第8章「ドライとウェット」
会議は、翌朝の開店前に行われた。
五人が、作業場の中央に集まった。洗一、セラ、トム、エマ、ルカ。
「今日は、業務改善について話し合う」
洗一は、木製のホワイトボードを指さした。
「現状の問題点を、洗い出したい。普段の作業で、困っていること、改善できそうなことがあれば、遠慮なく言ってくれ」
沈黙が流れた。
若者たちは、互いに顔を見合わせている。
やがて、トムが口を開いた。
「……洗浄の工程で、待ち時間が発生しています」
「待ち時間?」
「はい。溶剤を塗布してから、浸透するまでの時間です。その間——何もできずに、ただ待っているだけに」
「なるほど」
洗一は、頷いた。
確かに、シミ抜きや穢れの処理には、「待ち時間」が発生する。酵素が働く時間、溶剤が浸透する時間——それらを有効活用できていない。
「他には?」
エマが、手を挙げた。
「受付で——お客様の説明が、うまく伝わらないことがあります」
「どういうことだ」
「例えば、『この染みを落としてほしい』と言われても、どの染みのことか、わからないことがあって……。検品のときに、改めて確認するんですが、それでも見落としが——」
「なるほど」
洗一は、考えた。
受付と検品の間で、情報が正確に伝わっていない。これは、重大な品質問題につながりうる。
「ルカは?」
「俺は——その、力仕事はいいんですけど……」
ルカは、言いにくそうに言った。
「水槽の水を入れ替えるの、すごく時間がかかるんです。一日に三回やってるんですけど、それだけで、一時間以上かかって——」
「水の入れ替え——か」
これも、改善の余地がある。
前世の工場では、給排水設備が整っていた。ポンプで自動的に水が供給され、使った水は排水溝に流れる。
だが、この世界では——全て手作業だ。
「セラは?」
「私は——」
セラは、少し考えてから言った。
「検品で、穢れの有無を確認するのに、時間がかかります。セイイチさんは一目でわかるみたいですけど、私たちには——」
「ああ、それは——俺の能力の問題だな」
【汚染鑑定】は、洗一にしか使えない。弟子たちには、穢れを「見る」手段がない。
これは——解決すべき課題だった。
会議の結果、いくつかの改善策が決まった。
まず、「待ち時間の有効活用」。
洗浄工程で待ち時間が発生したら、その間に別の作業(検品、仕上げ)を行う。これにより、一人あたりの処理効率が向上する。
次に、「受付時の情報記録」。
依頼品を受け取るとき、汚れの場所を図で示した「受付シート」を作成する。これにより、受付と検品の間の情報伝達が確実になる。
そして、「給排水設備の改善」。
ゴルドに依頼して、井戸から作業場までパイプを引く。ポンプは無理でも、高低差を利用した重力式の給水システムなら、実現可能かもしれない。
「最後に——穢れの検出について」
洗一は、四人の顔を見回した。
「これは、俺が教える。時間はかかるが——お前たちにも、穢れを感じ取る方法を、身につけてもらう」
「感じ取る——?」
セラが、首を傾げた。
「穢れは、目に見えない。だが——感じることはできる」
洗一は、作業台の上に、いくつかの布を並べた。
清潔な布が三枚、穢れに汚染された布が一枚。
「この中で、穢れている布はどれか。手で触れずに、感じ取ってみろ」
四人が、布を見つめた。
沈黙が流れた。
やがて、セラが口を開いた。
「……三番目?」
「なぜ、そう思った?」
「なんとなく——嫌な感じがして……」
「それだ」
洗一は、頷いた。
「穢れは、本能的な嫌悪感として感じられる。最初は曖昧だが、訓練すれば——精度が上がる」
「でも——それだと、間違えることも——」
「間違える。最初は、しょっちゅう間違える」
洗一は、真剣な目で四人を見つめた。
「だから、訓練するんだ。毎日、繰り返し。間違えるたびに、感覚を修正していく。そうすれば——いずれ、俺と同じように、穢れを感じ取れるようになる」
訓練は、その日から始まった。
毎朝、開店前の三十分間。洗一が用意した「穢れ検出訓練」を行う。
最初は、四人とも、正答率は五割程度だった。コイントス並みの精度。
だが、一週間後には——六割に上がった。
二週間後には——七割を超えた。
「セラ——今日は、九割正解だ」
訓練三週目の朝、洗一が報告した。
「本当ですか……?」
「ああ。もう、十分な精度だ。お前には——穢れ検出の才能がある」
セラの顔が、パッと輝いた。
「ありがとうございます……!」
「他の三人も、八割を超えている。全員、合格だ」
トム、エマ、ルカも、安堵したような表情を浮かべた。
「これで——穢れの検出は、お前たちに任せられる」
洗一は、四人の顔を見回した。
「俺の仕事は——穢れの『浄化』だ。検出まで俺がやっていたら、時間が足りない。分業の効果を、最大限に発揮するんだ」
