第3話 準備
その施設は、外出が自由だった。
門限はなく、届け出も形だけ。
職員に声をかければ「いってらっしゃい」と返ってくる。
だから三人が揃って外へ出ても、誰も不審に思わない。
「買い物であります」
郷田がそう言えば、それで通った。
中古車展示場から戻ったのは、昼過ぎだった。
ケイが運転席、神山が助手席、郷田が後部座席。
くすんだシルバーのセダンは、施設の門を静かにくぐる。
守衛なんかいない。
代わりに、事務室の窓から職員の視線が一つ、流れてきた。
駐車場の空きスペースに車を入れたところで、声がかかる。
「あれ、姫野さん?」
若い職員だった。
洗濯物を抱えたまま、目を丸くしている。
「車、買ったんですか?」
ケイはエンジンを切り、窓を下ろした。
「ええ。買い物用」
それだけだった。
職員は一瞬きょとんとする。
「免許……って」
「返してないわよ」
ケイは煙草を取り出しそうになって、思い直した。
「現役。更新もちゃんと行ってるわよ」
言い切りだった。
誇るでもなく、隠すでもない。
職員は納得したように頷く。
「そういえば、前に運転してたって……」
「昔の話しよ」
ケイは肩をすくめる。
「今は、重い物運ぶときだけ」
神山が横から補足する。
「まとめ買いに便利だ。手押し車より静かだしな」
郷田も続けた。
「規則上、問題はないでありますが?」
三方向から同時に正論を投げられ、職員は笑った。
「確かに。空いてる所、使ってください」
疑いは、なかった。
車は、施設駐車場の一角に収まった。
隅の、街路樹の影になる場所。
誰の邪魔にもならず、
誰の記憶にも残らない位置。
ケイは一度だけ車を振り返る。
派手さはない。
若さもない。
だが、峠を越える理由は、すべて揃っていた。
夜。
ケイは一人、再び運転席に座る。
キーを回す。
一拍遅れて、低く太いエンジン音。
「……いい子ね」
アクセルを軽く踏む。
レスポンスは鈍い。
だが、一定以上は裏切らない。
「峠で必要なのは、速さじゃない」
独り言のように呟く。
「減速の正確さ。荷重移動の分かりやすさ」
ブレーキ。
クラッチ。
ステアリング。
すべてが、素直だ。
「踏みすぎなきゃ、ちゃんと応える」
それは、若さのない自分自身と同じだった。
展示場で神山が言った言葉を、思い出す。
――人間は衰える。仕組みは裏切らない。
「違うわ」
ケイは小さく笑う。
「仕組みも、人も……付き合い方次第」
エンジンを止め、車を降りる。
施設の灯りが、窓越しに揺れている。
この車は、大丈夫、逃げ切れる。
駐車場の一角に置かれたそのセダンは、
静かにその役目を待っていた。
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