第2話

 医務室で怪我を治してもらってから、ヴィヴィカは一人でヴォーパル家の屋敷の中を、キッチン目指して歩いた。

 広い屋敷は、ヴォーパル一族のためのもの。その大きな屋敷をしかし、管理するのはメイドたちの仕事だった。

 ヴィヴィカをはじめ、ほとんどのメイドたちはティーメイドかコーヒーメイドのどちらかに振り分けられる。メイドたちの大半はこの二つに分けられており、明確にいがみ合う理由があったのは、もう過去の話だ。

 それでも、特にティーメイドたちは、手ぶらで廊下を歩くヴィヴィカを見ては、掃除の手を止めてひそひそとお互いに何かを囁きあった。おそらくは暇そうにしているヴィヴィカを偉そうだとか思ったりしたのだろう。

 レムナントを継承してから、そういうのは特に多くなった気がする。

「あ、ヴィヴィカ、やっほー」

「やっほーって……ごきげんよう、チェシャ」

「ごきげんよう」

 前から歩いてきたチェシャに、ヴィヴィカは挨拶を返す。ヴィヴィカもチェシャも、そこまでティーメイド、コーヒーメイドといった区分に対して強い思い入れはない。

「ヴィヴィカ、怪我大丈夫だった?」

「うん、平気。もうすっかり治してもらったし」

「よかったー。強い子だとそのまま受け身とったりするから、ついその勢いでやっちゃったからー。ほんとごめんね?」

 いいよ、とヴィヴィカは再三そう伝えてから、首を傾げる。

「……そういえば、チェシャ仕事はいいの?」

「これからキッチンだって言われたよ〜」

「じゃあ一緒だね。行こっか」

 連れ添って二人は歩き始めたが、その間に少し気まずい沈黙が流れた。

「……ヴィヴィカ」

 気まずいと思っていたのはヴィヴィカだけだったのかもしれない。チェシャはふと口を開くと、彼女を見ることもなく声をかけた。

「どうしたの?」

「……ボク、そろそろ継承するかもー」

「そっ……そう、なんだ」

 継承。

 それはレムナントを次の使い手に引き継ぐことを言う。

 レムナントとは個人のための永劫の力ではない。女神の残した奇跡は、人から人へと受け継がれていく。

 それは、少女であるうちに受け継がれなければいけない。子を成せば、その娘が受け継ぐ。

 そのため、ヴォーパル家のメイドたちは、レムナントを次の世代に継承する。そして、継承するということは、

「……結婚、なの?」

「ううん、まだー。でも、親がお見合いをそろそろ準備する、って言ってたからー」

 レムナント継承を決定する要因は様々だが、基本的には本人の意向によるものとなる。レムナントをきちんと継承するのも、ヴォーパル家のレムナント使いとしての大事な仕事である。そのため、きちんと継承すればボーナスを与えられ、これを目当てに日々努力するメイドも多い。

「そっか……」

「ボクはまだ働く気でいるんだけど、いつどうなるかわからないからさー」

 それでメイド長に相談に行ってたんだ、とチェシャ。

「メイド長、喜んでたでしょ」

「ちょーっと古い人だからねー」

 二人してくすくす笑いながら、キッチンのドアを開けた。


 キッチンはてんやわんやの大騒動だった。あちこちでがちゃがちゃじゅーじゅーと音が鳴り、キッチンメイド、イスタの指示を出す声が飛び交う。

 キッチンは一日の大半が大騒ぎの会場だった。今は朝食の準備に、屋敷の中で一番騒々しい部屋だろう。

「毒味係のカトラリー用意できたか!?」

「頼んでた牛乳どうなった!?」

「ロレーナ様は今朝早いから少し急げ!」

 慌ただしいキッチンの様子に少し気押されたヴィヴィカとチェシャだったが、急いで気を取り直すと、使われていない流しに向かった。

 ざばざばと手を洗うと、それをしっかりと見ていたキッチンメイドのイスタから指示が飛ばされる。

「チェシャはスープを温かく維持しておけ! すぐに出すぞ! ヴィヴィカはそのドレッシング用のソースを混ぜろ! 材料は全部入れていい!」

「は、はい!」

「はいぃっ」

 指示に従い、二人はすぐにそれぞれの持ち場についた。

 キッチンを取り仕切るイスタは、ヴィヴィカと同じコーヒーメイドで、元レムナント使いだ。

 先ほどの話を受けて、チェシャが気にかけているかと思えば、彼女は全く見向きもせず、任されたスープの保温をしている。熱気のレムナントを操る彼女は、鍋の蓋の小さな穴から器用に熱気を送り込んでいた。

「ヴィヴィカ、ボサっとするな!」

 食材の下味をつける作業から顔を上げることもなくヴィヴィカに叫ぶ。慌てて、用意されていた材料をボウルに入れ、ヴィヴィカもレムナントを発動させた。両手から螺旋のエネルギーが流れていくイメージをボウルに伝える。

