第5話 赤いドレスと白いドレス
『承りました。ですが良いのですか?』
「何がです?」
私は抑揚のない声で訊ね返す。
『今回あなたは8年を遡行しました。次は16年ですよ?』
この時間遡行は、戻った倍の時間内はやり直しができない。
前回私は8年を遡っている。
「別に構いません。次はうまくやりますから」
『そうですか……。
それでは承りました。あなたに幸福が訪れんことを――』
これが最後の時間遡行になることを願って、私は16年を遡った――。
………………
真っ白な視界が戻ると、私はストーブの前に座り込んでいた。
「ねぇ、真衣は誰が好きなの?」
私の隣にいる制服姿の少女が興味津々な顔で問いかけてくる。
あれ?何かおかしい!
私はバッと立ち上がり周囲を見渡した。
黒板には12月24日木曜日の文字が書かれている教室。
制服姿の若い男女が、気ままに朝の時間を過ごしていた。
「真衣、どうし――」
「ねぇ!今、西暦何年?」
私は制服の少女に訊ねる。
「えぇ……と、2009年だけど――。って何?時かけでも見た?」
間違いない――。
今私と話をしているこの少女は由紀。
当時私が仲良くしていたクラスメイトだ。
私は14歳になっていた――。
………………
「――真衣、あんた変わったね」
それから1年後の春、由紀は私にそう言った。
当時の私は活発で誰ともすぐに打ち解ける子供だったと思う。
だが、今の私は大人びた理論で相手を言い負かすような日々を送っていた。
そんな私にも唯一話しかけてくれていた由紀だったのだが――。
私は変わった――。
だが、もうやり直しは利かない。
次は32年を遡ることになる。
そうなれば、私はこの世に存在すらできないかもしれない。
だから、私は正解を引き当て続けなければならないのだ。
由紀がいなくても問題はない。
今年の秋、体育祭で夫が私に告白をしてくる。
そして私たちは付き合い始め、23歳の5月に皐月を産む。
その路線にさえ乗れれば問題は無い。
まだ、間に合う――。
そして、運命の体育祭。
夫からのアプローチは、無かった――。
おかしい。
私は夫となる男子学生を呼び出した。
「吉沢君。私と付き合ってくれる?」
「え……?ごめんなさい。良く知らない人とは……。それに僕も付き合い始めた子がいるんです。他を考えるつもりはないから。ごめんね」
――は?
夫とはそれっきり接点がなく、私は当時受かるはずだった大学にも落ちてしまった。
ある日、夕食中に母から
「真衣。由紀ちゃんは来年結婚するそうよ。そろそろあなたも仕事を見つけて――」
私はそれを聞かないことにし、「ごちそうさま」と言い残して部屋を出ていく。
「どうしてこんな……。昔は明るい子だったのに――」
部屋から出る間際、そう嘆く母を見た。
そんなに周囲から見た体裁が気になるの?
それは私のためじゃなくて、あなたのためでしょ――。
――あれ?
これって、どこかで……。
私に対して「今日はこのドレスを着たい!」と笑顔で喋りかける元気な皐月の姿が蘇る。
それはまるで何十年も昔の様な朧げな記憶になっていた。
同時に、リビングで無表情に本を読む少女の姿を思い出す。
これはあなたのためだから。
そう言い聞かせ続け、その少女は自己主張をしない人形の様な存在になった。
その少女の姿と、ボロボロな身なりの階段下で眠る少女の姿が重なる。
そして、今更ながらに気づいてしまった。
あの子も、皐月だったんだ――。
『あんた変わったね』
由紀の言葉が蘇る。
その通りだ。
変わったのはあの子じゃない。
変わったのは、私の方だった――。
「皐月……。ごめんね。私が間違えていたね……」
私の目から何年ぶりかわからない涙が溢れ出す。
皐月は皐月の人生を生きたかったはずだ。
それを抑圧して「あなたのため」と呪いを吐き続けて、ボロボロにしたのは私だった。
今更そんなことに気がつくなんて――。
だけどもう取り返しがつかない。
過ぎた時間は戻らない。
それに夫との接点も無いし、もう何もかもがあの時とは違う――。
「皐月……、皐月……!」
その名前を何年振りに口にしただろう。
10年以上ぶりに口にした娘の名前に、氷の様に固まっていた感情が溶け出していく。
もう一度、皐月に会いたい……。
「女神様!私の全てを犠牲にしてもいい!
だから、もう一度だけ、やり直させて!」
だが、
その願いに応える声は無かった――。
自室で一晩中泣き明かし、気がつくと朝を迎えていた。
窓の外からの光が眩しくて私は目を細める。
皐月、
ダメなママでごめんね――。
あなたにもう一度ママと呼んでほしい。
あの明るい笑顔で私の手を握ってほしい。
こんなママだけど、あなたとの日々を無駄にしたくない。
ママ。頑張るからね。
私は部屋を出てリビングに向かう。
朝食を取っている両親の唖然とした顔をよそに、私はPCをつけ求人サイトを表示した。
2014年5月。
私は就職先を探すことにした。
最終学歴が高卒なのはいかがなものかと思っていたのだが……。
「学歴なんて関係ない。人が良くてやる気があればうちの会社は採用するよ」
そう言ってくれた面接官のIT会社に内定が決まった。
私はその会社で私にしかできないことをやる。
時間遡行をする度に私の周囲は少しずつ変わるが、それでも大枠は変わらない。
それを活かした"転生チート"というやつだ。
その甲斐あって、退職する2017年6月の時点で、そこそこの知名度を得る程に会社は成長していた。
退職の理由。
それは私が妊娠していると分かったからだ。既に入籍も済ませてある。
相手?
