第3話「縁(えん)」
バックヤードのドアを閉めたあと、ひかりは一度だけ、深く息を吐いた。
椅子に腰を戻しながら、さっきまで座っていた位置を、何気なく見る。
間違いない。あの時の子や。
エトワールのライブ。
解散が決まる直前、先が見えなくて、それでも必死で立っていた頃。
物販で、少し緊張した顔で話しかけてきた女の子。
時間は短かったのに、
ちゃんと目を見て、言葉を選んでくれていたのを、なぜか覚えていた。
——あの子が、ここに来たんやな。
偶然、
というには少し出来すぎているけど、
運命、なんて言葉を使うほどでもない。
ただ、
縁やな、と思う。
履歴書の内容を思い返す。
大学の専攻。仕事と学業の両立。
言葉の端々ににじむ、無理をしすぎない姿勢。
——ちゃんとしてる子や。
面接中。自分があの時の人なのか、確かめるような視線にも、ひかりはちゃんと気づいていた。
でも、その目は、憧れや詮索よりも、
「仕事として向き合おうとしている人」
の目だった。
——ああいう距離の取り方、好きやな。
だから、言わなかった。
「あの時の子やろ」なんて。
それを言えば、この空気は変わってしまう。
ここは、夢を見る場所じゃなくて、ちゃんと働いて、立つ場所。
それは、自分が一番よく知っている。
ひかりは、軽く肩を回して、事務所の外をちらりと見る。
——この子は、大丈夫。
仕事も、人との距離も。
それに——
ほんの少しだけ、口元が緩む。
あの頃の自分を知ってる子が、今の場所に来てくれたんは、ちょっと嬉しいな。
でも、それは、胸の奥にしまっておく。
先輩として。チーフとして。
そして、“同じ道を通ってきた人間”として。
「……よし」
ひかりは小さく呟いて、店に出る準備を始めた。
この店で、あの子がどんなふうに育っていくのか。
少しだけ、楽しみにしながら。
——星野…みらい…かな
ふと浮かんだ未来のキャストネームだった。
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