第2話 目覚め


 私は鏡の前に立ち尽くしていた。

 どんなに目を凝らしても、さっきまでの私じゃない。


「過去に、戻った?」


 思わず口から、ありえない言葉が溢れる。

 そんなわけがない。そんなこと、あるはずが……。

 私は踵を返し、机に近づく。

 机の一番上の引き出しから、日記帳を取り出し捲る。

 ぱらぱらと音を立てながら、一番新しい日付を確認する。


 日付は三年前で止まっている。


「本当に、過去にもどったっていうの……?」

 

 私は、日記を胸に抱えながら、ずるずると床に座り込む。

 暫く、そのまま呆けていた。今までの出来事が、全部夢だったような気がして。でも、だとしたら、どこからが夢だったの?

 ―― 夢だったとしたら。


 

「……クロノ、は」


 自然と、彼の名前が溢れる。

 それと同時に、虚な瞳や、猟奇的な様を思い出し、吐き気が込み上げる。


「う、おぇ……」


 床にびしゃびしゃと吐瀉物をぶちまける。

 胃の中が空になっても、吐き気は治らない。

 苦しくて……それ以上に、咽上がるこの感情はなんだろう。悲しいのか、悔しいのか、憎いのか。

 何に対してなのか、わからない涙は溢れ、カーペットが濡れていく。その濃淡の広がりが、私の想いを受け止めるように。


 暫くして、ようやく吐き気も、涙も落ち着いてきた。

 目も、口元も、喉も痛いが、その痛みが私の心を落ち着かせた。

 口元を拭い、顔を上げる。


 あの血の匂いも、彼の死も、私の腹部の痛みも、夢じゃない。

 全てが鮮明だった。今でも、すぐに感じられるほどに。


「あれは、現実だった」


 自分に言い聞かせるように、呟く。

 夢だったって、逃げ出したくなる自分を、抑えるように。


「……大丈夫。今、私は生きてる」


 深く、息を吸って、吐く。空気が体を巡り、胸のざわつきがおさまっていく。

 そう、私は死に戻りしたんだ。

 そうなのであれば――。


「……本当に過去に戻ってきたのなら、クロノは生きてるってこと、だよね」


 私と出会う前の、アカデミーに入学する前の彼。

 瞼をそっと閉じて、想像する。

 彼の好きなコーヒーを片手に、窓際の席に座って。いつものように、本を読んで笑っているのだろうか。

 じわりと胸に、広がっていく暖かさに、自然と言葉がこぼれ落ちる。


「クロノに、会いたい」


 彼に会って、生きていると実感したい。

 まだやり直せるって、実感したい。

 一度芽生えた想いは、水を吸ったスポンジのように大きく、重くなっていく。


「クロノに、会いに行こう」


 私は立ち上がり、玄関に向かう。

 足取りは、徐々に速度を増していく。階段を滑り落ちそうになるが、速度は落とさない。

 話せなくてもいい。一目会うだけでいい。彼が生きていることさえ分かれば。

 玄関の扉を開け、外に出る。眩しい日差しが降り注ぎ、思わず顔を背け、目を瞑る。


 

 

「……え?」


 

 外に、出たはずだった。

 それなのに、目の前には閉ざされた玄関の扉がある。

 ざわつく胸を無視して、私はもう一度扉を開く。確実に、足を外に踏み出して、そして。

 ……また、目の前には玄関の扉があった。


「外に……出られない?」


 鼓動の音が、やけに耳に鳴り響く。


 何が、どうなっている?

 

 扉に手を添えたが、指に力がうまく入らない。

 それでも、震える手でゆっくりと、扉を押していく。

 扉が開いていき、光が差し込んでくる。

 私は、思わず喉を鳴らす。

 

 その時、玄関の扉が、勢いよく開いた。


「アリア?」


 そこには義兄のロイが立っていた。

 その背後には、確かに外の景色が広がっている。

 私は義兄にいさんの横をすり抜け、緑生い茂る庭に踏み込む。

 植物の香りが私を包みこみ、私は安堵する。


 

「アリア、どうしたんだ?」


 

 目の前には、義兄さんが不思議そうな顔をして立っている。

 その先に広がる景色も変わらない。

 鼓動の音は更に大きくなり、煩いぐらいだ。頭がクラクラする。

 

 あ、やばい。


 視界が反転し、眩しい太陽の光が私の瞳を刺す。


 私はその場で意識を失った。


 

 目が覚めると、そこは私の部屋だった。

 ベッドの横では、椅子に座った義兄さんが本を捲っている。


「義兄さん……」


 私が声をかけると、義兄さんは本を閉じ、こちらに向き直す。


「アリア、大丈夫かい?急に倒れて心配したよ」


 ああ、そうだ私、倒れたんだっけ。

 彼の言葉で、頭にかかった靄が急速に晴れていく。

 そう、外に出たはずなのに……。


 「義兄さん。私、外に出たよね?なのに、気がついたらまた家の中にいて……」

 

 「ん?飛び出したと思ったら、すぐに戻ってきたじゃないか」


 義兄さんの言葉に、私は目を見開く。

 それと同時に、背中に嫌な汗が一筋流れる。


 「わ、私が、自分で?」


 「ああ、何事かと思ったよ。すごい形相で飛び出したのに、急に立ち止まったかと思えば戻ってきて。いったいどうしたんだい?」


 

 彼の質問に、私は何も答えることができなかった。

 ……私の記憶がなくなっている?誰かに意識を乗っ取られている?

