3
高架下を出ると、再び暴力的な雨が僕を叩いた。
視界は白く霞み、数メートル先の信号機の光すら頼りない。僕は頭を下げ、雨を突っ切るようにして近くの二十四時間営業のコンビニへ向かった。
自動ドアが開くと、冷房の効いた乾燥した空気と、場違いに明るいLEDの光が僕を突き放す。
全身から滴り落ちる雨水が、清潔なタイルの上に水たまりを作っていく。深夜の店員が怪訝そうな視線をこちらに向けてきたが、僕はそれを無視して食品棚へ急いだ。
棚に並ぶ色とりどりの商品。
母さんが「体に悪い」と一度も食卓に出さなかったカップ麺。添加物の塊だと切り捨てられた菓子パン。
僕はそれらを、強迫観念に駆られたようにカゴに放り込んだ。
レジで会計を済ませる際、財布の中にある数枚の一万円札が目に入る。
これは僕の金じゃない。母さんが「いざという時のために」と僕の鞄に忍ばせていた、僕を縛るための金だ。けれど今、この金で買った温かい肉まんが、僕とあの少女を繋ぐ唯一の命綱になろうとしていた。
――戻らなきゃ。
もし、あの高架下が空っぽになっていたら。
もし、彼女が最初から僕の見た幻覚だったら。
そんな不安に背中を押され、僕は再び雨の中を走り出した。
高架下に戻ると、彼女――流花は、僕が去った時と同じ場所で、じっとうずくまっていた。僕の足音に気づくと、彼女は怯えるように肩を震わせたが、僕だとわかると、安堵したように細い吐息を漏らした。
「……これ、食べて」
僕はビニール袋の中から、まだ熱い肉まんを取り出して手渡した。
流花はおずおずとそれを受け取ると、熱さに驚いたように指先を引っ込めた。
「あつい。……これ、なに?」
「肉まんだよ。中に、お肉が入ってるんだ。……食べたことないの?」
流花は首を横に振った。そして、僕の食べ方を見守るようにしてから、恐る恐る口を寄せた。
一口、二口。
彼女の頬が小さく膨らみ、咀嚼するたびに、その虚ろだった瞳に、生きた人間としての色彩が少しずつ戻ってくる。
「……おいしい。すごく、あったかい」
彼女が笑った。
それは、クラスの女子が見せる計算された笑顔でも、母さんが僕を褒める時の歪んだ満足感でもなかった。
ただ、飢えが満たされたことへの純粋な歓喜。
その顔を見た瞬間、僕の胸を締め付けていた「正しさ」という名の重石が、ふっと軽くなるのを感じた。
九九も言えず、肉まんの味も知らない。社会のどこにも居場所がないこの少女の前でだけ、僕は「将来を期待された優秀な律」ではなく、ただの「雨に濡れた少年」でいられる。
「ねえ、律。雨、止まないね」
彼女が僕の名前を呼んだ。
教えた覚えはない。けれど、さっき母さんが僕を呼んだ時の絶望的な響きとは、全く違う音に聞こえた。
「……止まなくていいよ。止んだら、きっと全部終わっちゃうから」
僕は彼女の隣に腰を下ろし、自分も冷めかけた肉まんを口にした。
安っぽい脂の味。けれど、これまでの人生で食べてきたどの高級な料理よりも、それは深く、僕の喉を潤していった。
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