そして、もう一つの課題——洗浄方法の体系化——にも取り組んだ。
「この世界の洗浄方法を、整理する」
洗一は、ホワイトボードに図を描いた。
「基本は三種類。ドライ、ランドリー、ウェットだ」
四人が、真剣な顔で聞いている。
「ドライクリーニング——この世界では、『魔力溶剤洗浄』と呼ぶことにする」
洗一は、魔力溶剤の入った瓶を見せた。
「魔力系の汚れに効果的だ。呪い、瘴気、魔力付与の劣化——こういったものは、ドライで処理する」
「水は——使わないんですか?」
エマが訊いた。
「使わない。魔力系の汚れは、水に溶けない。むしろ、水で処理すると——汚れが定着することがある」
四人が、頷いた。
「次に、ランドリー——『聖水洗浄』と呼ぶ」
洗一は、別の瓶を見せた。中には、かすかに光る水が入っている。
「アンデッド系の穢れに効果的だ。死霊の残穢、腐敗の呪い——こういったものは、ランドリーで処理する」
「聖水って——どうやって手に入れるんですか?」
ルカが訊いた。
「教会から購入できる。高いが——効果は確実だ」
最後に、洗一はホワイトボードの中央を指さした。
「そして、ウェットクリーニング——『複合処理』だ」
四人の表情が、真剣になった。
「これは、ドライとランドリーの両方を組み合わせる。最も難度が高いが——最も効果的でもある」
「どういう場合に使うんですか?」
セラが訊いた。
「複合的な汚染——魔力系とアンデッド系が混在している場合。あるいは、通常の処理では落ちない、強固な穢れ」
洗一は、四人の目を見据えた。
「ウェットは——当面、俺が担当する。お前たちには、まだ早い」
「いつか——私たちにも、できるようになりますか?」
セラが訊いた。
「なる」
洗一は、断言した。
「お前たちが、十分な経験を積めば——必ず」
設備の改善も、着々と進んでいた。
ゴルドが設計した給水システムが、完成した。
井戸から作業場まで、木製のパイプが引かれている。作業場の裏手に設置された大きな水槽——「貯水タンク」——に水を溜め、そこから重力で各作業台に水を供給する仕組みだ。
「よくできてるな」
洗一は、完成したシステムを見て言った。
「ドワーフの技術を舐めるなよ」
ゴルドが、髭を撫でながら言った。
「これで、水汲みの手間は——半分以下になるはずだ」
「助かる。ルカが喜ぶ」
実際、ルカは大喜びだった。
一日三時間かかっていた水の管理が、一時間以下に短縮された。その分の時間を、他の作業に回せるようになった。
そして、もう一つ——重要な設備が導入された。
「これは——なんですか?」
セラが、見慣れない装置を見つめていた。
金属製の大きな箱。上部には蓋があり、側面には魔法陣が刻まれている。
「乾燥機だ」
洗一は、装置の蓋を開けた。
「ゴルドと、エルフのエルフィナに協力してもらって作った」
中には、格子状の棚がある。ここに洗い終わった衣類を置くと——
「この魔法陣が、温風を発生させる。自然乾燥だと一日かかるものが、一時間で乾く」
「すごい……」
エマが、目を輝かせた。
「前世の乾燥機と比べれば——まだまだ原始的だがな」
洗一は、苦笑した。
「だが、ないよりはずっといい」
設備が整い、業務フローが改善され、人員の訓練が進んだ。
清浄亭は——着実に、成長していた。
一日の処理能力は、開業当初の三倍以上になった。
品質も、安定している。検品の見落としは減り、仕上げの精度は上がっている。
そして何より——
「いらっしゃいませ。清浄亭へようこそ」
セラが、笑顔で客を迎えていた。
彼女の接客は、この一ヶ月で見違えるほど上達していた。丁寧で、温かく、それでいてプロフェッショナル。
トムは、黙々と洗浄作業を続けている。彼の手つきは、既に熟練工のそれに近づいていた。
エマは、受付と検品を担当している。彼女の明るい性格は、客との信頼関係構築に役立っていた。
ルカは、仕上げと配達を担当している。力仕事だけでなく、細かい作業もこなせるようになっていた。
四人とも——成長している。
洗一は、その姿を見て、深い満足を感じていた。
「セイイチさん」
セラが、閉店後に声をかけてきた。
「明日から——騎士団の甲冑が届きますね」
「ああ」
「私たち——ちゃんと、やれるでしょうか」
洗一は、セラの目を見つめた。
「やれる」
断言した。
「お前たちは——もう、立派な職人だ」
セラの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……」
「感謝は、仕事が終わってからでいい」
洗一は、窓の外を見た。
月が、静かに輝いている。
「明日から——本当の戦いが始まる」
【第8章・了】
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