第7章「領主の依頼」

馬車が、清浄亭の前で停まった。


 朝靄がまだ残る時刻だった。洗一は、窓越しにその馬車を見た。黒塗りの車体に、金の装飾。御者台には、紋章入りの制服を着た男が座っている。


 貴族の馬車だ。


「セイイチさん、お客様です」


 セラが、緊張した声で報告に来た。


「見えている。対応する」


 洗一は、店の入口に向かった。


 馬車から降りてきたのは、初老の男だった。灰色の髪を後ろに撫でつけ、整った髭を蓄えている。服装は質素だが、仕立ては上等だ。


「清浄亭の店主か」


「ああ。何かご用で」


「私はハインリヒ・フォン・ミズベ。この町の領主だ」


 領主。


 洗一は、わずかに姿勢を正した。


 ミズベの領主といえば、この地域を治める貴族だ。騎士団の副団長ガルディスとは、また別の権力者。


「何か、ご依頼でしょうか」


「うむ。中で話したい」


 洗一は、領主を店内に案内した。


 セラが、慌ててお茶を用意しようとするのを、洗一は目で制した。領主は、そういう形式を求めて来たのではないだろう。


「単刀直入に言おう」


 ハインリヒは、椅子に腰を下ろしながら言った。


「お前の噂は聞いている。穢れを落とせる職人だと」


「ありがたいことです」


「騎士団の副団長ガルディスが、お前を推薦していた。彼の目に狂いはない」


 洗一は、黙って聞いていた。


「我が家に——代々伝わる旗がある」


 ハインリヒの表情が、わずかに曇った。


「建国の英雄と共に戦った先祖が、王より賜った品だ。五百年以上の歴史がある」


 五百年。


 エルフ絹の百二十年を超える、途方もない年月だ。


「その旗が——穢れに侵されている」


「穢れ——瘴気ですか」


「いや、それとは違う」


 ハインリヒは、首を振った。


「三年前から——旗の色が、少しずつ褪せ始めた。専門の職人に見せたが、原因がわからないと。教会に持ち込んでも、浄化の効果がなかった」


 洗一は、考えた。


 色褪せ。通常の経年劣化なら、五百年も持つはずがない。何か、特殊な保存処理が施されているのだろう。


 そして、その保存処理が——何らかの理由で、機能しなくなっている。


「見せていただけますか」


「今は持ってきていない。お前が——引き受けてくれるなら、届けさせる」


 洗一は、少し考えてから答えた。


「見てみなければ、何とも言えません。ただ——見る価値はあると思います」


 ハインリヒの目が、わずかに細められた。


「見る価値——か。慎重な物言いだな」


「約束できないことは、約束しません」


「……ふん。正直な男だ」


 ハインリヒは、立ち上がった。


「明日、旗を届けさせる。見てくれ」


「承知しました」


 領主は、それだけ言って、店を出ていった。


 翌日、約束通り旗が届けられた。


 運んできたのは、領主の家令と思しき男だった。彼は、細心の注意を払いながら、木箱を作業台に置いた。


「これが——御旗です」


 洗一は、木箱を開けた。


 中には、布に包まれた旗があった。


 包みを解くと——


 息を呑んだ。


 深い紺色の地に、金と銀の刺繍。王国の紋章と、ミズベ家の紋章が、精緻な技法で描かれている。


 だが、その色は——確かに、褪せていた。


 本来は深い紺色であったはずの地が、灰色がかって見える。金の刺繍も、くすんでいる。


 【汚染鑑定】を発動する。


 ——対象:儀礼旗(ミズベ家家宝)

