第4話「氷の公爵と呪われた胃袋」

 城での生活が始まって一週間。私の日常は劇的に変化していた。

 かつての「罪人」という扱いはどこへやら、今では「厨房の救世主」あるいは「奇跡の料理番」として、使用人たちから崇められている。

 朝はガストンと共にメニューを考案し、昼は温室の修復と薬草の栽培、そして夜はアレクセイのための特別な夕食作り。

 私の作る薬膳料理は、城の人々の健康状態を著しく改善させていた。

 肌艶が良くなり、誰もが活き活きと働いている。

 スノーは片時も私のそばを離れず、私が移動するたびに銀色の尻尾を揺らしてついてくる。まるで大きな忠犬だ。


 しかし、問題の核心であるアレクセイの呪いは、まだ完全には解けていなかった。

 食事を摂れるようになり、顔色は良くなったものの、彼が時折見せる苦痛の表情は消えていない。

 特に夜、城全体が冷気に包まれる頃、彼の魔力が不安定になり、体内の氷結が進行しているようだった。


 ある夜、私は夜食のハーブティーを持って、アレクセイの私室へと向かった。

 カモミールとラベンダー、それに安眠効果のある干した果実をブレンドしたものだ。

 ノックをしようと手を上げた時、部屋の中から何かが砕けるような音がした。

 続いて、苦しげな呻き声。


「くっ……鎮まれ……!」


 私は躊躇わず扉を開けた。


「閣下!」


 部屋の中は、まるで真冬の屋外のように凍てついていた。

 床も壁も家具も、全てが分厚い氷に覆われている。

 その中心で、アレクセイが胸を押さえて膝をついていた。

 彼の体から青白い魔力が噴出し、制御を失って暴走している。

 彼の右腕は肘まで氷に覆われ、それが徐々に肩へと侵食していた。


「来るな! 凍るぞ!」


 アレクセイが叫ぶ。

 その声は悲痛だった。

 近づけば死ぬ。本能がそう告げている。

 でも、ここで引くわけにはいかない。

 私は盆を床に置き、一歩踏み出した。

 肌を刺すような冷気。息をするだけで肺が凍りそうだ。

 だが、不思議と恐怖はなかった。

 私の体の中で、例の「熱」が呼応するように燃え上がったからだ。


『私の魔力は、治癒と浄化。そしてこの熱は、彼の氷を溶かすためのもの』


 私は両手を広げ、彼に駆け寄った。

 氷の風が私のドレスを切り裂くが、構わない。

 私は凍りつきかけた彼の体を、正面から強く抱きしめた。


「なっ……! バカかお前は! 離れろ!」


「離しません! このままでは、貴方の心が凍ってしまいます!」


 彼の体は氷塊のように冷たかった。

 だが、私が触れた部分から、ジュッという音と共に氷が溶けていく。

 私の体温と魔力が、彼の中に流れ込んでいくのがわかる。

 暴れ狂う吹雪のような彼の魔力を、私の穏やかな魔力が包み込み、宥めていく。


「大丈夫です、アレクセイ様。私がいます。温かい料理も、温かいお茶も、私がいくらでも作ります。だから、一人で抱え込まないで」


 私の言葉に、硬直していた彼の体がわずかに震えた。

 侵食していた氷が止まり、やがて水となって床に滴り落ちる。

 部屋を覆っていた冷気が、徐々に薄れていく。


「……お前は、本当に」


 アレクセイの腕が、ためらいがちに私の背中に回された。

 そして、強く、すがりつくように抱きしめ返される。

 彼の顔が私の肩に埋められ、震える吐息がかかる。


「温かい……」


 彼は譫言のように繰り返した。

 私たちはしばらくの間、そのままでいた。

 冷え切った部屋の中で、互いの体温だけが頼りだった。

 やがて魔力の暴走が収まると、アレクセイは顔を上げ、私を見つめた。

 その赤い瞳は、いつもの冷徹さではなく、どこか潤んでいるように見えた。

 そして、彼は思いがけないことを口にした。


「……俺の専属になれ」


「え?」


「料理番だけではない。俺の側近として、常に傍にいろ。お前の料理と、その……体温がなければ、俺はもう生きていけないかもしれん」


 それは事実上のプロポーズ……にしては実用本位すぎるが、彼なりの最大限のデレなのだろうか。

 私は思わず吹き出してしまった。


「ふふ、胃袋を掴んだと思ったら、体温まで求められるとは思いませんでした」


「笑うな。俺は真剣だ」


 彼は少し赤面しながら、咳払いをした。


「条件はどうだ? 王都へ帰りたいなら、力ずくでも帰してやるが」


「いいえ。私はここにいます。ここには私の居場所がありますし、何より……放っておけない患者さんがいますから」


「患者扱いか。……まあいい。契約成立だ」


 そう言うと、彼は私の手を取り、甲に口づけを落とした。

 その唇は、もう冷たくはなかった。

 公爵様の不器用な契約の証。

 心臓がトクトクと高鳴るのを感じながら、私は改めて彼を支える決意を固めた。


 その翌日、城内の空気が一変した。

 これまで「罪人」として一線を引かれていた私は、公爵公認の「特別補佐官」兼「専属料理長」という謎の役職を与えられ、誰もが私に敬意を払うようになったのだ。

 何より変わったのはアレクセイだ。

 彼は執務の合間に頻繁に厨房へ顔を出すようになり、「毒見」と称してはつまみ食いをしていく。

 そして、私がスノーと遊んでいると、どこからともなく現れては無言で混ざろうとするようになった。


「閣下、お仕事は?」


「休憩だ。……その獣、撫でるとそんなに気持ちいいのか?」


「はい、最高ですよ。閣下もどうですか?」


 アレクセイは恐る恐る手を伸ばし、スノーの頭を撫でた。

 スノーは一瞬唸りそうになったが、私が目配せすると、我慢して撫でさせた。


「……悪くないな」


 アレクセイは満足げに微笑んだ。

 その笑顔は破壊力抜群で、通りかかったメイドたちが数人気絶しかけていた。

 氷の公爵の雪解けは、予想以上のスピードで進んでいるようだった。

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2026年1月12日 19:00
2026年1月13日 19:00
2026年1月14日 19:00

追放された薬膳聖女は氷の公爵様を温めたい~胃袋を掴んだら呪いが解けて溺愛されました~ 藤宮かすみ @hujimiya_kasumi

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