第3話 ドゥ―テスト
仕事帰り、午後6時。駅ナカのサンドラッグではなく、五日市通りを西永福側に歩いたところの、駅から離れたトモズに行きました。駅前店舗と違って人の流れが緩やかで、安心します。1秒でも早くお店から出るためなら、イライラする事も辞さないといったような駅前の人通りの多いお店とは、流れている空気と店内BGMが違います。
―今日の目的は。薬剤師さんです。ここは、少し年上で、いかにも幸せそうな家庭の一部でありそうな、でも、マウント感が全くない、一言で言えばものすごく優しいお姉さん?奥様?の薬剤師さんがお仕事をしてくれているのです。平日の夕方はこの方「藤本」さんがいることを知っている私は、小さな作戦を立てました。
今日買う予定の商品は、アマゾンでも買えます。ワンクリックで翌日配送されます。きっと、前の日の夜に注文すれば、次の日の夜仕事を終えて帰宅する頃には、小さな段ボールに入って、マンションの通路のドアの前に置かれているでしょう。でも、この「商品」は私の人生の運命を変えるかもしれないものなので、その光景は私の背中を冷やしました。別に、特別なことをして欲しい、とか、インスタにあげたい、とか、誰かに見て欲しい、とかそういう事ではないんです。本当です。でも、誰かに、私のこの買い物を認識してほしいという下心はあって。その感情は、いつも素敵な薬剤師さんを標的にしました。
しかし、当日。私のこの密かな計画は、準備不足であったことを思い知らされます。その「商品」は陳列棚に並んでいるものの、なかなか取りに行く勇気がわかず、ドラストコスメコーナーでじっとしている、私。監視カメラが見張っているとしたら、まるで、よからぬ企みをしているような顧客動線です。
私を店内を彷徨う民にしたのは「水曜日ポイント10倍!」でした。週半ばの仕事帰りの時間帯。お客さんが途切れなかったのです。レジ待ちの行列は、どう短く見積もっても10分は待ちそうでした。トモズの赤と紫の間のようなピンクのかごに、「ドゥ―テスト」を入れて、この男女入り混じった行列に並ぶ勇気は。持てません。購入前の商品を隠すこともできません。
柔軟剤のコーナーを2往復して、新製品の「ネロリ」の香りを覚えたころ、この事態を打開するアイデアが浮かんできました。「第二類医薬品」に分類されているのをいいことに、薬剤師としてフロアの医薬品コーナーにいる藤本さんに助けを求める、という完璧な作戦でした。
しかし、この完璧に見える作戦は、全く完璧ではなかったのです。仕方ないので、今度はドラストコスメコーナーに移動して、どれも効果がありそうな化粧水達の中から、最も自分の肌に合うものを探すふりをはじめ、今に至ります。
―というのも、
「ドゥ―テスト、どこですか?」
これはダメです。とても言える自信がありません。ただの商品名なのに、強すぎます。
「ちょっと、来てなくて」
これも、不採用です。なぜか悲壮感が漂ってきます。望んでいないかのようです。私は、そうじゃないのですから。
「生理不順について相談したいんですが」
これも…、スタートで目的からかなり外れてしまい、上手くガイドできる自信がありません。藤本さんが真剣に心配してくれたとしたら、私はたぶん彼女のおすすめのサプリメントや漢方薬を購入して、「ありがとうございます。」と言って、帰ってしまうでしょう。
そんなことを考えながら、オバジXの展示棚で新製品の「クリアアドバンスドローション」を手に取っています。頭の中で繰り広げられていることと、行動がまったく一致していません。ピュアビタミンC配合!と表示されていますが、不純なビタミンCもあるのでしょうか。
そんな時、藤本さんが、コスメコーナーの通路を通ります。多分、これは、偶然ではありません。彼女が何かを察してくれたのではないかと、感じます。
「いらっしゃいませ。失礼します」
と、一瞬だけ私の顔に目を止めてくれた彼女。今しかありません。
*
「あのっ」
「はい。何かお探しですか?」
「えとっ」
「こちらで承ります」
彼女は、薬剤師カウンターに私を案内してくれました。さっき考えている間、ずっと化粧水を握りしめていたので、変な人だと思われたのかもしれません。きれいにサンプルを元の位置に戻してから、勇気を出して、スマホの画面を差し出します。
「これ、ありますか?」
「…!はい、お持ちしますね」
と、言ってカウンターの奥にある医薬品保管棚から、「ドゥ―テスト」の箱を取り出す彼女。両手を添えて、商品名が他の人から見えにくいように、配慮してくれている、優しい手。その優しい手の左手の薬指には、有名ブランドの婚約指輪と結婚指輪が重ね付けされています。
ダイヤのサイズは0.25カラットくらいで、控えめ。きっと、旦那さんは少し無理をしたけれど、彼女は無理をさせ過ぎないように、「あまり大きくない方が普段つけやすいかも」といったのではないでしょうか。彼女の人柄と素敵な家族関係が想像できる薬指は、私の裸の薬指を辱めました。羨ましいです。正直に言ってしまうと、ちょっとだけ、嫉妬しています。
「医薬品になりますので、ご説明はいかがされますか?」
カウンターはレジの脇にあって、傍に、会計中の男性客が、います。もちろん、彼には何の罪もありませんが。それに、気づいた藤本さん。
「ご不要であれば、こちらで、お会計させて頂きます」
と「説明不要」の札を、そっとピッとやって、カウンターの一番奥、薄いレモン色のカバーがかけられた、恐らく返品などの対応が必要な時にだけ使うであろうレジを開けてくれました。
「458円です。ポイントカードはお持ちですか?」
彼女は質問しながら、クラフト色の少し分厚い紙袋に、それを入れて、ピッと音がするくらい綺麗に折り目をつけて、さらに二重に、トモズの薄い淡い色の紙袋に入れてくれました。女性がクラフト色の紙袋を持っていると、中身はほぼ特定されてしまうからでしょう。
「はい。あります。ピッ。支払い、Edyでお願いします」
「本日はポイント10倍デーです。白い端末が光りましたら、タッチお願いします」
「ピッ、シャリリーン」
「ありがとうございました」
と言ってくれた彼女の笑顔には、普段買い物をするときは絶対違う、多分私だけに向けてくれたであろう笑顔を感じて。私は、とても、いいことが起きる気が、していました。ポイントも10倍です。ふと考えると、状況はかなり複雑です。それとも、きっと、いい結果になるって、信じていました。
「ありがとうございました」
お礼にお礼を返すと、空気が柔らかくなります。お店を出てすぐに、五日市通りの人通りの少ない道を永福町に向かって歩きます。サミットと、京王バスの都会にあるとは信じられないくらい大きなバスターミナルが右手に見えます。
「金曜日、うちでごはん食べない?わたし、カオマンガイ得意なんだよ」
って、とても、とても、幸せな気持ちで送信ボタンを押しました。
京王バスのクリーム色の車体が、夕日に照らされています。どこまでも続いていきそうな、信じられない程真っすぐな五日市通り。背中には大好きな街、吉祥寺。たくさんの人の一日を運んで役目を終えた車体が、ゆっくりとターミナルに右折して入っていきます。背景は、言葉にするのが難しいくらい、綺麗です。空はまだぎりぎり淡い青なのに、遠くに掛かっている薄雲だけが夕日を浴びてオレンジのこの時間。―スマホが振動しました。
「嬉しい!仕事早く終わらせたい。から連絡しないでレッドブル」
意味の分からない文章ですが、全部、伝わっています。伝わってるよ。
雨、階段、石鹸。 サンズイモドル @Namida_Susugu
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