第5話「観察」
みらいの初出勤から、1ヶ月がたっていた。
店内は、いつもの昼のリズム。
グラスの音、ドアベル、控えめなBGM。
その全部の中で、みらいは自然に立っている。
呼び込みで声を張りすぎることもない。
でも、通りがかった人が足を止めるときの“間”を、ちゃんと分かっている。
「こんにちは」
「よかったら、少しだけ中見ていきませんか」
押しつけない。媚びない。
でも、視線はきちんと相手に向いている。
——ああ、これや。
ひかりはカウンター越しに、その様子を見ながら思う。
みらいは、派手なタイプじゃない。
でも、“人に合わせて形を変える”のがうまい。
相手が緊張していれば、声を一段落とす。
楽しそうなら、少しだけテンポを上げる。
迷っていそうなら、説明を足す。
全部、無意識にやっている。
メニューを出す手も丁寧で、説明は長すぎず、短すぎず。
「今の時間帯だと、こっちの席が落ち着きますよ」
そう言って案内する背中に、変な力みはない。
——ちゃんと、“自分の場所”に立ってる。
昔の自分を、少し思い出す。
ステージの真ん中じゃなくて、誰かの隣に立つことで輝くタイプ。
みらいは、まさにそれだ。
お客さんが席に着いたあと、みらいがふっとこちらを見る。
一瞬だけ、目が合う。
ひかりは、何も言わずに小さくうなずく。
それだけで十分だと、分かっている。
仕事が一段落したタイミングで、ひかりは、みらいの横に立つ。
「さっきの案内、よかったで」
みらいが、少しだけ照れたように笑う。
「ほんとですか」
「うん」
「無理してへんし、ちゃんと相手見てた」
みらいは一瞬考えてから、言う。
「……でも、たまに不安になるんです」
「これで合ってるのかな、って」
ひかりは、少しだけ間を置く。
「不安になるうちは、大丈夫や」
「何も考えへんようになったら、あかん」
それを聞いて、みらいは静かにうなずく。
——ほらな。
ちゃんと悩めてる。
ちゃんと向き合ってる。
ひかりは、心の中で思う。
この子は、前に出るタイプじゃない。
でも、“続く仕事”ができる人や。
それが一番、強い。
ひかりは、みらいの背中を軽く見てから、
また店全体に視線を戻した。
今日も、いい空気が流れている。
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