第1話

 古くから交易都市として栄えたトレイドは、ヴォーパルという一族によって治められてきた。国内の交易はもちろんのこと、技術の進歩によって世界中との交易が始まると、海に面したトレイドは積荷を下ろす港としてだけでなく、そこで売買される様々な商品の金銭価値を交換する場所としてさらに栄えていくことになった。

 そうして取引される商品の中で、最も厄介なのは珈琲豆と茶葉の二つだった。

 どちらも嗜好品でありながら人々の生活の中に強く求められ、上は王侯貴族から、下は農奴に至るまで、誰もが少なからず愛飲した。

 だが、外国との取引を通じて手に入れるそれらの値段は、特に国内では安定しない。近隣の国の王族や同国の貴族たちは、こぞってその価値を独占しようとヴォーパル家に圧力をかけた。

 もちろん、そんな内政干渉など露呈してはいけない。そこで彼らは、女神の残響たる奇跡の力、「レムナント」を扱う少女たちを、ヴォーパル家に「メイド」として仕えさせた。レムナント使いを“所有”することは、上流階級にとっては大きなステータスである。これを断るはずがない。

 ヴォーパル家も、その通りだった。


 そうして初めは贈り物として、内側からヴォーパル家を操るために送り込まれたメイドたちだが、現代では全く違う役割を担っていた。


 かんかんかんかん。派手な金属音が、トレイドの中心にある大きな円形の広場、通称“決闘広場”に響き渡った。

 時間は朝の六時である。早朝とまでは言わないが、商業を営む人が多いトレイドではまだ店の扉も開かない時間である。

 にも関わらず、決闘広場には人だかりができ、大きな喧騒を生み出していた。

「ティーメイドに10!」

「俺もティーメイドに10だ!」

「俺はコーヒーメイドに30!」

 騒ぎはとめどない。統率が取れているわけではなく、何人かが集まったグループがいくつも乱立してざわめいている、といった様相だった。

「お前はそれで昨日負けてたじゃねぇか」

「うるせぇ、三週連続でティーメイドなんてあってたまるか!」

 彼ら(集まった主に男たち)は、これから始まる決闘を賭け事として楽しんでいたのだ。だが彼らが賭けているのは金銭ではない。

「じゃあお前、コーヒーメイドが今週勝ったら、倍額払ってやるよ」

「おお、いい度胸じゃねーか! 珈琲豆60グラムだぞ!」

「約束してやるよ」

 それぞれの貯蔵している珈琲豆と茶葉をグラム単位で賭けているのだ。

 その喧騒に近づくメイドたちの姿に、騒がしさは徐々に落ち着きを見せ始める。

「大丈夫よ、練習したんでしょ?」

「初めてなんだし、気楽にやろう」

「ちょっとメアリー!」

「アンは心配性。ね、ヴィヴィカ?」

「う、うん……だ、大丈夫、多分……」

 メアリーとアンに背中を押されながら、ヴィヴィカはぎこちなくも決闘広場の輪の中に立った。ぎゅう、とエプロンを握りしめる。そのエプロンの縁には、ブラウンの楕円の刺繍が施されていた。珈琲豆の意匠だ。

「コーヒーメイドはヴィヴィカ!」

 広場を見下ろす木製の物見台から、一人のメイドがヴィヴィカの名前を叫んだ。彼女のエプロンに刺繍はなかった。

「ヴィヴィカ?」

「初めてか?」

「今週もこれ、紅茶派の勝ちか?」

「底力見せろヴィヴィカー!」

 好き勝手な野次がヴィヴィカを襲い、ごくりと喉を鳴らした。

 ヴィヴィカの立つ円形の決闘広場の反対側に、もう一人、同じようにメイドが立った。彼女のエプロンは、裾に刺繍がしてあるのは同じだが、それはブラウンの楕円ではなく、淡い緑の葉のデザインだった。茶の葉を模している。

「ティーメイドはチェシャ!」

 その名前にうおお、と歓声が湧き上がる。

「げっ、チェシャ……」

「強敵」

 メアリーの言う通り、チェシャはこの毎週行われる決闘の中でも、特に強いと言われている一人だ。彼女は緊張した様子はなく、やぁやぁ、と観衆に手を振り楽しげに応えていた。

「決闘は……場外、降参、気絶、死亡によって決定します!」

 高台のメイドが高らかに宣言すると、決闘広場の熱気は最高潮に達した。

「では両者、一礼!」

 チェシャが一歩前へ出て、エプロンドレスのスカートをつまみ上げて軽く腰を落とす。ヴィヴィカもそれに倣ってカーテシーで返す。

 これがメイドたちによる決闘開始の合図。

 その週の珈琲豆と茶葉の値段がどう変動するか決まる戦いの幕開けだった。


 送り込まれたレムナント使いのメイドたちは、最初は秘密裏に相手を出し抜き、主人であるヴォーパルの家長に気に入られようと暗躍した。基本的にそれはレムナントを用いた戦い、という方法であった。

