第18章「清浄ギルド」

穢染公の討伐から、半年が経った。


 清浄亭は——大きく、変わっていた。


 かつての小さな店は、今や三階建ての建物になっている。一階が受付と作業場、二階が従業員の住居と研修室、三階が洗一の私室と倉庫。


 従業員も、七人から——二十人に増えていた。


 セラ、トム、エマ、ルカの四人を筆頭に、孤児院からの採用者、他の町からの転職者——様々な経歴を持つ者たちが、清浄亭で働いている。


「セイイチさん、王都からの使者が来ています」


 セラが、報告に来た。


「王都——? 何の用だ」


「わかりません。ただ——宰相府からの使者だそうです」


 宰相府。


 国政の中枢だ。


 洗一は、使者を応接室に通した。


 使者は、初老の男だった。官吏らしい几帳面な身なりで、表情は硬い。


「清浄亭店主、清水洗一殿でよろしいか」


「ああ」


「私は宰相府筆頭書記官のヴェルナー。陛下と宰相閣下からの命を受けて参りました」


 陛下。王からの命。


 洗一の背筋が、自然と伸びた。


「お聞きしたい」


「穢染公討伐における貴殿の功績は、王宮でも高く評価されております」


「光栄なことです」


「つきましては——陛下より、貴殿に提案がございます」


 ヴェルナーは、懐から書状を取り出した。


「『清浄ギルド』の設立許可、および、貴殿のギルドマスター就任を、認可いたします」


「清浄ギルド——?」


 洗一は、書状を受け取った。


 そこには、確かに——王の署名と、王璽が押されていた。


「陛下は——穢れの浄化を、国家事業として推進したいとお考えです」


 ヴェルナーの声は、淡々としていた。


「現在、王国内の穢れ汚染は——深刻な問題となっております。北の国境だけでなく、各地で瘴気の発生が報告されています」


「知っている」


「しかし、穢れを浄化できる人材は——極めて少ない。教会の浄化儀式は高価で、効果も限定的。貴殿の技術こそが——王国の希望なのです」


 洗一は、しばらく黙っていた。


 ギルドの設立。


 それは——清浄亭を、国家公認の組織にするということだ。


 メリットは大きい。王室からの支援、法的な保護、社会的な地位——


 だが、デメリットもある。政治に巻き込まれる可能性。自由な経営の制限。国家の命令に従う義務——


「返答は——いつまでに」


「一週間以内にお願いいたします」


 ヴェルナーは、立ち上がった。


「陛下は——貴殿の決断を、お待ちしております」


 使者が去った後、洗一は一人で考えた。


 ギルドの設立。


 前世で言えば——業界団体の設立に相当する。


 クリーニング業界にも、組合や協会があった。情報共有、技術向上、業界全体の発展——そういった目的で活動していた。


 この世界でも——同じことが、できるかもしれない。


 穢れの浄化技術を、広める。


 俺一人では——限界がある。だが、ギルドを作り、人材を育成すれば——より多くの人を、救える。


 だが——


 政治に巻き込まれるリスク。


 権力者の道具にされるリスク。


 俺は——ただの職人だ。政治など、わからない。


「セイイチさん」


 セラの声が、背後から聞こえた。


「考え事ですか」


「ああ」


 洗一は、窓の外を見ていた。


「ギルドの設立——どう思う」


「私には——難しいことは、わかりません」


 セラは、洗一の隣に立った。


「でも——セイイチさんがやりたいなら、やればいいと思います」


「やりたいかどうか——自分でも、よくわからない」


「本当ですか?」


 セラの目が、洗一を見つめていた。


「セイイチさんは——いつも言ってましたよね。『汚れを落とすのが、仕事だ』って」


「ああ」


「ギルドを作れば——もっと多くの汚れを、落とせるようになるんじゃないですか?」


 洗一は、しばらく黙っていた。


 セラの言葉は——正しかった。


 汚れを落とす。それが、俺の仕事だ。


 ギルドを作れば——より多くの汚れを、落とせる。


 それは——俺の仕事の、延長線上にある。


「……そうだな」


 洗一は、頷いた。


「やってみるか」


 一週間後、洗一は王都を訪れた。


 王宮での謁見。


 洗一にとって、初めての経験だった。


 大理石の床。黄金の装飾。高い天井。


 玉座には——王が座っていた。


 白髪の老人。痩せた体躯。だが、その目には——鋭い光が宿っている。


「清水洗一——近う寄れ」


 王の声が、広間に響いた。


 洗一は、玉座の前まで進み、跪いた。


「面を上げよ」


 洗一は、顔を上げた。


 王の目が——洗一を、じっと見つめていた。


「お前が——穢染公を倒した男か」


「はい」


「報告は聞いている。穢れの核を破壊し、穢染公を消滅させた。見事な働きだ」


「恐れ入ります」


「ギルドの設立——受けてくれるか」


 洗一は、一瞬、躊躇した。


 だが——


「お受けいたします」


 その言葉は、自然と口から出た。


 王の顔に、かすかな笑みが浮かんだ。


「よい返答だ。期待しておるぞ」


 こうして——「清浄ギルド」が、誕生した。


 本部は、清浄亭。


