第11話 トリアージ訓練編・実施
訓練開始時刻は、あらかじめ決められていた。
それは、サクラが日常的に行っている結界の定期修正の時間帯に合わせたものだった。
理由は単純で、そして絶対だ。
緊急事態が発生した場合、異界の巫女であるサクラは、結界制御室から最低でも一時間以上、動くことができない。
結界の安定が最優先となり、途中で手を止めることは許されない。
それは訓練であっても、実戦であっても変わらない条件だった。
だからこそ今回の訓練は、
**「サクラがすぐに医療へ参加できない状況」**を、最初から想定に組み込んで始まる。
サクラは、結界制御室にいた。
淡く光る魔法陣の前で、いつもと同じ手順で、いつもと同じ範囲の修正を行っている。
結界は安定している。
揺らぎも、異常もない。
それでも、この一時間は彼女が離れてはいけない持ち場だった。
訓練だからといって、省略はしない。
――もし本当に何かが起きたなら、この時間、彼女は確実に動けないのだから。
一方、城外の訓練区域では、静かに訓練が始まっていた。
参加しているのは、特別師団、第三師団、第五師団。
他の師団とは、後日情報共有を行う前提で、今回の実施訓練には加わっていない。
戦闘はない。
魔物もいない。
だが騎士たちは、それを「訓練だから」と軽く扱わなかった。
魔物と交戦した想定で陣形を組み、負傷者役の騎士たちが、次々と地面に倒れ込む。
軽傷。
中等傷。
重傷。
重体。
死亡。
それぞれに、具体的な負傷内容と症状が設定されていた。
切創による大量出血。
骨折による歩行不能。
意識障害。
呼吸が浅く、脈が弱い状態。
すでに反応のない状態。
最初に判断を行うのは、各師団に配置された医療担当騎士たちだった。
戦闘が続いている想定のため、負傷者をすぐに後方へ運ぶ余裕はない。
その場でできるのは、最低限の確認と初期判断だけだ。
呼吸はあるか。
脈は触れるか。
意識はあるか。
出血は制御できるか。
基準は、すでに共有されている。
意識がなくても、呼吸と脈があれば「運ぶ対象」。
意識があっても、出血が激しければ「運ぶ対象」。
呼吸が止まっている場合は、「今は運ばない」。
死亡、または意識のない重体者については、やむを得ず、想定された状況を記した紙が貼られていた。
声をかけても反応がないため、状態を共有するための措置だ。
それでも、判断は紙だけで下されない。
医療担当騎士は、必ず自分の手で確認する。
迷ったときは、一人で抱え込まない。
近くにいる仲間と、短く意見を交わす。
やがて、「戦闘が一段落した」という想定に切り替わる。
ここから、ようやく負傷者の把握と搬送が始まった。
魔法陣が設置された地点へ、重症度の高い者から集められていく。
一度に運べる人数は、最大で十名。
優先度の低い者も、切り捨てられるわけではない。
魔法陣の周囲で待機し、状態の変化を見守られる。
その頃――
結界制御室では、サクラが定刻の修正を終えつつあった。
結界は問題なく安定している。
残る工程を確認し、次の引き継ぎを終える。
予定通り、訓練開始から一時間強。
サクラは、護衛のクロトとともに、第一診療所へ向かう準備を整えた。
今回、サクラに任された役割は「視察と評価」だった。
第三師団長、第五師団長、そして本日サクラの警護を担当している特別師団副師団長クロトも、同じく評価を担っている。
その代わり、特別師団長ヴァルターは、訓練区域での現場指揮に当たっていた。
王宮診療所側では、エルンストとマルタが対応に入りながら、現場の動きを確認する予定になっている。
現場が、
どのように迷い、
どのように判断し、
どこで立ち止まるのか。
それを見るための訓練だ。
訓練は、すでに進行している。
サクラが合流する頃には、現場は王宮診療所へと移っていく途中だった。
再び選ばれる現場
第1診療所の外には、あらかじめ広いスペースが確保されていた。
建物の正面から脇にかけて、仮設の区画がいくつも設けられ、
重体、重症と判断された者から順に、ここへ集められていく。
診療所の中に運び込める人数には限りがある。
それは訓練でも変わらない。
だからこそ、
まずは外で再度状態を確認し、
「今、第1診療所内へ入れるべきかどうか」を見極める。
今回の訓練は、
大規模な被害が発生した状況を想定している。
そのため、王宮診療所の人員だけでは対応しない。
近隣の病院、診療所から、
看護師、医師あわせて数十名が参加していた。
