第2章「はじまりの一着」

革鎧から、獣脂の腐りかけた匂いが立ち上っていた。


 若い冒険者——名をカイルといった——は、その鎧を洗一の前に差し出しながら、どこか諦めたような顔をしていた。


「見ての通りだ。もう駄目だろう?」


 洗一は答えなかった。


 代わりに、鎧を受け取り、両手で持ち上げて光にかざした。ミズベの町の広場、その片隅で行われている即席の「診断」だった。木陰のベンチを作業台代わりに使っている。


 【汚染鑑定】が、視界に情報を浮かび上がらせる。


 ——表層:動物脂(魔獣由来)。酸化進行中。

 ——中層:タンパク質汚染(血液)。乾燥により繊維に固着。

 ——深層:穢れ(低濃度)。革の内部に浸透。約48時間経過。

 ——素材:魔獣革(牛種系)。耐久度やや劣化。熱処理不可。


「いつ、汚れた」


「三日前だ。森で魔獣の群れに囲まれて——なんとか逃げ切ったけど、この有様だよ」


 三日。洗一は眉をひそめた。


 血液汚染は、時間が経つほど落としにくくなる。タンパク質が変性し、繊維に化学的に結合してしまうからだ。三日というのは、ぎりぎりのラインだった。


「自分で何か処理したか」


「え? いや、水で軽く拭いただけだけど——」


「熱い湯は使ったか」


「いや、冷たい井戸水で——」


 洗一は、わずかに頷いた。


 正解だ。


 血液汚染に熱を加えるのは最悪の選択である。タンパク質が熱で凝固し、二度と落ちなくなる。このカイルという若者は、偶然とはいえ、正しい判断をしていた。


「落とせる」


「——は?」


 カイルの目が丸くなった。


「待て待て、嘘だろ。この町の革職人にも、教会の神官にも見せたんだ。どっちも無理だって——」


「革職人は、革の専門家であって汚れの専門家じゃない。神官は、穢れを祓う術を持っているかもしれないが、物理的な汚れには対処できない」


 洗一は、鎧を裏返した。内側も同様に汚染されている。むしろ、肌に直接触れる内側の方が、汗と皮脂の蓄積で状態が悪い。


「この鎧の問題は三層構造だ。表面の油脂、中間の血液、そして奥に染み込んだ穢れ。それぞれ異なるアプローチが必要になる」


「三層……?」


「順番を間違えれば、汚れは落ちるどころか定着する。だが、正しい順序で処理すれば——」


 洗一は、鎧を持ったまま立ち上がった。


「新品同様とまではいかないが、実用に耐えるレベルまで復元できる」


 カイルは、しばらく言葉を失っていた。


 やがて、おずおずと訊いてきた。


「……いくらかかる?」


「銀貨三枚」


「さ、三枚!?」


 予想通りの反応だった。


 洗一は、この町に着いてから数時間をかけて、物価の情報を集めていた。宿の一泊が銅貨五枚、食事が一回銅貨二枚。銀貨一枚は銅貨百枚に相当するらしい。つまり、銀貨三枚というのは、宿に六十泊できる金額だった。