 ギルドマスターは、清水洗一。


 副マスターは——セラ。


「私が——副マスター……?」


 セラは、信じられないという顔をした。


「当然だ。お前は——俺の最初の弟子だ。誰よりも、この仕事を理解している」


「でも——」


「自信がないか?」


「……あります。でも——責任が重くて……」


「責任は重い。だが——お前なら、背負える」


 洗一は、セラの目を見据えた。


「俺は——お前を信じている」


 セラの目に、涙が浮かんだ。


「……わかりました」


 彼女は、深く頭を下げた。


「精一杯、努めます」


 ギルドの最初の仕事は——人材の育成だった。


 各地から、志願者が集まってきた。


 穢れの浄化を学びたい。清浄ギルドで働きたい。


 洗一は、彼らのために——「浄化師養成カリキュラム」を作成した。


 基礎コース(三ヶ月):クリーニングの基本、素材の知識、汚れの分類

 中級コース(六ヶ月):穢れの検出、基本的な浄化技術、顧客対応

 上級コース(一年):高度な浄化技術、呪術汚染への対処、マネジメント


「これは——すごいですね」


 トムが、カリキュラムを見て言った。


「俺たちが学んだことを——体系化したものだ」


「体系化——」


「個人の経験を、誰でも学べる形にする。それが——組織の強みだ」


 最初の研修生は、二十人だった。


 各地から集まった若者たち。男も女も、貴族も平民もいる。


 洗一は、彼らの前に立った。


「今日から——お前たちは、浄化師見習いだ」


 二十人が、緊張した面持ちで聞いている。


「俺は——三十年以上、汚れを落とす仕事をしてきた。その全てを、お前たちに教える」


「三十年——?」


 一人の若者が、驚いた声を上げた。


「でも——店主殿は、三十歳くらいにしか見えませんが……」


 洗一は、かすかに笑った。


「色々あったんだ。気にするな」


 彼は、真剣な目で研修生たちを見回した。


「大事なのは——過去じゃない。これから、何を学ぶかだ」


 研修は、厳しかった。


 朝六時から、夜八時まで。座学と実技の繰り返し。


 脱落者も出た。


 だが、残った者たちは——確実に成長していった。


 三ヶ月後、基礎コースを修了した者は——十五人。


 彼らは、「浄化師見習い」の資格を得て、各地の支部に配属された。


 支部の設立も、進んでいた。


 ミズベの本部に加えて——王都、北の砦、東の港町——三つの支部が、開設された。


 各支部には、清浄亭で訓練を受けた浄化師が配属されている。


 そして——ギルドの看板が、各地に掲げられた。


「清浄ギルド——あらゆる穢れを、浄化します」


 評判は、瞬く間に広まった。


 依頼は、増え続けた。


 衣類の穢れ、装備の浄化、建物の除染——


 そして——人間の穢れ祓い。


 瘴気に侵された人々を、浄化する。


 それは——命を救う仕事だった。


「セイイチさん」


 ある日、セラが報告に来た。


「今月のギルド全体の処理件数——三千件を超えました」


「三千——」


「昨年の同月比で——十倍以上です」


 洗一は、数字を見つめた。


 三千件。


 それは——三千人の人々を、救ったということだ。


「よくやっている。全員に、伝えてくれ」


「はい」


 セラは、頭を下げた。


 だが、彼女は——立ち去らなかった。


「セイイチさん」


「なんだ」


「私——最近、思うことがあります」


「何を」


「セイイチさんは——変わりましたね」


 洗一は、セラを見た。


「変わった——?」


「はい。前は——一人で、全部やろうとしていました。でも今は——みんなに任せている」


「……そうかもな」


「いいことだと、思います」


 セラは、微笑んだ。


「一人じゃ——限界がありますから。でも、みんなでやれば——もっと遠くまで、行けます」


 洗一は、しばらく黙っていた。


 変わった。


 確かに——変わったのかもしれない。


 前世では、俺は——孤独だった。


 家族とも疎遠になり、仕事に没頭し、一人で全てを抱え込んでいた。


 だが、この世界では——違う。


 仲間がいる。弟子がいる。組織がある。


 一人じゃない。


「……ありがとう」


 洗一は、静かに言った。


「お前のおかげだ」


「私の——?」


「お前が——最初の弟子だったから。俺は、人を育てることを、学べた」


 セラの目に、涙が浮かんだ。


「セイイチさん……」


「泣くな。仕事中だろう」


「は、はい——すみません——」


 セラは、慌てて涙を拭いた。


 洗一は、窓の外を見た。


 空は、青く晴れている。


 この世界に来て——もう、二年近くが経っていた。


 まだ——やるべきことは、たくさんある。


 魔王は、まだ健在だ。穢れの根源は、まだ滅んでいない。


 だが——


 今は——これでいい。


 一歩ずつ。一日ずつ。


 汚れを落とし、人を育て、組織を作る。


 それが——俺の仕事だ。


【第18章・了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る