それはあの日、私を振った夫。
私は自社サービスの営業をする上司のサポートに就き、多くの会社を回った。
その得意先に夫がいたのだ。
まさかの出会いに驚いたが、相手は私のことなど覚えていない様子だった。
何度か会食を重ねるうちに、私たちは仲良くなる。
「なんだか、君といると安心するよ」
そうだろう。何年一緒にいると思っているのだ。
ある日、直接会いたいという誘いがあり、そこで私は告白された。
それが2016年7月10日のこと。
奇しくも私たちの結婚記念日と同じだった。
奇妙なことは続くものだ。
翌年3月に私の妊娠が発覚し、5月3日大安の日に入籍をした。
夫からの提案だったが、まさか皐月の誕生日に入籍しようと言い出されるとは思いもしなかった。
娘の出産予定は11月頃を予定している。
これは少し遅れてしまったが、まぁそういうものだろう。
実のところ、まだ性別は分かっていない。
だが、これだけは確信している。
皐月は私の娘なのだ。
そして――。
2025年12月24日――。
7時ちょうど。朝のニュース番組のオープニングが始まり、アナウンサーの女性が今日の番組構成を喋っている。
何度も見慣れたその台詞を聞きながら、私はキッチンに立つ。
だが、そこから手が進まない。
視界が涙に歪んでいるからだ。
「ママ!今日はこの服にする!」
8歳になったばかりの娘、皐月が駆け寄り、コンサートに着ていく真っ赤なドレスを体に当ている。
私は皐月を強く抱きしめた。
この子に私の涙は見せられない。
「ママ?どうしたの?」
「なんでもないよ……」
あぁ、私はとうとうこの日に戻ってきたのだ。
この8年間。
いや、お腹の中にいた頃も含めて9年間――。
私は母として、最大限の愛情をこの娘と夫に注いできた。
私の間違いで辛い思いをした彼女たちは、今の私のことを許してくれないかもしれない。
だけど、彼女たちがいたことで、今ここにいる皐月が笑顔でいてくれる。
彼女たちのことも含めて、皐月は私にとって大切な存在だ。
この9年間は、私にとってかけがえのない幸せな日々だった。
そして、残りわずかとなったこの時間を、この子のために注ぎたい――。
「皐月――。
ずっと、ありがとうね」
「どうしたのママ?
やっぱり変だよ」
「ううん。
私は皐月といられて幸せなんだよ」
2025年12月24日 17時37分。
皐月は真っ赤なドレスを着て、大勢の観客から拍手を浴びていた。
その観客たちの前で堂々と、そして深々とおじきをする姿。
その喝采の中、私だけが観客席で泣き崩れていた――。
………………
2025年12月25日 0時00分。
私はまたこの白い世界に来ていた。
『おひさしぶりですね。16年振りでしょうか』
「えぇ。そうですね」
『今回はどうします?32年戻しましょうか?』
その存在に、私は深々と頭を下げる。
「長い間、お世話になりました。私は今の時間を生きていこうと思います」
『良いのですか?もうやり直しのチャンスは巡ってきませんよ?』
「構いません。私は……代償を請求されるのでしょうか?」
『ぷっ!何それ?君は悪魔とでも契約をしたつもりかい?
僕は女神。代償なんていらないよ』
突然砕けた口調になったその存在は咳払いをする。
『では、これでお別れですね。
あなたの人生に幸福が訪れんことを――』
白い世界が消えていき、次第に現実の世界に戻っていく――。
『もう、ここに来ちゃダメだよ――』
最後にそう、聞こえた気がした。
………………
私はこの世界を生きていく。
以前と違い、今の私には新しく始めた事がある。
それは――。
「どれも素敵ねぇ。目移りしちゃう」
その母親は、まるで娘を着せ替え人形のようにし、来月のコンサートに着ていく服を選んでいた。
「ねぇ、先生はどれが良いと思うかしら?」
私は今バイオリンの講師をしている。
皐月と共に始めたバイオリンが実は私に合っていたらしく、今では人に教える立場となっていた。
そして"娘がクリスマスコンサートに出た"という事で箔がつき、最近では定員割れするほどの人気ぶりだ。
「そうですねぇ――」
私は母親の問いに答える事なく
「美佳ちゃんはどれがいい?」
彼女は真っ白のドレスを指差す。
「じゃあ、これがいいってお母さんに伝えようか」
「うん。ママ!私、このドレスがいい!」
時をかける母 みむらす @youaota
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