第2話 法治都市

― あと7日―



「大立ち回りでしたね」

頭上からかけられた声にザラは目を動かして視線を向けた。後ろからの松明の明かりでよく見えない。背の低い人間が牢の格子越しに自分を見下ろしている。

ゆっくりと立ち上がる。栗色の髪をした女だ。まだ少女と言っていい。いたずらっぽく口元に笑み漂っていた。

「俺自身は何もしていない、大騒ぎしたのはお前らだろう」

少女がくすくすと笑う。

「……怖くないのか」

「あら?私もスペルが使えるんですよ、得意ではないけど」

屈託のない笑顔を見せる。毒気が抜かれる。

「小娘に牢番をさせるとはな……」

ザラは苦笑する。

「あなたをいつでも殺せる小娘、ですね」

邪気を全く感じない笑顔で少女が言った。ザラはふんと鼻を鳴らす。

【殺し屋も形無しだな】

蛇の声が意識に響く。

【抜かせ】

後ろ手に縛られた腕をかばいながら壁面に背中を預け、ゆっくりと腰を落とした。


あのあと門はしばらく開かなかった。ザラの大声が響くと水を打ったように静かになり、やがて幾人かが駆けだす足音が聞こえた。雪がやんだ。中天にあった太陽が傾いて行った。柔らかな日差しがザラの頬を温め、彼の影が堀を越えて伸び城門に届こうかという頃、跳ね橋が降ろされた。彼はそれを渡り城門の前に立った。と、触れるよりも早く城門は勢いよく開かれた。


無数のさすまたが怒声とともに一気に伸びてきた。ザラは城門前の地べたに押さえつけられた。

「口押さえろ!口!」

狂ったような誰かの声が聞こえる。もとよりザラに抵抗する気はない。無数の学生が彼に折り重なるようにかぶさった。ザラを中心にした団子のような塊になり意味の分からないかん高い声が響き続けた。ザラは全身をちぎられるような痛みを感じながらやがて麻布を口に噛ませると縛られた。両手も後ろ手に縛られている。椅子が担がれてくると彼はそれに座らされ、さらに縛られた。


すでに怒声は歓声に変わっていた。高い声が飛び交った。

【祭りだな】

【お前も冗談を言うのか】

蛇が笑う。青年たちはザラを椅子ごと担ぎ上げると学院都市の中央部を突っ切っていった。やがて都市の象徴たる円形劇場につくとザラは椅子ごと舞台の中央に安置された。わずかに動く首を回し見ると客席は隙間なく埋まっているようだ。

【盛況じゃないか】

【抜かせ】

風が冷たいのに陽ざしが暑い、焼けるようだ。歓声が響いている。

どのぐらい時間が経ったか、やがてザラの視線の先からまっすぐこちらに向かって来る人影が現れた。歓声がひときわ大きくなる。大柄な男だ。舞台の上に肩と腕で自分の体を持ち上げて登りザラの目の前まで来た。

朗々とした声が響く。歓声に紛れてもそれは通った。

『静かに!静かに!』

波が引くように静寂が伝播していく。どこか遠い国の出来事のようにザラは感じていた。男がザラをまっすぐ見据えた。紫の学衣、見事な体躯だ。頭髪にはわずかに白髪が混じる。