 だが、洗一は値段を下げるつもりはなかった。


「新品の革鎧を買い直すなら、銀貨十枚はかかるだろう。この鎧には愛着があるんじゃないか?」


 カイルの表情が、わずかに揺れた。


「……これは、死んだ親父の形見なんだ」


「なら、なおさらだ。形見を捨てるのか? 銀貨三枚で済むのに?」


 沈黙が流れた。


 広場を吹き抜ける風が、獣脂の匂いを運んでいく。カイルは、自分の鎧を見つめていた。


「……本当に、落とせるのか」


「俺は、落とせないものを落とせるとは言わない」


 それは、三十年間の仕事で培った信条だった。


 できることは「できる」と言う。できないことは「できない」と言う。安請け合いは、結局、信頼を損なう。


「わかった。頼む」


 カイルが決断するまで、十秒もかからなかった。


 作業場がない。


 それが最初の問題だった。


 宿の部屋は狭く、水場もない。広場で作業するわけにもいかない。洗一は町を歩き回り、使えそうな場所を探した。


 見つけたのは、町外れの空き家だった。


 かつて染物屋だったらしく、裏手には大きな水槽と、排水のための溝が残っていた。屋根は半分崩れているが、壁はしっかりしている。


 所有者——先ほど声をかけてきた商人——に交渉し、三日間の「試用」を取り付けた。うまくいけば正式に借りる、という条件で。


 洗一は、水槽に井戸から水を汲み入れた。


 そして、作業を開始した。


 まず、表層の油脂処理。


 【溶剤生成】を発動する。


 手のひらに、魔力が集中する感覚があった。そこから、透明な液体が滲み出してくる。匂いを嗅ぐ。——石油系溶剤に近い。だが、より揮発性が低く、革を傷めにくい調整がなされている。


