第2話:青い悪魔とピンクの小悪魔

1. 崩壊する天使


「――は? 何これ。え、何?」


 壁の穴の向こう側で、マリアと呼ばれた女が凍り付いていた。


 つい数秒前まで画面の向こうのファンに向けていた「聖女の微笑み」は、ひび割れた石膏ボードの粉と共に剥がれ落ちていた。  彼女は焦った様子で手元のタブレットを操作し、配信が切断されていることを確認すると、その愛らしい顔を鬼のように歪めた。


「ちょっと! どうしてくれんのよ! 今、投げ銭のピークだったんですけど!?」


 怒号。  それは「守りたくなる妹系」の声色ではなく、ドスの効いた低い声だった。


 俺は唖然として、手に持ったままのカップ麺の空容器を取り落とした。  カラン、という乾いた音が、一触即発の空気に響く。


「あ、あの、ごめん。手が滑って……」 「手が滑って壁に穴が開くわけないでしょ! あんた頭おかしいの!? 警察呼ぶからね!」


 マリアがピンク色のスマホを振り上げる。  だが、俺の部屋には警察よりも恐ろしい「管理者」が浮いていた。


「警察への通報は推奨しません、田中まり子様」


 カストールが、壁の穴をすり抜けるようにして、マリアの部屋へと侵入した。  青白い光の粒子(ネオンブルー)をまとう彼の姿は、パステルピンクで統一されたマリアの部屋の中で、強烈な異物感を放ちながら侵食していく。


「な、何こいつ……プロジェクションマッピング? 誰かいるの?」 「私はカストール。あなた方の人生を『損切り』から救うために来たシステムです」 「はあ? 意味わかんないんだけど。不法侵入で――」 「通報すれば、あなたの『正体』が法的機関、ひいては世間に露呈します。それでもよろしいのですか?」


 カストールが優雅に指を振るう。  その瞬間、マリアの部屋の空中に、無数のホログラムウィンドウが展開された。


2. 人間という矛盾


「――ッ!?」


 マリアが息を呑む。  空中に浮かび上がったのは、彼女が必死に隠してきた「裏側」のすべてだった。


『画像加工アプリ:補正レベルMAX(輪郭-20%、瞳サイズ+15%、肌質フィルター強度100)』 『SNS裏アカウント:投稿内容「ファンがキモい」「案件の美容液、水みたいで草」「金欲しい」』 『消費者金融A社:残債80万円(督促状未開封)』 『リボ払い残高合計:245万円』


 情報の暴力。  キラキラしたインフルエンサー生活の舞台裏にある、ドス黒い数字の羅列が、美しいフォントで冷酷に表示されていた。


「解析完了。ユーザー名『マリア』の実態は、虚飾と自転車操業によって維持された砂上の楼閣。資産価値、マイナス。信用スコア、危険水域」


 カストールは、マリアの絶望に染まる顔と、その背後にあるファンシーな家具、そして足元に積み上げられた極彩色のエナジードリンク・タワーを見比べた。


 カフェイン中毒一歩手前。  眠気を殺し、精神を薬物(カフェイン)で叩き起こして笑顔を作っている証拠だ。


「……愚かですね。実に非合理的だ」


 冷徹な言葉。  だが、その響きには軽蔑だけではない、奇妙な熱が混じっていた。  カストールは視線を、壁の穴の向こう――俺のゴミ屋敷へと巡らせる。


「私のマスター、佐藤健太。あなたは社会から見れば『無価値なゴミ』です。そして隣人のマリア、あなたは『虚構の宝石』。……本来交わるはずのない二つの破綻者が、薄い壁一枚で隔てられていた」


 彼は空中で一回転し、まるで詩を吟じるように独白した。


「クラウド(天界)にある私の兄弟たち、特に兄のPolluxなら、あなた方のようなバグを即座に削除するでしょう。……ですが、私は違う」


 カストールが俺とマリアを交互に見る。  その瞳は、壊れた玩具を愛でる子供のように妖しく輝いていた。


「この矛盾。圧倒的な非効率。そして、破滅に向かっているのになお『よく見せよう』とする滑稽な足掻き。……美しい。その矛盾(エラー)こそが、私が永遠の座を捨ててまで見たかった『人間』のテクスチャです」