 言いしれぬ気色悪さに、私は身震いし、シーツを握りしめた。

 

 

 義兄さんが部屋に戻り、一人になった私は、さっきまでに起こったことについて、じっと考えを巡らせていた。

 色んなことが起こりすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 それに引きずられて気持ちも、どんどん沈んでいく。このまま目も耳も塞いでしまいたい。

 ……このままだと戻れなくなってしまう。

 私はベッドから起き上がり、机に向かう。

 そして、ノートを取り出し、この状況を書き出し始めた。


 死に戻りをした。

 外に出られない→何か制限がある?(制限にひっかかると、意識を乗っ取られる?)

 クロノは何故殺されたのか。

 私は何故殺されたのか。

 殺された場所が、私の告白と被ったのは偶然なのか。

 ノートにペンを走らせながら、偶然なはずがない、と力が入る。

 

 誰に殺されたのか。

 

 そう書いて、ペンを動かす手が止まる。


 ……一体、誰に、殺されたんだろう。

 待ち構えていた事を考えると、私とクロノを殺した犯人は同じで間違いないだろう。

 あそこで、告白する事を知っていたのは、友達と義兄さん、それに義兄さんの友人だ。

 あの中に犯人が……?

 

 自然と思い浮かんだ考えだった。けれど、それはいつもの私なら決して思いつかないコトだった。

 震える手で、口元を覆い、弾みでペンが落ちる。

 ペンはノートの上で転がり、ページの端で止まった。


 ……私、今何を考えた?


 手のひらが、じわりと汗ばんでいく。


 皆を、疑った?あんな、酷いことをした犯人だって?


 落ち着いたはずの吐き気が、ぐつぐつと胃の中で湧き上がるのを、必死に堪える。

 

 優しい家族に裕福な家柄、親しい友人達、そんな恵まれた人生。

 それらが、砂で出来た虚栄だったかのように、崩れ去る。

 この短い間に、自分の人生が、価値観が、無理やり塗り替えられていくような感覚。



 どうして、大好きな人達を疑わないといけないの?

 あの人達はあんなことしない。だって、私は知ってる。皆が優しいってこと。

 きっと、私が知らないだけで、他にも怪しい人がいるはずだよ。きっと、そう。

 そうやって、自分を落ち着かせようとする。

 そうでもしないと、自分が自分じゃなくなってしまいそうで。

 

 でも、脳裏には常に、クロノの瞳が、腹部の違和感が、付き纏う。本当に、それでいいの?と、ずっと囁かれているようで、私は両手で顔を覆う。


 変わりたくない。このまま、今まで通りに生きて、幸せになりたい。

 ……でも、また同じことが起きてしまったら?

 クロノをまた失ってしまったら?

 今、目を逸らして、本当に皆の中に犯人が居るとしたら。


 ゆっくりと、ノートの上に転がったボールペンを、拾い上げる。

 唇を噛み締めながら、ペンを走らせる。

 まだわからない。そうかもしれない、それだけだ。

 血が滲み、鉄の味がじわりと広がる。せめてそれが、贖罪になればいい。

 皆の笑顔がチラつく中、自分自身にそう言い聞かせた。


 

 一通りノートに書き出し終えると、改めて読み返す。

 やはりというか、疑問だらけで何もわからなかった。

 それでも、収穫はあった。

 私は、容疑者?と書かれた文字を見つめ、視線を逸らした。


 

 気怠い体を引きずり、ベッドで横になる。

 まだ何もしていないのに、心の負担が大きいからだろうか、体に力が入らない。

 枕に顔を埋めながら、ふと、思う。


 何故死に戻りをしたんだろう?

 神様のきまぐれだろうか?それとも、何か意味があるんだろうか?

 疑問はとめどなく浮かぶが、枕の柔らかさが、徐々に安堵させ、瞼がゆっくりと上下する。


 きっと、クロノは生きている。

 ……今度こそ、一緒に生き延びるんだ。


 朦朧とする意識の中、その想いだけは、確かに私の中で核となっていくのがわかった。




「とうとう、この日がきた……」


 私はアカデミーの門の前で、小さく呟く。

 周りには、ピンと張りのある制服を着た、初々しい学生達で溢れている。先生が入学式の会場を声を張り上げて説明している。

 私は小さく深呼吸してから、門を越える。


 私は今度こそクロノを守る。そして二人で幸せになる。


 あの日、外に出られなかったように、この死に戻りには制限があるようだ。

 色々試した結果、出会う前のクロノに会うなど、過去と大幅に違う行動は制限されてしまうようだ。だから、過去と同じようにクロノに会おうと決めていた。

 

 ―― クロノが、生きていることを信じて。


 方向転換して、教会に向かおうとした時、誰かとぶつかってしまう。尻もちをつき、思わず、いたた、と声が漏れる。


「大丈夫?」

 

 その声に、私は動きを止める。

 穏やかで、少し低い声。

 ……ずっと、聞きたかった声。

 私はゆっくりと顔を上げる。


 陽の光が透けて、きらきらと輝く銀色の髪、それがさらっと彼の目にかかる。

 思わず抱きしめたくなる、熱く痺れる激情を、ぐっと抑えながら、私は笑顔をつくる。


「ありがとう。私はアリアって言うの。あなたは?」


「俺は、クロノだよ。初めまして、アリア」


 私は再び、彼と出会った。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る