 もちろん、これを見過ごすようではトレイドの街を長年にわたって取り仕切ることなど不可能な話だ。メイドたちはすぐにそれぞれの立場を表明するための識別を要求された。

 茶葉の流通を支持するなら、茶葉の刺繍を入れたティーメイド。

 珈琲豆の流通を支持するなら、珈琲豆の刺繍を入れたコーヒーメイド。

 そして毎週一度だけ、勝った方が値段を調整することができる。調整幅に関しては、ヴォーパル家の家長が決める。値段を変えたければ、勝ち続ければいいだけの話。

 とても単純で、しかしその単純さ故に、ヴォーパル家が代替わりをしても、毎週のように繰り返されることとなった。


「だりゃああ!」

 可愛さのかけらもない声だが、それだけ本気なのだ。そうでなければ、ヴィヴィカは応戦できない。

「一瞬焦ったけど〜、もう見切ったよ」

 ヴィヴィカが触れようと伸ばした腕を、チェシャはわけもなく、まるで猫のような身軽さでそれを避けた。すか、とヴィヴィカの手が空を切り、前方向へとバランスを崩す。

「んじゃそろそろっ」

 そう言って、今度はチェシャがヴィヴィカの無防備になった腹部へと手を当てた。陽の光の下ではわからないほど薄く光ると、ゔわ、とチェシャの手に熱が集まった。

 暖められた空気が腕にまとわりつき、渦を巻く。それが外側の冷えた空気と層を作り、上昇気流を生み出す。

「じゃーねー」

「ひぇぁ」

 ヴィヴィカも応戦してレムナントを発動させるが、遅い。局所的な上昇気流はヴィヴィカの体をわずかに浮かせ、それで十分とでも言うようにチェシャはそのお腹をとん、と押した。

 勢いよく、ヴィヴィカの体が決闘広場の外にまで飛び出した。

「ティーメイドの勝ち!」

 物見台からの声に、紅茶派の観客は喝采を、コーヒー派の観客は落胆や怒号を一斉に噴出させた。

「よっしゃあ! 今日中に茶葉買うぞ!」

「くそっ、やっぱり新人じゃだめかぁ!」

「来週こそはよろしく頼むぞ、コーヒーメイド!」

 好き放題の民衆をまるで無視して、チェシャはつかつかと床に這いつくばるヴィヴィカに近寄った。

「おっつかれー。レムナントの狙い所は悪くなかったと思うよー。でも、経験の差かなー」

「あ、ありがとう……いてて」

 差し伸べられた手を掴んで立ち上がると、ヴィヴィカはどうやらスカートの中で膝をすりむいてしまったらしい。じんじんと痛む。

「あちゃ、大丈夫?」

「た、多分……今日はこの後キッチンだから、その前に医務室に行くよ」

 それがいいね、とチェシャはにっこりとしながら、手を繋いだまま、観客に軽くカーテシーをした。ヴィヴィカも同じようにすると、二人に盛大な拍手が送られた。

「それで、今日はどうするのー?」

 物見台から声がして、チェシャとヴィヴィカは一緒に顔を上げた。

「茶葉の値段下げて〜」

「はーい」

 返事をした物見台のメイドは、スコアボードのような巨大な板の、茶葉側から数字が書かれた板を二つ外し、違うものと付け替えた。それを見るや否や、遠方から来ていた記者や買付人たちが、こぞってボードに掲げられた値段を記録し、各々の伝達手段で情報を持ち帰る準備を始めた。

 これが国内における、今週の茶葉の価格である。


 ティーメイド、コーヒーメイドなどともてはやされてはいるが、彼女達の仕事はもちろん、広場で見世物まがいの決闘をすることだけではない。日常においては、トレイドの街を取り仕切るヴォーパル家に仕えることにある。

「ヴィヴィカ、お疲れ」

「よく頑張った」

「ありがと、二人とも」

 ヴィヴィカ、メアリー、アンは三人ともコーヒーメイドだ。コーヒー派のために秘密裏に暗躍する……というのは過去の話だ。今は所属の証明でしかない。

 だが仕事においては、彼女たち三人はハウスメイド、メイド長の指示のもと、あらゆる仕事を任されるのだ。

「じゃあ私が茶葉とコーヒーの買付してくるから、メアリーはヴィヴィカの怪我の具合診ておいて」

「はーい」

 のほほんとした声でメアリーが返事したのを確認すると、アンは急いで船着場の方へと走っていった。

 買付という仕事は、市場に出回る珍しい物品や新鮮な食材を購入して屋敷に持ち帰ったり、買付契約を結んでいる商人と、翌週や翌月の購入に関する相談と契約確認をする仕事だ。もちろん、ただのメイドに仕入れの権限はないため、基本的には使い走りである。

「膝、大丈夫?」

「ちょ、め、メアリー! 大丈夫だからっ」

「あ……血出てるね」

 荷車にもたれかかっていたヴィヴィカのスカートを、ぺろんとめくるメアリー。慌ててそれを止めるも、恥ずかしさもあるが、結構しっかりと擦りむいてしまったのを見られた方が少し嫌だった。

「ちょっと沁みる」

「いた……っ」

 レムナント使い同士の戦いは派手で、怪我をすることも多い。ヴォーパル家の主治医と、そのサポートをするレムナント使いのメイドに診てもらえばすぐに治るが、それでもメアリーはしっかりとヴィヴィカの膝の怪我を聖水で消毒し、清潔な脱脂綿と包帯で手当てをした。

「これで大丈夫」

「大袈裟だよ」

「大袈裟でも、いい」

 いつになく真剣な声で、メアリー。

「……そっか。ありがとう、メアリー」

 心配してくれているのが伝わる。普段はのほほんとしているメアリーだからこそ、ヴィヴィカはそれを嬉しく感じた。

「ただいま」

 それから少し待っていると、アンが戻ってきた。肩から下げたポーチから紙を一枚取り出し、二人に見せる。商人のサインが入った領収書だ。

「はい、一応チェックお願い」

「……うん、大丈夫そう」

「ヴィヴィカが言うなら、大丈夫」

「なぁなぁで仕事しないの! もう……それじゃ、帰りましょ。今日も働くわよーっ」

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