第20章「清浄亭は本日も営業中」

魔王討伐から、三年が経った。


 世界は——変わっていた。


 瘴気の発生は、劇的に減少した。穢れの源泉が消滅したことで、新たな汚染は——ほとんど、起きなくなった。


 残っていた穢れも——清浄ギルドの活動により、着実に浄化されていった。


 今では——北の国境地帯でさえ、人々が普通に暮らせるようになっている。


「セイイチさん——報告です」


 セラが、帳簿を持ってきた。


「今年度のギルド全体の実績——浄化件数、五万件。支部数——十五。所属浄化師——三百人」


「三百人——」


 洗一は、数字を見つめた。


「最初は——俺一人だったんだがな」


「そうですね」


 セラは、微笑んだ。


「私が入ったときは——店も、小さな空き家でした」


「ああ。あの頃は——水汲みだけで、一日が終わりそうだった」


 二人は、笑い合った。


 清浄亭の本店は——今や、ミズベ最大の建物になっていた。


 五階建ての本館。隣接する研修棟。倉庫。宿舎。


 従業員は、百人を超えている。


 だが——洗一は、今でも現場に立っていた。


「いらっしゃいませ」


 店の受付で、客を迎える。


「これ——落としてほしいんだけど」


 客が持ち込んだのは、汚れたシャツだった。


 洗一は、シャツを受け取った。


 【汚染鑑定】を発動する。


 ——素材:綿

 ——汚染:油汚れ(軽度)、泥汚れ(軽度)

 ——穢れ:なし


 普通の汚れだ。穢れは、ない。


 昔は——穢れのある依頼ばかりだった。だが、今では——こういう普通の依頼が、増えている。


 穢れが減ったから——普通の汚れが、目立つようになったのだ。


「明日の夕方には、お渡しできます」


「ありがとう」


 客が去った後、洗一はシャツを作業台に置いた。


 そして——自分で、洗い始めた。


「セイイチさん」


 セラが、呆れたように言った。


「そういうのは、若い子に任せてください。ギルドマスターが——」


「いいんだ」


 洗一は、シャツを水に浸しながら言った。


「俺は——職人だ。現場を離れたら——腕が鈍る」


「もう——」


 セラは、ため息をついた。


 だが、その顔には——笑みが浮かんでいた。


 夕方、洗一は店の裏手に出た。


 そこには——小さな祠があった。


 前世の家族の——位牌を納めた祠だ。


 この世界に家族はいない。だが、前世で——家族がいたことは、事実だ。


 妻と、娘。


 疎遠になったまま、死んでしまった。


「……すまなかったな」


 洗一は、祠に向かって頭を下げた。


「俺は——仕事ばかりで、お前たちを、ないがしろにしてしまった」


 風が、吹いた。


「でも——この世界では、違う生き方を、しようと思う」


 洗一は、顔を上げた。


「仕事は——続ける。だが、仲間を大切にする。弟子を育てる。一人で抱え込まない」


 祠は、何も答えなかった。


 だが——洗一には、家族が許してくれたような気がした。


 夜、洗一は店の窓から、夜空を見上げていた。


 星が、輝いている。


 この世界に来て——もう、五年が経っていた。


 最初は——何もわからなかった。


 言葉も、文化も、魔法も——全てが、未知だった。


 だが——一つだけ、変わらないものがあった。


 汚れを落とす。


 それが、俺の仕事だ。


 前世でも、この世界でも。


「セイイチさん」


 セラの声が、背後から聞こえた。


「まだ——起きてましたか」


「ああ。少し——考え事を」


「何を考えてたんですか?」


「……色々とな」


 洗一は、振り返った。


 セラは——もう、子供ではなかった。


 二十歳を超え、立派な大人になっている。


 清浄ギルドの副マスターとして、ギルドの運営を支えている。


「お前も——変わったな」


「私ですか?」


「ああ。最初に会ったときは——痩せっぽちの孤児だった」


 セラの顔が、少し赤くなった。


「そ、そんな昔のこと、言わないでください——」


「今は——立派な浄化師だ。俺の——誇りだ」


 セラの目に、涙が浮かんだ。


「セイイチさん……」


「泣くな。……いつも、泣いてばかりだな」


「だ、だって——セイイチさんが、急に——」


 洗一は、セラの頭を撫でた。


「ありがとう」


「え——?」


「俺の弟子になってくれて。俺を——支えてくれて」


 セラは、しばらく言葉を失っていた。


 やがて、彼女は——涙を拭いて、笑った。


「私こそ——ありがとうございます。セイイチさんに拾ってもらって——」


「拾ったわけじゃない。お前が——選んだんだ」


「……はい」


「これからも——よろしく頼む」


「はい。こちらこそ——」


 翌朝、洗一は——いつも通りに、起きた。


 水槽の水を確認し、作業場の掃除をする。


 そして——店の看板を、出す。


「清浄亭——本日も、営業中」


 最初の客が、やってきた。


「いらっしゃいませ」


 洗一は、笑顔で迎えた。


「何か、お困りですか?」


「これ——落とせるかしら」


 客が差し出したのは、汚れたドレスだった。


 洗一は、ドレスを受け取った。


 【汚染鑑定】を発動する。


 ——素材:絹

 ——汚染:ワイン染み(中程度)

 ——穢れ:なし


「大丈夫です。落とせます」


「本当に?」


「ええ。俺は——汚れを落とす職人ですから」


 窓の外には、青空が広がっていた。


 穢れのない、澄んだ空。


 洗一は、深呼吸をした。


 この世界に来て——五年。


 多くのことがあった。


 呪いを落とし、瘴気を浄化し、穢染公を倒し、魔王を討った。


 だが——俺の仕事は、変わらない。


 汚れを落とす。


 一着ずつ。一人ずつ。


 それが——清水洗一の、生き方だ。


 店の奥から、若い浄化師たちの声が聞こえてきた。


「セイイチさん——次の研修、いつからですか?」


「来週からだ。準備しておけ」


「はい!」


 新しい世代が、育っている。


 彼らが——この仕事を、受け継いでいく。


 洗一は——満足だった。


 夕方、店を閉めるとき——


 洗一は、看板を見上げた。


「清浄亭」


 あらゆる汚れを、落とします。


 最初に掲げた、あの言葉。


 今も——変わっていない。


 そして——これからも、変わらない。


 洗一は、静かに微笑んだ。


「さて——明日も、仕事だ」


【第20章・了】


【完】

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