「ふんぬぬ……!」

 意識を集中させ、ゆっくりとボウルの中身がぐるぐると円を描き始めた。集中を切らさないように必死になり、かたく目を閉じる。

「螺旋……螺旋……」

 ボウルの混合物は時間をかけて、さらに溶け合うように渦を巻き、ドレッシングへと変わっていく。

「遅いぞヴィヴィカ! できたらそこに置いてある椀に移せ、均等にだぞ!」

 はい、とキッチン内の音に負けないよう大声で返事をすると、ヴィヴィカはカウンターに並べられていた、中身を注がれるのを待つ椀の前に立った。全部で五つ。一つは毒味係のもの、残り四つは、ヴォーパル家の人々のためのものだ。

 ヴォーパル家は現在、ベルマン・ヴォーパルという男が家督を継いで久しい。彼は妻を亡くしており、他に三人の娘、上からロレーナ、アリス、イーディスと共にこの屋敷で暮らしている。

 どれが誰に配膳されるかわからない以上、ヴィヴィカは細心の注意を払って、ドレッシングをこぼしたり跳ねさせたりしないよう、丁寧な仕事を心がけた。

「できました!」

 五つの器にドレッシングが均等に注がれると、早速サラダを用意していたメイドがそれを持っていく。素早く、しかし揺らすことなく、用意されていたサラダを盛りつけた五つの皿の隣に並べられていく。

 そうして準備されたものは、今度は配膳車に乗せられる。だが乗せられるのは四つだけで、残り一つはキッチンの隅の方で待機している毒味係に提供された。

 味と安全性を確認するのが毒味係の仕事だ。毒味係が素早く平らげてOKを出すと、配膳車はサラダを乗せてヴォーパル家の人々の元へと運ばれていった。


 ヴォーパル家のダイニングルームは、上流階級家庭がどれもそうであるように、広く清潔だった。白を基調とした壁紙や家具を取り揃えており、汚れがあればすぐに発見され、清掃される。

 長いテーブルの隅では、普段通りといった様子で家長のベルマン・ヴォーパルその人が新聞を広げており、その向かいに、今年14歳になる一番下の娘のイーディス。彼女は父譲りの見事な金髪につけた寝癖を、彼女の世話をするレディーズメイドが梳かしていた。エプロンに刺繍はなく、ティーメイドでもコーヒーメイドでもないことが伺える。

 イーディスと一つ席を空けたところに、ベルマンの次女アリスが座っていた。母譲りの黒髪には少し癖があり、しかしそれが逆にふんわりとした印象を与えていた。彼女はすでに着替えを済ませており、読書をしながらおとなしく朝食を待っていた。

「……ねぇトーヴェ」

「はい、アリス様」

 アリスのそばに、彼女のレディーズメイドのトーヴェが待機していた。静かに返事をすると、茶葉の刺繍がされたエプロンドレスを揺らすこともなくアリスの側に寄る。

「……本って、絵やセリフが入っていた方がいいと思わない?」

「アリス様がそうおっしゃられるならそうなのかもしれませんが、アリス様ももう」

「わかってるわよ。18歳。教養を身につけた方がいい、でしょう」

 おっしゃる通りです、とトーヴェはセリフを引き継がれ、小さく頭を下げた。

「今は何を読んでいるんだ?」

 ベルマンが声をかけると、アリスは本の背表紙を見せて、スピンを挟んで閉じた。

「トレイドと為替の歴史よ、お父様」

 ふむ、とベルマンは関心したような声を出した。後継者としての意識が高いのは素晴らしいことだ。

「お食事をお持ちしました」

 そんな団らんの時間に、メイドたちが割り込んだ。用意されたサラダとドレッシングを淀みなくそれぞれの前に並べていく。

「……ロレーナ様の分はお部屋にお運びさせていただきます」

「すまないね」

 ベルマンはそういいながら、ドレッシングの入った小さな器を取り上げ、くるりとサラダに回しかけた。アリスとイーディスも同じようにして、ぱりぱりと小さな音を立てて食べ始めた。


 ティーメイドとコーヒーメイドたちには、その所属とは別に、いがみ合う理由があった。特にここ数年の話ではあるが、後継者争いの一端を担っているのだ。

 ティーメイドは次女のアリス・ヴォーパルに。

 コーヒーメイドは長女のロレーナ・ヴォーパルに。

 最終的に誰を後継者として選ぶかは現家長のベルマンにかかっている。だが日頃の行いや家督に関する知識量、世間での評判など、間違いなく総合的に評価されるはずだ。メイドの立ち居振る舞いも評価基準に該当するだろう。それぞれに仕えるメイドの評判が良ければ、主人もすなわち評価される。

 決闘に力が入るのも当然と言えた。

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2026年1月17日 11:00
2026年1月18日 11:00
2026年1月19日 11:00

ティーメイドとコーヒーメイド Ext @_e_x_t

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