 「俺の経験を翻訳した」——神の言葉を思い出す。


 この溶剤は、洗一が三十年間使ってきた石油系ドライクリーニング溶剤を、この世界の「魔力」という媒体に置き換えたものなのだろう。組成は異なるが、機能は同じ。


 布に溶剤を含ませ、鎧の表面を丁寧に拭いていく。


 外側から内側へ。円を描くように。汚れを広げないのが鉄則だ。


 獣脂が溶け出し、布に移っていく。白い布が、瞬く間に茶色く汚れていく。布を何度も替えながら、作業を続けた。


 一時間後。


 鎧の表面から、油のぎらつきが消えた。革本来のマットな質感が戻ってきている。


 次は、血液処理。


 これが最も難しい工程だった。


 血液の主成分はタンパク質である。タンパク質を分解するには、プロテアーゼ——タンパク分解酵素——が必要だ。


 洗一は、【溶剤生成】で酵素溶液を精製した。


 濃度が重要だった。濃すぎれば革そのもののタンパク質まで分解してしまう。薄すぎれば効果がない。


 0.5%。


 長年の経験が、その数字を教えていた。


 綿棒の先に酵素溶液を含ませ、血液の染みにだけ塗布する。周囲の革に広がらないよう、細心の注意を払いながら。


 そして、待つ。


 酵素が働くには時間が必要だ。急いではいけない。


 洗一は、その間に鎧の内側の処理を進めた。こちらは汗と皮脂の蓄積だ。アルカリ性の洗浄剤で乳化させ、拭き取る。


 二十分後、血液の染みを確認した。


 茶色い色素が、わずかに浮き上がってきている。酵素がタンパク質を分解し、繊維との結合を弱めているのだ。


 蒸気を当てる。


 【プレス&フォーム】の応用だった。本来は形を整えるためのスキルだが、蒸気を発生させることもできる。


 蒸気の熱と湿気が、分解された血液成分を繊維から引き剥がす。バキューム機能がないので、清潔な布で素早く吸い取る。


 染みが——薄くなった。


 まだ完全ではない。あと二回、同じ処理を繰り返す必要がある。


 だが、確実に落ちている。


 洗一は、自分の技術がこの世界でも通用することを確信した。


 最後の工程は、穢れの浄化だった。


 これだけは、前世の知識では対応できない。


 洗一は、鎧を【汚染鑑定】で改めて分析した。


 穢れは、革の最も深い層に浸透していた。灰色の靄のような何かが、繊維の隙間に入り込んでいる。物理的な汚れではない。もっと——概念的な何か。


 だが、構造は見えた。


 穢れは、油溶性だった。


 水には溶けず、油——あるいは、油に近い性質の媒体——には溶ける。つまり、適切な「溶剤」があれば、抽出できるということだ。


 【溶剤生成】。


 今度は、魔力そのものを溶剤として精製する。


 手のひらから滲み出てきたのは、淡く光る液体だった。見た目は水に近いが、触れると——不思議な感覚がある。冷たいのに、温かい。液体なのに、気体のようでもある。


 「魔力溶剤」——とでも呼ぶべきか。


 洗一は、この溶剤を鎧全体に塗布した。


 そして、待った。


 十分後。


 鎧の表面に、灰色の靄が浮かび上がってきた。


 穢れだ。


 溶剤に溶け出し、表層に移動してきている。


 洗一は、清潔な布でそれを拭き取った。


 布が、わずかに灰色に染まった。穢れが——物質として、可視化されている。


 同じ作業を三度繰り返した。


 三度目には、もう灰色の靄は浮かんでこなかった。


 【汚染鑑定】で確認する。


 ——穢れ:検出されず


 落ちた。


 洗一は、深く息を吐いた。


 仕上げは、形状の復元だった。


 革鎧は、汚れだけでなく、形も崩れていた。肩当ては歪み、胸当ての端は反り返っている。これでは装着しても、本来の防御性能を発揮できない。


 【プレス&フォーム】を発動する。


 手のひらを鎧にかざすと、魔力が流れ込んでいく感覚があった。


 革が、わずかに軟化する。


 その状態で、本来あるべき形に整えていく。肩当てのカーブ、胸当ての湾曲、ベルトの穴の位置——全てを、記憶と経験に基づいて調整する。


 そして、形が決まったところで、魔力を引く。


 革が、再び硬化する。


 完了だ。


 洗一は、完成した鎧を持ち上げた。


 革の色は、元の深い茶色を取り戻していた。血液の染みは消え、形は正しく整っている。


 そして何より——穢れが、なくなっている。


 この鎧は、実用に耐える。


 いや、それ以上だ。


 元の状態より、むしろ良くなっているかもしれない。長年の使用で蓄積していた汚れが全て除去され、革本来の柔軟性が戻っている。


「——これが、クリーニングか」


 洗一は、一人でつぶやいた。


 前世では、この言葉に特別な響きはなかった。ただの仕事。汚れを落とす作業。それ以上でも以下でもない。


 だが、この世界では——


 穢れを落とせる。


 呪いを落とせるかもしれない。


 毒を落とせるかもしれない。


 腐敗を、瘴気を、絶望を——


 「落とせる」可能性が、そこにあった。


 翌日、カイルが鎧を受け取りに来た。


 彼の表情は、最初は疑わしげだった。銀貨三枚という大金を払ったのだ。それに見合う結果が出ていなければ、当然、怒りに変わるだろう。


 だが、鎧を手にした瞬間、その表情が凍りついた。


「これ——本当に、俺の鎧か?」


「他に誰のがある」


「いや、だって——こんなに——」


 カイルは、鎧を裏返し、表返し、光にかざし、匂いを嗅ぎ、何度も確認した。


「血の染みが——消えてる。あの黒ずみも。穢れの——あの嫌な感じも——」


「言った通りだ。落とせるものは、落とせる」


 カイルは、しばらく言葉を失っていた。


 やがて、彼は顔を上げた。その目には、驚きだけでなく、別の感情が宿っていた。


「なあ、あんた——」


「洗一だ。清水洗一」


「セイイチ……? 変わった名前だな。どこの出身だ?」


「遠い国だ。気にするな」


 カイルは、それ以上追及しなかった。代わりに、別のことを訊いてきた。


「この町で、店を開くつもりか?」


「考えている」


「なら——俺、宣伝してやるよ」


 予想外の申し出だった。


「冒険者ギルドに、顔が広いんだ。装備のメンテナンスで困ってる奴は多い。鍛冶屋は武器しか見ないし、革職人は鎧を直すだけで汚れは落とさない。あんたみたいな奴がいれば、助かる連中は山ほどいる」