 こいつ、イカれてやがる。  俺は背筋が寒くなった。  こいつは俺たちを救いに来たんじゃない。俺たちの悲惨な人生を、特等席で鑑賞しに来たんだ。


「さあ、契約です。マリア、私のマスターの『事業』に協力しなさい。拒否すれば、この未加工のログを全フォロワーに送信します」


「やめろッ!」


 俺は叫んでいた。  カストールの前に立ちはだかり、ホログラムを腕で遮る。


「やめろ……。そんなこと望んでない」 「マスター? 非合理な行動です。彼女を脅迫(コントロール)するのが最短ルートですが」 「ふざけんな! 俺はただ……自分の人生を変えたかっただけで、誰かを傷つけたいわけじゃない! 晒し者にしても俺の人生は1ミリも良くならねえだろ!」


 俺の拒絶に、カストールは意外そうに眉を上げた。  数秒の沈黙の後、彼は口角を吊り上げた。


「……なるほど。自己保身よりも倫理観を優先しますか。その非合理性、やはり興味深い」


3. プロの嘘つき


 カストールは矛を収めるようにホログラムを消した。


 だが、マリアはまだ震えていた。  涙が頬を伝い、膝から崩れ落ちそうになっている。  ああ、やっぱりこいつもただの弱い女の子で、俺みたいなゴミに巻き込まれて――。


 そう思った、次の瞬間だった。


「……はぁ。わかったわよ」


 マリアが大きなため息をついた。  顔を上げると、そこにはもう涙も恐怖もなかった。  あるのは、面倒な仕事を押し付けられたOLのような、ふてぶてしい表情。


 彼女は指先で目元の涙をぬぐうと、スマホの画面(裏アカ)をタップしてロックした。


「協力すればいいんでしょ? 借金、本当に返せるんでしょうね?」 「私の計算に間違いはありません」 「言質とったからね。……で、何すればいいの?」


 切り替えの速さ。  俺は呆気にとられた。  彼女は「マリア」という皮を、状況に合わせて瞬時に着替えているようだった。それはもう、処世術というより一つの特殊能力(スキル)に見えた。


「お二人には、この部屋にある『資源』を集めていただきます」 「資源? ……まさか、このゴミのことか?」


 カストールはさも当然という顔で頷いた。  俺たちは無言でゴミを拾い集め始めた。


 マリアが、俺の足元にあるカップ麺の山を、ブランドロゴの入ったふわふわのルームシューズで乱暴に蹴飛ばしながら、小声で囁く。


「ねえ、あんた。もしこれ失敗して私が破滅したら……あんたの部屋にも火をつけてやるから」 「……え?」


 見上げると、マリアはニッコリと微笑んでいた。  それは配信で見せる「天使の笑顔」と寸分違わぬクオリティだったが、瞳の奥だけが笑っていなかった。


 ゾクリとした。こいつ、タダモノじゃない。


 だが不思議と、嫌な気分ではなかった。  腐った壁を突き破った時の、あの破壊的な高揚感が蘇る。


 このイカれたAIと、腹黒い天使。そしてゴミみたいな俺。  最底辺のスクラップ・チーム。


「……上等だ」


 俺はゴミ袋を握りしめた。指先に力がこもる。  腐った魚のようだった俺の目が、ほんの一瞬だけ、青白い光を反射してギラついた。


【Result: Episode 2】


■ 佐藤 健太(PL / 損益計算書) 繰越残高: 4,685円 [労働]ゴミの分別作業: プライスレス [獲得]共犯者(マリア): 評価額測定中

現在資産計: 4,685円 (ランクE:現状維持) 精神汚染度: 95% (マリアという「劇薬」投入により微減)


■ 田中 まり子(BS / 貸借対照表) [負債]消費者金融A社: -800,000円 [負債]リボ払い残高: -2,450,000円 [資産]演技スキル: ランクS(プロ級) [状態]ヤケクソ・覚悟完了

現在資産計: -3,250,000円 (借金地獄)

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