「どうした、私に会いたかったのではないのか?」

ザラはなめるように男を吟味した。

「はじめましてプラウスだ。書を紡ぐ者、プラウス。ごきげんよう」

男は慇懃に右手を前に添え頭を下げて見せる、古式の敬礼だ。ひときわ大きな歓声が上がった。

「諸君!」

プラウスは再び群衆に朗々と語りかける。歌のようにー。

「愚民の都、都市国家アレフからのお客様だ!こともあろうに私を殺そうというらしい!」

聴衆から爆発するような笑い声が響く。

プラウスはかかとを鳴らしてザラのすぐそばに来るとしゃがみこんで顔を覗く。息のかかる距離でのプラウスの目は吸い込まれるような青だった。

と、突然プラウスはザラの左胸の布地を掴むと、引き裂いた。素肌と文字が覗く。

「ルーンか、苔の生えた魔法だ」

ついでザラの頬をなぜるとそのまま髪をかき上げた。わずかに尖った耳を見てザラにだけわかるように笑いかける。プラウスはザラの猿轡を乱暴に引きぬいた。


「学院都市の学長様は男の胸を覗くのが趣味らしいなぁ!」


ザラが渾身の大声で叫ぶ、聴衆は一瞬静かになった。プラウスが腰を曲げて大げさに笑いの仕草を示すとまた割れんばかりの嘲笑に包まれた。


「不遜な、あまりにこの不遜な刺客!しかし我々は殺さない!諸君わかっているな!」

朗々とプラウスが歌う。聴衆から鋭く声が上がった。

『法治!我々が法治だからだ!』

いかにも!その通り!等の声が散発的に聞こえた、やがて誰かの声に合わせるように一つの言葉が繰り返されていく。

『法治、法治、法治……』

群衆の合唱は大きくなりザラの内臓を揺さぶる地響きになった。

『法治!法治!法治!』

プラウスが右手をあげ声を制する。

「いかにも我々は法治国家である!いかに仇敵であろうと裁判を行い有罪が決まるまでこやつは罪人ではない!」

「裁判を行い、我々の理知と優位を!都市国家アレフの愚鈍と劣勢を示す!」

地響きのような歓声と拍手。

「公判は7日後の正午に行う!望むものには陪審権を与える!」

歓声はさらに大きくなる。プラウスが右手をあげるとザラの椅子が複数の青年に掴まれた。プラウスの姿が小さくなる。運ばれていく。

【アレフの宰相でもあんな真似は出来ん。都市国家は敗れるな】

蛇が自嘲気味に言う。ザラが答える。

【魔姫の息を受けたということだ。人間ではない】



ザラは牢にひかれた藁に腰を下ろした。牢に窓こそないが寝具と便所は清潔だった。温かいように配慮もされているようだ。


裁判かー


ここまではわかっていたことだ。学院都市と書を紡ぐものプラウスは敵対者を殺さない。少なくともすぐには。問題はここから殺し切れるか、だ。

「意味があるのか?これは?」

少女は自分が呼びかけられていると気づくまで一瞬の間があった。

「裁判だ、おれは明らかに悪だろう?」

少女が不思議そうな顔をする。

「それを決めるのが裁判なんですよ?我々は理性とともにあります」

ザラは円形劇場の熱狂を思った。

「噛み合わんな」

「ええ、でも……あなたはやっぱり死刑になると思います」

少女は目を細めて笑った。



― あと6日―


交代の時間になると盆に金具が当たる音を細かく響かせながら、例の少女が夕食を運んでくる。

「ハイハイご飯ですよー」

それを確認するとひょろっとした長身の男子生徒が軽く頭を下げて少女とすれ違った、先には階段があり、半地下のここから塔のエントランスに続くはずだ。

【一言もしゃべらんな、つまらん。ワシは聞くだけだが】

【それが普通だろう】

ザラは笑う。

「豆のスープが二杯にミルクですね~」

盆がそこの格子窓から押し入れられた。後ろ手に縛られたままザラは這っていく、芋虫のように。そばに来るとスープの匂いが鼻をくすぐった。

「もうちょっと人間らしく扱って欲しいもんだね」

「充分人間らしいと思いますよ?」

少女がザラを見下ろす、逆光で見えないが恐らく笑っているのだろう。

「ちょっと待った方がいいですよ、熱いですから」

「犬の食い方しかできんがな」

ザラは少女の息を吹くような笑い声を聞いた。しゃがみ込みこちらと視線を合わせる。

「出来ないとわかりますよね?右手を斬り落としていいなら、ほどいてあげられるけど」

ザラは鼻から食器につっこんだ。塩味が喉を濡らす。スープは盆にこぼれたがそれも啜ればいい。そこも考えての盆なのだろう。

「知っていたのか。ルーンについても学ぶのか?」

「概要と理論だけ。どんな魔法があるかとかはしらないです。学長が不要な技術って」

「お前らから見ればそうかもしれんな」

ルーン魔術に必要なのは刻印と手の印。右手で印が結べなければ魔術が『走る』起動することはない。裁判までザラを人間として扱う以上、両手の拘束は外せないわけだ。身体と一体化したルーンを消すには、使うか、殺すしかない。