 洗一は、少し考えた。


 宣伝。口コミ。顧客獲得。


 前世の工場では、そういった業務は営業部門の仕事だった。洗一自身は、ひたすら技術を磨き、品質を守ることに専念していた。


 だが、この世界では、自分一人で全てをやらなければならない。


「頼む」


 その一言で、契約は成立した。


 カイルは、満足げな顔で去っていった。ピカピカになった鎧を誇らしげに身につけて。


 洗一は、空き家の中に戻った。


 水槽には、作業で使った汚水が溜まっている。これを排水溝に流し、新しい水に入れ替える。道具を洗い、乾かす。


 次の依頼が来るまでに、準備を整えておかなければならない。


 三日後、洗一は正式にこの空き家を借りることを決めた。


 カイルの宣伝が効いたのか、すでに五件の依頼が舞い込んでいた。


 革鎧二件、布のマント一件、金属製の籠手一件、そして——「呪われているかもしれない」という謎の外套一件。


 洗一は、店の看板を作ることにした。


 木の板に、墨で文字を書く。この世界の文字は、なぜか読み書きができた。神が「翻訳した」というのは、言語能力も含まれていたらしい。


 看板には、こう書いた。


 ——清浄亭


 ——あらゆる汚れ、落とします


 看板を店の前に掲げた瞬間、洗一は不思議な感覚を覚えた。


 五十八年間生きてきて、自分の店を持つのは初めてだった。


 前世では、雇われの身だった。工場長とはいえ、会社員である。自分で値段を決め、自分で顧客と交渉し、自分で全ての責任を負う——そんな経験はなかった。


 だが今、この異世界で、洗一は「経営者」になった。


 怖さはなかった。


 むしろ、奇妙な高揚感があった。


 三十年間培ってきた技術を、自分の判断で、自分の価値観で、自分の顧客に提供できる。


 それは——悪くない気分だった。


 最初の正式な依頼は、意外なところから来た。


 冒険者ギルドの受付嬢——リーナという名の若い女性——が、店を訪ねてきたのだ。


「清浄亭の店主さんですか?」


 彼女は、二十代半ばくらいだろうか。栗色の髪を後ろで結び、ギルドの制服を着ている。その制服の胸元に、茶色い染みがあった。


「ああ。何か用か」


「実は、この制服を——」


 リーナは、恥ずかしそうに染みを指さした。


「朝、コーヒーをこぼしてしまって。ギルドの制服は支給品なので、汚したら自費で修繕しないといけないんです。でも、普通の洗濯屋さんでは落とせないって——」


 洗一は、制服を観察した。


 【汚染鑑定】が起動する。


 ——タンニン系汚染(コーヒー)。表層に付着。時間経過:約4時間。繊維への浸透:中程度。


 コーヒーの染み。


 これは、タンニン系汚れの典型である。タンニンは植物性の色素で、時間が経つと酸化して繊維に定着する。だが、四時間程度なら、まだ間に合う。


「落とせる。銅貨五十枚でどうだ」


「本当ですか!?」


 リーナの顔が、パッと明るくなった。


 洗一は、その反応を見て、少し複雑な気持ちになった。


 銅貨五十枚。この世界の感覚では、それなりの金額らしい。だが、洗一にとっては——ほんの十分程度の作業だ。


 前世では、こういう「簡単だが、一般人には難しい」仕事こそ、クリーニング業の本質だった。


 専門知識があれば、解決できる。


 その知識を持たない人にとっては、不可能に見える問題が。


「一時間後に取りに来てくれ」


 リーナは、嬉しそうに頷いて去っていった。


 洗一は、制服を水槽に浸けた。


 まず、ぬるま湯で全体を濡らす。次に、タンニン系汚れに効く酢酸溶液を染みの部分に塗布する。五分待ち、軽く揉み洗い。


 染みが——薄くなった。


 まだ完全ではない。酸化が進んでいる部分には、酸素系漂白剤が必要だ。


 【溶剤生成】で過酸化水素溶液を精製し、染みの部分にだけ塗布する。濃度は1%。これ以上濃いと、生地の色を抜いてしまう。


 十分後、すすぎ。


 染みは——消えていた。


 完璧だった。


 洗一は、制服を絞り、【プレス&フォーム】で乾燥させた。蒸気を当て、形を整える。シワのない、清潔な状態。


 約束の一時間が経過した頃、リーナが戻ってきた。


 制服を見た瞬間、彼女の目が丸くなった。


「——染みが、ない」


