第12話 現場と国家
反省会は、第一診療所の一室で行われた。
簡素な長机を囲み、騎士、医師、看護師が集まっている。
誰もが椅子に腰掛けてはいるが、姿勢は硬い。
訓練は終わった。
だが、空気はまだ張りつめたままだ。
誰かが、ぽつりと言った。
「……正直に言えば、
訓練だと分かっていても、判断は難しかったです」
第三師団の医療担当騎士だった。
言葉を選びながら、視線を落とす。
「呼吸も脈もあった。
けれど、同時に、
明らかに出血がひどい者が別にいて……
あの場で、どちらを先に運ぶか、迷いました」
それを合図にしたかのように、
次々と声が上がる。
「重体だと思っていた者が、
時間経過で持ち直したのは、正直驚きました」
「逆に、軽傷だと思っていた者が、
急に意識を失う想定は……
分かってはいても、胸に来ます」
「訓練を何度重ねても、
慣れるものではありませんね」
誰もが、
「できなかったこと」を責めているわけではない。
ただ、自分の判断の重さを、
それぞれが噛みしめていた。
サクラは、少し離れた位置でその様子を見ていた。
――難しい。
――簡単になるはずがない。
本当に、そう思う。
トリアージは、
訓練を重ねれば、楽になるものではない。
むしろ、分かってしまう分、
判断の重さは増していく。
それは、日本で経験した訓練でも同じだった。
ここでは、その判断の先に、
本当に戦場がある。
サクラは、膝の上で指を組んだまま、
何度か口を開きかけて、やめた。
いつもの、悪い癖がでる。
どうしても、大人数になると自分の意見を出せなくなる。
その沈黙を破ったのは、
医師責任者のエルンストだった。
「慣れないのは、当然だ」
穏やかな声だったが、
よく通る。
「トリアージは、
判断を“簡単にする”ためのものではない」
視線を、騎士たちに向ける。
「限られた時間と手段の中で、
迷いながら判断することを、
現場で「許されるもの」にするための仕組みだ」
誰かが、息をのむ音がした。
「現場で迷うこと自体は、悪くない。
むしろ、迷いを感じなくなったら、
それは危険だ」
エルンストは、少し間を置いて続けた。
「だからこそ、
一人に背負わせない構造が必要になる。
相談していい。
立ち止まっていい。
判断を共有していい」
視線が、サクラの方へ一瞬だけ流れ、
すぐに戻る。
「今回の訓練は、
“正解を出す”ためのものではない。
どこで迷い、
どこで判断が遅れ、
どこで取りこぼしが起きるのかを、
はっきりさせるためのものだ」
部屋の空気が、少しだけ緩んだ。
サクラは、胸の奥で静かに頷く。
トリアージは、
命を切り捨てるのではなく、
出来るだけ多くの命を助けるために、
国として判断を引き受けるための仕組みだ。
その重さを、
この場にいる全員が理解している。
反省会は、
真剣に続いていった。
訓練で浮かび上がった課題。
情報共有の遅れ。
判断基準の曖昧さ。
そして、
それでもなお、
必要だと感じた理由。
サクラは、
発言こそしなかったが、
その一つ一つを、
胸の中に刻みつけていた。
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幕間 静かな寄り道
訓練当日の夜、クロトは実家に戻っていた。
理由は単純だった。
外交官である兄――外務大臣アルト・ヴァルハルトから、
今回の訓練について、簡単な報告をしてほしいと頼まれたからだ。
ヴァルハルト家の屋敷には、
兄と、その妻、5歳になる娘、
そして複数の使用人たちが暮らしている。
クロトにも、かつて使っていた部屋が一つ、今も残されていた。
もっとも、
クロトが実家に帰ることは、そう多くない。
巫女護衛責任者という立場もあり、
普段は王宮内の自室で過ごすことがほとんどだ。
実家に顔を出すのは、二か月に一度ほどだった。
翌日の水曜日は、
クロトにとって、たまたま休みにあたっていた。
実家での用件を終え、王宮へ戻る途中、
彼は町へと足を向ける。
評判の菓子店があると聞いていた。
理由を、言葉にすることはない。
疲れがたまると、サクラはいつも甘いものを口にしていた。
箱に収められたケーキを手に、
クロトは、そのまま寄り道をすることにした。
ほんの少し、顔を出すだけだ。
長居をするつもりはない。
それで十分だと、彼は思っていた。
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実施訓練の翌日、水曜日。
訓練の疲れが、ようやく身体に出てきたのだと思う。
朝は少し遅くまで眠り、
昼前になって、ようやく居間に降りてきた。
特別なことはしていない。
お茶を淹れてもらい、
窓から入る光を、ぼんやりと眺めているだけだ。
頭の中には、
昨日の訓練と反省会の光景が、まだはっきりと残っていた。
そのとき、
玄関の方で、控えめな音がした。
ノックというより、
様子をうかがうような、遠慮がちな気配。
誰だろう、と思いながら立ち上がり、
玄関へ向かう。
扉を開けた瞬間、
視界に入ったのは、見慣れた銀色だった。
「……クロトさん?」
思わず、声がそのまま出る。
「お休みでしたので」
淡々とした声。
いつもと変わらない表情。
その手には、小さな箱があった。
「お疲れではないかと思いましたので」
それ以上の説明はない。
桜は一瞬、驚いたが、
すぐに小さく息を吐いて、笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます」
クロトは軽く頷く。
「少しだけ、顔を出すつもりでしたので。
これで失礼します」
本当に、それだけだった。
疲れていそうだから、甘いものを持ってきた。
それ以上でも、それ以下でもない。
それは、よく分かっている。
分かっているのに――
手に残った箱の重みが、
胸の奥まで、じんわりと温かかった。
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