音が反響し、目を閉じたまま浮遊感に襲われる。数秒間の風圧と空虚さの後、水に落ちた衝撃が身体のなかのものを全て吐き出させ、ウラフリータを空っぽにする。
死神は、ウラフリータを海に連れ去った。
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