「言った通りだ」


「こんなに綺麗に——新品みたいです」


 彼女は、制服を何度も確認した。裏返し、光にかざし、匂いを嗅いだ。


「すごい……本当にすごいです、店主さん」


「洗一でいい」


「セイイチさん。この店、もっと広めないといけませんね」


 リーナは、銅貨五十枚を支払いながら、熱心に言った。


「ギルドの冒険者たち、装備のメンテナンスで困ってる人がたくさんいるんです。私、受付で紹介しますね」


「……ありがたい」


 洗一は、素直に感謝した。


 口コミ。紹介。これが、小さな店が成長するための最も確実な方法だった。


 リーナが去った後、洗一は店の中を見回した。


 まだ、設備はほとんどない。水槽と、いくつかの容器と、布の山だけだ。


 だが、これが——始まりだった。


 夕方、もう一人の来客があった。


 小さな影が、店の入口に立っていた。


 子供だった。


 十歳くらいの少女。ボロボロの服を着て、髪は汚れて絡まっている。頬は痩せこけ、目の下には隈がある。


 孤児だろう、と洗一は直感した。


 この町には、孤児院のようなものがあるのかもしれない。あるいは、路上で暮らしているのかもしれない。いずれにせよ、この少女は——困窮している。


「何か用か」


 洗一は、できるだけ柔らかい声で訊いた。


 少女は、しばらく黙っていた。


 やがて、小さな声で言った。


「……働かせてください」


 予想外の言葉だった。


「働く? ここで?」


「はい。なんでもします。掃除でも、水汲みでも、お使いでも——」


 少女の目は、真剣だった。必死、と言ってもいい。


 洗一は、少し考えた。


 従業員を雇う余裕はない。まだ売上が安定していないし、この店が長続きするかどうかもわからない。


 だが——


「名前は」


「……セラ」


「セラ。お前、字は読めるか」


「少しだけ……」


「計算は」


「足し算と引き算なら……」


 洗一は、頷いた。


「いいだろう。試しに一週間、働いてみろ。それで使えるようなら、正式に雇う」


 セラの目が、大きく見開かれた。


「ほ、本当ですか……?」


「嘘は言わない。ただし、楽な仕事じゃないぞ。朝は早いし、水は重いし、汚れ物の匂いは臭い。それでもいいなら——」


「やります! やらせてください!」


 少女の声が、初めて力強くなった。


 洗一は、わずかに口元を緩めた。


「じゃあ、まず——その服を脱げ」


「え……?」


「洗う。お前の服を。今のままじゃ、清浄亭の従業員として相応しくない」


 セラは、呆然とした顔で自分の服を見下ろした。


 確かに、ボロボロで、汚れていて、匂いもする。


「で、でも、着替えが——」


「俺の服を貸してやる。サイズは合わないだろうが、一晩くらいは我慢しろ」


 洗一は、自分の荷物から替えのシャツを取り出した。大人サイズのシャツは、セラには巨大なワンピースのようになるだろう。


 だが、清潔だ。


 それが、重要だった。


「清浄亭で働くなら、まず自分自身を清潔にすることから始める。それが——俺のルールだ」


 セラは、シャツを受け取った。


 その目に、何かが宿っていた。


 希望、だろうか。


 あるいは——信頼の、萌芽。


 洗一は、そんなことを考えながら、少女のボロ服を水槽に浸けた。


 まずは、泥を落とす。次に、汗の匂いを取る。そして、破れた部分を——いや、これは裁縫の仕事だ。俺の専門外だな。


 明日、誰かに頼もう。


 この町には、仕立て屋くらいあるだろう。


 洗一は、異世界での二日目の夜を、仕事をしながら過ごした。


 水槽の中で、汚れが溶け出していく。布が、少しずつ清潔になっていく。


 それは——前世と同じ光景だった。


 汚れを落とす。清潔にする。元の状態に戻す。


 三十年間、繰り返してきた作業。


 だが、この世界では——それが、もっと大きな意味を持つかもしれない。


 穢れを落とす。


 呪いを落とす。


 世界を——清浄にする。


 洗一は、水槽を見つめながら、静かにそう思った。


【第2章・了】

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