彼らは、突然ここに集められたわけではない。
事前に、城下町の集会場で、
診療所の医療者による詳細な説明を受けている。
――今回の訓練の目的。
――トリアージの考え方。
――誰が、どこで、何を判断するのか。
第一診療所の外では、
再トリアージが始まっていた。
医師と看護師が組になり、
一人ひとりの状態を、改めて確認していく。
呼吸。
脈。
意識レベル。
皮膚の色。
出血の量。
時間経過による変化。
そこでは、想定が崩れる場面も意図的に用意されていた。
軽傷だと思われていた者が、
実は内部出血を起こしており、
短時間で状態が悪化する。
会話ができていたはずの者が、
急に意識を落とす。
逆に、
重体と判断されていた者が、
応急処置によって状態を持ち直し、
治療の順番を下げられることもある。
そして――
どうしても避けられない場面もあった。
処置を行っても、
助かる可能性が極めて低いと判断されるケース。
医師が、
短い確認のあと、静かに首を振る。
看護師が、
それを受け取り、
次の患者へと視線を移す。
誰かが声を荒らげることはない。
だが、その場の空気は、確実に重くなる。
訓練であることは、
全員が分かっている。
それでも、
その判断が下される瞬間の感覚は、
実戦と大きく変わらない。
診療所内では、
治療の「まねごと」が進められていく。
実際に切ることはしない。
薬を投与することもない。
だが、
どの処置を行うか。
どの順番で進めるか。
どこまで対応し、どこで区切るか。
すべてが、
現実を想定した判断として扱われる。
医療者たちは、
自分たちの判断が、
どこで迷い、
どこで遅れ、
どこで変わるのかを、
否応なく突きつけられていた。
これは、
知識をなぞるための訓練ではない。
「できなかったこと」を
安全な場で、はっきりさせるための訓練だった。
■幕間 積み重ねられた現場
第一診療所の外と中を行き来しながら、
サクラは、ある感覚に気づいていた。
騎士たちも、医療者たちも、
迷いがないわけではない。
むしろ、迷いは確かにある。
だが、その迷い方が、どこか違う。
判断の前で立ち止まり、
それでも次の行動へ移る速さ。
――この人たちの中には、
すでに、いくつもの修羅場を越えてきた者がいる。
サクラは、そう明確に感じていた。
サクラ自身、
日本でトリアージ訓練を経験したことがある。
病院内で行われる訓練は、
どれだけ真剣でも、
どこかで緊張が緩み、
「訓練だ」という空気が漂ってしまうものだ。
けれど、ここでは違う。
誰もが神経を張りつめ、
強い緊張感をもって行動している。
まるで、
「起きるかもしれない現実」を、
すでに目の前にしているかのようだった。
日本とは、あまりにも違う環境。
医療資源も、前提条件も、すべてが違う。
それでも――
トリアージという考え方を、
共通の認識として持とうとしてくれている。
限られた中で、
誰を、いつ、どう守るか。
サクラは、
自分がここで説明した内容が、
少しでもこの国の人々を守る道具になればいいと、
ただそれだけを願っていた。
今回の訓練は、
騎士たちの負傷を主体に構成されている。
だが、現実には、
魔物の被害は村や町にも及ぶ。
戦えない人間。
逃げ遅れた住民。
複数の場所で、同時に起きる混乱。
――そのすべてを、
今日ここに集まった医療者たちが、
それぞれの現場へ持ち帰ってくれたなら。
そう思ったとき、。
「……大丈夫ですか?」
低い声で、クロトが言った。
誰にも聞こえない距離だ。
「はい?」
「判断を見続ける側は、
意外と消耗します」
言葉は淡々としている。
心配を前に出すような言い方ではない。
サクラは、ほんの少しだけ息を吐いた。
「でも……
皆さん、すごいですね」
「すでに、
何度も同じ状況をくぐってきて、
悔しい思いをした人もいるのでしょう」
淡々と、そう言う。
「だからこそ、
今回の訓練も、
形だけで終わらせないと思います」
サクラは、小さく頷いた。
聞いた話では、
この訓練をもとに、
全国の警備官(日本でいう、警察+消防)にも、
勉強会が行われる予定だという。
医療者だけでなく、
現場に立つ者すべてが、
同じ考え方を共有するために。
それは、
一度で完成する制度ではない。
だからこそ――
積み重ねていくしかないものだ。
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