第10話 トリアージ訓練編 騎士への説明
部屋を出ると、廊下の端にクロトが立っていた。
壁際に寄り、視線を巡らせながら、すでに護衛の位置についている。
「会議場までお送りいたします、サクラ様」
必要以上の言葉はない。
声も、表情も、いつもと変わらなかった。
「ありがとうございます」
そう答えて歩き出すと、
クロトは半歩後ろの距離を保ったまま並んだ。
王城の奥へ向かう廊下は静かだった。
すれ違う者は、ほとんどいない。
クロトは、会議の内容には触れない。
医療に関わる場ではないことを、
自分自身がよく分かっているからだ。
ただ、歩調がわずかに揃えられていることだけが、
サクラには分かった。
会議室の扉の前で、クロトは足を止める。
「こちらになります」
「……はい」
それ以上の言葉は交わさない。
クロトは一礼し、その場に残った。
サクラは一人で、扉の向こうへ進んだ。
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騎士団・医療担当者合同説明会
会議室には、各師団から選ばれた騎士の医療担当者が集まっていた。
応急処置を任される者たちだ。
正面には、特別師団長ヴァルター・アイゼン。
その左右に、数名の騎士団長が席についている。
制度として扱う以上、
現場だけに任せるわけにはいかない――
そうした判断が、席順にも表れていた。
医療側の代表として、エルンストが前に立つ。
「すでに診療所内では共有した内容だが、
本日は騎士団向けに説明する」
低く、落ち着いた声が響く。
「多数の負傷者が出た際、
身分や階級ではなく、状態を基準に
対応の順序を決める考え方――
トリアージについてだ」
室内は静かだった。
医療担当の騎士たちは、真剣な表情で耳を傾けている。
「これは、
医師や看護師だけが判断を行う仕組みではない」
「現場にいる医師、看護師、
そして医療対応を担う騎士が、
同じ基準を共有するための枠組みだ」
一拍置き、エルンストはサクラに視線を向けた。
「詳細については、サクラに説明してもらう」
サクラは一歩前に出て、頷いた。
診療所で行った説明と、内容は同じだ。
要点を絞り、
現場での運用を意識した形で説明を進める。
エルンストも、最後に同様の内容で言葉を締めくくった。
説明が一通り終わったあと、
しばらく、誰も口を開かなかった。
理解できなかったからではない。
理解できてしまったからこその沈黙だった。
最初に声を発したのは、
第五騎士団長のエドガー・バルクホルンだった。
「確認させてください」
低く、落ち着いた声だった。
「この判断は、
身分や階級、所属する師団によって
左右されるものではない、
という理解でよろしいですね」
エルンストが、はっきりと頷く。
「その通りです」
「誰であれ、判断基準は同じです」
エドガーは一度、目を伏せてから続けた。
「……理屈としては、納得しています」
「我々も、負傷者が一度に出た際、
優先をつけざるを得ない場面を、
すでに経験していますから」
だが、と言葉を継ぐ。
「それでもなお、
助かる見込みが極めて低いと判断された者に
処置を行わない、という選択には、
強い抵抗があります」
反対意見ではなかった。
率直な感情の吐露だった。
今度は、第三騎士団長のカイル・ルーヴェンが口を開く。
「騎士という立場上、
我々は常に、
自分が命を落とす可能性を受け入れています」
静かな口調だった。
「ですが、
仲間がその判断の対象になる可能性を、
頭では理解していても……
即座に受け入れられるものではありません」
医療担当の騎士たちの数名も、
それぞれに短い意見を述べた。
彼らは前線に出ることは少ない。
だが、
仲間を運び、
仲間の血に触れる立場でもある。
サクラは、少し間を置いてから口を開いた。
「……それは、
きっと、誰もが簡単に受け入れられるものではないと思います」
「私の世界の医師たちも、
立場は違えど、
同じことに悩み、苦しみ、
後悔し続けていると話していました」
「本当に……難しい判断です」
医療関係者と騎士。
立場の違いを前に、
サクラは言葉を選びきれなくなる。
それを察し、エルンストが続けた。
これまで多くの修羅場に立ち会ってきた者だからこそ、
出てくる言葉だった。
「判断の苦しさが消えることはない」
「だが、
基準がなければ、
その苦しさは個人の責任として残る」
「それは、
医師でも、看護師でも、騎士でも同じだ」
場に、静かな理解が広がっていく。
完全な納得ではない。
だが、拒絶でもなかった。
ヴァルターが、最後に短く言った。
「……訓練が必要だな」
「頭で理解するだけでは、
現場では使えない」
カイルも、小さく頷く。
「実際に迷う場面を作り、
どう判断するかを、
皆で確認する必要があります」
エルンストは、その言葉を受け止めるように頷いた。
「だからこそ、今回の訓練は意味がある」
「これは、
即答できるようになるための訓練ではない」
視線を巡らせ、言い切る。
「迷いながらも、
判断を共有するための訓練だ」
ここから先は、
知識の話では終わらない。
――現場を想定した訓練が、
始まろうとしていた。
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幕間 静かな遠回り
会議室の扉を出ると、廊下の少し先にクロトが立っていた。
壁際に控え、周囲を確認しながら待っている。
「お待ちしておりました、サクラ様」
いつもと同じ、落ち着いた声。
それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
「ありがとうございます」
そう答えて歩き出すと、
クロトは半歩後ろの位置を保ったまま、並んだ。
最初は、いつもの帰路だと思っていた。
だが、いくつか角を曲がったところで、
進む方向が、微妙に違うことに気づく。
人の通りが少ない回廊。
高い窓から差し込む、夕方の光。
遠くで、どこかの扉が閉まる音がした。
クロトは、何も言わない。
説明も、理由もない。
ただ、歩調がゆっくりで、
私の歩幅に、自然に合わせられている。
しばらく、言葉のない時間が続く。
会議の中で交わされた言葉が、
まだ胸の奥に残っていた。
――命を選び取るということが、
戦場では、どういう意味を持つのか。
騎士たちの顔が浮かぶ。
その中に、クロトの姿も重なった。
クロトは、会議のことには何も触れない。
ただ、静かな道を、遠回りしているだけだ。
それなのに、
胸の奥に溜まっていた重さが、
少しずつ、ほどけていくのを感じていた。
部屋の近くまで来ると、
クロトは足を止め、扉を開けてくれる。
「こちらで、よろしいですね」
「……はい」
「本日は、お疲れさまでした」
公的な言葉。
けれど、声音はやわらかい。
「ありがとうございました」
扉を閉めたあと、
私は胸に溜まっていたものを吐き出すように、
深く息をついた。
言葉にすることはなかった。
ただ、
何も語られなかったその時間に、
静かに感謝していた。
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