 ——素材:絹(古代織法)、金糸、銀糸

 ——汚染:魔力劣化(重度)。保存魔法の崩壊が進行中。

 ——経過:約500年。保存魔法は約3年前から機能低下。

 ——特記:素材自体は良好。魔力の補充により復元可能。


 魔力劣化。


 この旗には、古代の保存魔法がかけられていた。その魔法が、五百年の時を経て、ついに効力を失い始めている。


 色褪せの原因は、汚れではなく——魔力の枯渇だった。


「……なるほど」


 洗一は、つぶやいた。


「原因が——わかったのですか?」


 家令が、緊張した声で訊いた。


「ああ。これは——汚れではない。魔力の問題だ」


「魔力——?」


「この旗には、古代の保存魔法がかけられている。その魔法が、機能を失い始めている」


 家令の顔が、青ざめた。


「では——もう、直せないと……?」


「いや。直せる可能性はある」


 洗一は、旗を丁寧に畳んだ。


「魔力を補充すれば、保存魔法は復活する。問題は——どうやって補充するか、だ」


 その夜、洗一は一人で旗と向き合っていた。


 魔力の補充。


 【溶剤生成】で魔力溶剤を作ることはできる。だが、それは「汚れを落とす」ための溶剤であって、「魔力を与える」ためのものではない。


 全く逆の作用が必要だった。


 ——俺の能力は、「万物洗浄」だ。落とすことはできても、与えることはできない。


 いや、待て。


 洗一は、考えた。


 「洗浄」とは何か。


 汚れを落とすこと——だけではない。


 「元の状態に戻す」こと。


 それが、クリーニングの本質だ。


 この旗の「元の状態」は——魔力に満ちた、鮮やかな紺色の旗だ。


 なら——


 洗一は、【溶剤生成】を発動した。


 今度は、「汚れを落とす溶剤」ではなく、「元の状態に戻す溶剤」をイメージする。


 手のひらに——淡い金色の光が、集まり始めた。


 これは——溶剤というよりも、純粋な魔力そのものだった。


「復元加工——」


 洗一は、つぶやいた。


 前世のクリーニング用語だ。傷んだ生地を、薬品と技術で元の状態に近づける処理。


 この世界では——魔力で、それができるかもしれない。


 洗一は、金色の光を旗に注ぎ込んだ。


 ゆっくりと、丁寧に。急ぎすぎれば、古い魔法を壊してしまうかもしれない。


 時間をかけて、少しずつ——


 一時間後。


 旗の色が——変わり始めた。


 灰色がかっていた地が、深い紺色を取り戻していく。くすんでいた金の刺繍が、輝きを取り戻していく。


「……成功だ」


 洗一は、深く息を吐いた。


 完全ではない。まだ、本来の鮮やかさには届いていない。


 だが、方向性は——間違っていなかった。


 三日間の作業を経て、旗は完全に復元された。


 洗一は、完成した旗を広げて、最終確認を行った。


 深い紺色の地。金と銀の刺繍。五百年前の職人が込めた技術と魂が、再び輝いている。


 【汚染鑑定】で確認する。


 ——魔力劣化:解消

 ——保存魔法:再活性化(推定耐用年数:約200年)

 ——素材状態:良好


 二百年。


 完全に元通りとはいかなかったが、少なくとも、あと二百年は持つ。


 ハインリヒの曾孫の代まで——この旗は、守られる。


 領主が、自ら旗を受け取りに来た。


「これは——」


 ハインリヒは、旗を見て、言葉を失った。


「素晴らしい……祖父の代に見た旗と——同じだ」


「完全に元通りとは言えません。保存魔法の効力は、約二百年分しか回復できませんでした」


「二百年——十分だ」


 ハインリヒの目に、涙が浮かんでいた。


「この旗は——私の家の誇りだ。建国の英雄と共に戦った先祖の証。それが——失われようとしていた」


 彼は、旗を胸に抱いた。


「お前は——我が家を救ってくれた」


「大げさです。俺は——汚れを落としただけです」


「汚れ? 違う」


 ハインリヒは、首を振った。


「お前は——歴史を守ったのだ」


 その日から、清浄亭はミズベ領主家の「お抱え」となった。


 領主家の衣類、装飾品、家具の布地——全てが、清浄亭に委託されることになった。


 報酬は、金貨五十枚。


 そして、それ以上に価値があったのは——「領主のお墨付き」という信用だった。


「セイイチさん、依頼が増えすぎです……」


 セラが、悲鳴を上げた。


 受付台には、依頼品が山積みになっていた。領主家との契約が知れ渡ってから、町中の貴族や商人が、こぞって依頼を持ち込んでくるようになったのだ。


「嬉しい悲鳴だ」


 洗一は、依頼品を整理しながら言った。


「だが——態勢を整えないと、破綻する」


「態勢——ですか?」


「ああ。騎士団の依頼も控えている。このままでは、手が回らない」


 洗一は、考えた。


 人員は、五人。設備は、整った。


 だが、処理能力には限界がある。


 もっと——効率的な方法が必要だ。


「セラ」


「はい」


「明日から、業務フローを見直す。全員で、会議をするぞ」


「会議——ですか?」


「ああ。お前たちの意見を聞きたい。現場で働いている人間にしか、見えないことがあるはずだ」


 セラの目が、驚きで見開かれた。


「私たちの——意見……?」


「当然だ。お前たちは、従業員じゃない。仲間だ」


 洗一は、セラの目を見据えた。


「一緒に——この店を、大きくしていくんだ」


 セラは、しばらく黙っていた。


 やがて、彼女の目に——涙が浮かんだ。


「……はい」


 その声は、震えていた。


「私——頑張ります」


【第7章・了】

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