第4話「王子が産まれた価値」

大陸歴 2791年 5月 エヴェリン王国 王都リュミエール / リリア=エヴェリン


豪奢な天蓋付きベッドの傍らで、私は静かに紅茶の香りを吸い込んだ。 侍女長のエラーラが淹れる紅茶は、いつだって完璧だ。張り詰めた神経を解きほぐすような、深みのあるフレーバーティの香りが、執務で疲れた脳に染み渡る。


「……よく眠っていますね」


カップをソーサーに置き、私はベビーベッドの中を覗き込んだ。 そこには、この国の明るい未来そのものが、安らかな寝息を立てて眠っている。 生後三日を迎えた第一王子、ヒイロ=エヴェリン。 まだ赤ら顔の小さな生き物だが、その寝顔には不思議なほどの落ち着きがあった。


「ええ。本当に手のかからない子よ。泣くのもお腹が空いた時だけだもの」


ベビーベッドに腰かけた姉――女王アウローラが、慈愛に満ちた眼差しを息子に向けている。 難産だったと聞いている。姉様も今年で34歳。私たちエヴェリンの血筋は若々しいとはいえ、出産は命がけの行為だ。 顔色はだいぶ良くなったが、それでもまだ疲労の色は隠せない。おそらく、これが最後の出産になるだろう。


「姉様、無理はなさらないでください。政務のことは、私と大臣たちで滞りなく進めていますから」 「ありがとう、リリア。頼りにしているわ。……貴女が宰相でいてくれて、本当によかった」


姉様が私の手を握る。その温かさに、私は少しだけ頬が緩むのを感じた。 私たちは姉妹であり、主従であり、そして同じ夫を持つ妻同士でもある。


「……エリオン様も、喜んでいるでしょうね」


私が呟くと、部屋の扉が静かに開き、話題の主が入ってきた。 夫であり、王配であるエリオンだ。 彼は人の好さそうな笑顔を浮かべ、姉様と私に歩み寄ってくる。


「やあ、二人とも。ヒイロの様子はどうだい?」 「ぐっすりと眠っていますわ。エリオン様」


私が椅子を勧めると、エラーラがすかさず新しいカップに紅茶を注ぐ。 エリオンはヒイロの寝顔を覗き込み、愛おしそうに指先でその小さな頬に触れた。


「……本当に、よく生まれてきてくれた。アウローラ、リリア、二人には感謝してもしきれないよ」


エリオンの言葉には実感がこもっていた。 彼は元々、子爵家という決して高くはない身分の出身だ。 だが、その誠実な人柄と美貌、そして出生時に約3%の確率で生まれ持つ『Word』を持って産まれたことで、姉様の伴侶として迎えられた。


彼は魔力量はあまり多くないが、『Soil(土)』というWordを持っているので、魔道具なしで土に関する現象を起こすことができる。この世界には一つの言い伝えがある。 『Wordを持つ男性の種からは、Wordを持つ子が生まれやすい』 彼が王配となり、私たちが彼を共有している理由の一つもそこにある。実際に姉様は4人産んで2人、私は2人産んで1人がWordを授かって生まれてきたのだから、迷信ではないと考えられる。


もし、ヒイロがWordを授かっていたとしたら? あるいは、魔力量が多かったとしたら?


生後一か月後に行われる神殿での「祝福の儀」。そこで全てが判明する。 もしヒイロが強力なWordや魔力量を持っていれば、彼は単なる「希少な男児」を超えて、大陸の情勢すら左右する存在になるかもしれない。


「でも、これからは大変だね」


エリオンが苦笑交じりに言った。


「男の子一人に、姉が四人。それにこの国中の注目が集まる。……僕以上に、忙しい人生になるだろうな」 「あら、エリオン様のように優しく育てば十分ですわ」 「いやいや、リリア。優しさだけじゃ、男はこの世界で食い物にされるだけだよ。……子供が100人生まれても男は3人いるかいないかだ。僕が、教えられることは全て教えるつもりだ。王族としての振る舞いも、男としての身の守り方もね」


普段は穏やかなエリオンの目に、父としての強い意志が宿っていた。 頼もしいことだ。 女性上位のこの社会で、男としてどう生き抜くか。それを教えられるのは、同じ男性である彼しかいない。


「ふふ、頼もしいお父様ね」


姉様が鈴を転がすように笑った。


「ええ、本当に。……姉様と私を娶り、公私共に支えてくださるエリオン様が父親なのですもの。ヒイロもきっと、素敵な男性に育ちますわ」


私が同意すると、エリオンは少し照れくさそうに頭をかいた。 この穏やかな時間。 この世界では男性が少ないため、姉妹や友人など複数人で一人の夫を共有することは当たり前のことだ。 だが、制度として当たり前であることと、幸福であることは別だ。 こうして互いに慈しみ合い、支え合える私たちの家庭は、間違いなく幸福な部類に入るだろう。


「さて……」


私はカップを置き、宰相の顔に戻った。 今はまだ、ヒイロの誕生は一部の側近にしか知らされていない。だが、いつまでも隠しておけることではない。


「生後三日が経過し、母子ともに健康状態は安定しています。そろそろ、正式に王子誕生の公布を行いましょう。一か月後の『祝福の儀』に向けての準備もしなければなりません。」


私は頭の中で、ヒイロの出生に伴ってこれから起こるであろう反応をシミュレーションする。


まず、国内。 ここ数年、有力貴族の家系で男児が生まれた家はほとんどない。どの家も、喉から手が出るほど「婿」を欲している状態だ。 公表されれば、姉や私の執務室には出産祝いの品と共に、気が早い縁談の打診の手紙が山のように届くことになるだろう。

そして、国外。 周辺諸国も、王家の直系男子という情報を無視はできないはずだ。


「ええ、お願いするわ、リリア」 「国中がお祭り騒ぎになるでしょうね。……騎士団と財務大臣が悲鳴を上げそうですが、それも嬉しい悲鳴ということで」「男の子の『祝福の儀』は平民であっても多くの人が見に来ると耳にする。それも王子の『祝福の儀』となると現地参加したいという人が多くなるだろうねぇ...」


私は手帳を取り出し、今後のスケジュールを確認する。 公布と同時に、各国の大使への説明会。 そしてヒイロの顔見世となる祝賀パーティの開催。そして「祝福の儀」と、セキュリティレベルはどれも最高まで引き上げる必要がある。騎士団長ライラには胃の痛い思いをさせるかもしれないが、完璧にこなしてもらわなければ困る。


「「祝福の儀」でわかることだが、もし、ヒイロがWordや高い魔力量を持っていれば、僕だけでなく、指導ができる専門家も呼んだほうがいいかもしれないね。」「ふふ、お父様は気が早いわね」「なに、生まれてくる子の3%はWordをもってるわけだし、あっという間に時間は過ぎていくものだから考えておくに越したことはないさ」


(覚悟しておきなさい、ヒイロ)


私は姉と夫が話すのを聞きながら眠る甥っ子に、心の中で語り掛けた。


(貴方はただの赤ん坊じゃない。この国の希望そのものなのよ。……おば様が、全力で貴方の人生が明るく幸せに満ちたものにしてみせるわ)


ベビーベッドの中で、ヒイロが小さく身じろぎをした。 まるで、私の決意に応えるかのように。 やれやれ、本当に肝の据わった子だこと。


私は満足げに微笑み、残りの紅茶を飲み干した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る