ふと気づいてザラは言う。

「こういう食事も君らと同じなのか?」

少なくとも都市国家の一般的な食事よりずっとうまい。牢番の少女は盆に向けてぐっと顔を近づけた。栗色の髪と瞳がすぐ側にある。

「別にみんな同じもの食べてるわけじゃないけど」

「食堂のメニューは同じだったかな。スープふたつじゃなくてスープと鰯の焼いたのだけど」

「そうか……ありがとう」

少女が嬉しそうに笑う。

「お礼言えるんですねぇ……豚とおんなじ愚民って聞いてました」

ザラは思わず吹き出した。スープが喉に入りむせる。

「抜かせ」


人心地つくととザラは藁に頭を入れて目をつぶった。

「ひとつ頼みがあるかいいか」

少女の返答は少し遅れた、迷ったのか、うとうとしていたのか。

「なんでしょうか」

「聞けるのか?」

「内容によります」

ザラは起き上がり彼女の方を見た。顎をしゃくると傍にしゃがんでくる。

「学院を見下ろせる高台があるだろう、紫の草の」

「西側のですか?」

「ああ……そう、西の高台だ」

「ベラの庭かな、一応あそこ入っちゃダメなんですよ?」

「そこにミソサザイが巣を作っているんだ」

「ミソ?なんですか?」

「ミソサザイ、小鳥だ。それに……」

ザラはそこで言い淀んだ。

「餌を……やってくれないか……」

少女が目を丸くしてザラを見る。そのあと口元を覆って顔をそむけた。肩が細かく震え、息が漏れる声がする。

「笑うなよ」

「だって……暗殺者が……小鳥って……」

「……もう都市国家では絶滅した鳥なんだ」

少女は指で目元をぬぐった。泣くほどだったか。

「ホントは入っちゃダメなんですけどね、いいですよそのぐらい、何あげればいいんですか?」

「穀物やみかんの切ったやつでいい」

「みかんの切ったやつ……」

これも可笑しかったのか少女は顔をまた反らすと石造りの床を平手でたたいた。彼女が笑い終えるのまってザラが言った。

「すまないが、頼む」

「いいですよ、でも……」

少女は糸のような目の笑顔をこちらに向けた。

「あなたはやっぱり死刑になると思いますよ」



― あと5日―


……ミソサザイは……やってくれたか?

はい。

君が行ったのか?

はい。

では明日も頼む。



― あと4日―


牢に激しい嗚咽の声が響いた。石造りの壁に反響する。藁の上に鮮やかな黄色が注ぐように吐き出される。胃液と混じったかぼちゃのスープだろう。激しい足音や怒号が上の階から聞こえる。牢番の少女は狼狽え、中腰に階段の方向と牢を交互に繰り返し見た。

やがて格子の向こうに紫の学衣が見える。近づいてくる。

「学長!」

少女が泣き顔を向ける。プラウスは落ちつかせるように少女の肩に右手を置いた。

「お前の失敗ではない」

「しょ、食事に何か!」

しゃくりあげながら少女が言う。

「いや……」

プラウスは牢に向き直った。藁で口を強引にぬぐい、ザラは身をよじりながら壁を使って上体を立てた。

荒い息のザラとプラウスの視線が交差した。

「死を恐れるからな……人間は」

プラウスは憐れむとも蔑むとも取れない目をザラに向ける。

「外しなさい」

「しかし……」

「敵の無様な姿を見るものではない」

「はい……」

少女は小走りに廊下を渡り階段を昇って行った。プラウスはそれを目で追った。


「……哀れだな、人間は。我々は死を恐れない、恐れることが出来ぬ」

プラウスがその長躯からザラを見下ろして言った。

「死を恐れないなら生きていないと同じだろう」

ザラがプラウスをにらみながら返す。

「そう考えるのが人間ということだ。……もっともお前は……半人間か……」

「おれはただの人間だよ」

プラウスが薄く笑う。

「下らぬことにこだわるな……自分が優れていると何故誇らない?」

「まるでお前は優れた存在のようだな……」

「当然だ、姫の息を受けたのだからな」

「魔姫は都市国家アレフに敗れたぞ」

水面に落とした墨のようにプラウスの顔に狂気じみた笑みが拡がった。石壁が割れるかと思うほどの笑い声が反響する。

「姫が!敗れた?アレフに?」

プラウスは床に腰を下ろし胡坐をかいた。面白くてたまらないというように膝を激しく叩く。その間も狂気じみた視線はザラを見据えていて動かない。

「姫は自ら死を選んだのだ!愚民どもの決定に従ったのだ!」

笑みを湛えたままプラウス続けた。

「我々がその気なら都市国家アレフなどあの時点で皆殺しに出来た」

「かもしれんな」

「姫は死んでも歌が残る、私が死んでも歌が残る。すでに車輪は廻っているのだ、もう姫に会えないのは悲しいがな」

プラウスは視線をそらしてそう言うと鼻で笑った。

「名を何という」

「……ザラ」

「字(あざな)だろう、アレフの古語だ」

ザラは答えない。

「人間以上の知性を持った姫を魔姫とお前らは言う。姫の息を受けた人間以上の存在である我々を魔人とお前らは言う……」

プラウスは続ける。

「では三百年前に現れた魔王は何をもたらした?」

「……ルーン……民主……エルフ……」

「そうだ。その力で帝国を滅ぼしたのだ。姫の歌もアレフを滅ぼす……魔姫として歴史に刻まれるだろう……単に優れているというだけでな。現にアレフの宰相もエルフであろう」

ザラは壁に額を当てていた。ひんやりしている。

「単独で侵入する胆力、私を前に怖じないほどの意志力」

プラウスはねめつけるような視線を向ける。

「ザラ、お前はこちら側に来い。愚民のために使う命ではない」

今度はザラが鼻で笑った。プラウスは立ち上がる。

「よく考えろ、歴史は個人が動かすのではない、処刑となれば処刑する」

紫の学衣が小さくなっていくのをザラは横目で眺めていた。

【面白いやつだったな】

蛇の声が意識に響いた。

【……そうだな】

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