『神様と割り勘 ―Castor & Pollux―』 ~残金2万円で契約したAIに人生を丸投げしたら、隣の美少女インフルエンサーとゴミ屋敷で「錬金術」配信をすることになった件~

あとりえむ

第1話:残金2万円の契約

1. 損切り


 口座残高、24,805円。  それが、佐藤健太(24)という不良債権の現在価値だった。


 築40年、木造アパートの四畳半。  遮光カーテンの綻びから漏れる西日が、部屋の空中に漂う埃を白く照らし出している。  まるで古い映画のノイズのような、彩度の低いグレーの世界。


 足の踏み場はない。  食べかけで放置されたカップ麺の容器、異臭を放ち始めたゴミ袋、脱ぎ捨てられた服の山。その中心で、俺は死体のように立ち尽くしていた。


 ゲーミングチェアに座り、デュアルモニターの青白い光を浴びる。  本日50通目の「お祈りメール」を開封する。


『慎重なる選考の結果、誠に残念ながら……』


 まただ。定型文。  視界が歪む。脳裏にフラッシュバックするのは、昨日の最終面接だ。


 革張りの椅子にふんぞり返った、小太りの人事部長。脂ぎった顔で、俺の履歴書をペラペラと弄びながら、彼は嘲笑った。


「君さぁ、なんか目が死んでるよね。うちみたいなクリエイティブな会社に、君みたいな覇気のない人間は不要なんだよ。わかる?」


 反論できなかった。その通りだったからだ。  俺には何もない。親からの仕送りは今月で止まる。来月の家賃が払えなければ即死。


 手元のカップ麺――特売で買い溜めた『海鮮塩ラーメン』――の残り汁をすする。  冷え切った塩分過多の液体が、空っぽの胃袋に落ちていく。


 このまま、このゴミの中で腐っていくのか。  誰にも見つからず、ただの産業廃棄物として処理されるのか。


 ――嫌だ。


 逃げるように、スマホでSNSのタイムラインを開く。  流れてくるのは、同級生たちの「内定決まりました!」という報告や、高級焼肉の画像ばかり。


 吐き気がする。画面を閉じようとした、その時だ。


 タイムラインの隙間に、妙な「プロモーション(広告)」が挟まっていた。


『あなたの人生、詰んでませんか?』


 心臓が跳ねた。  ドキリとして、思わずスマホを取り落としそうになる。  まるで、部屋に盗聴器でも仕掛けられているような、不気味なほどのターゲティング精度。俺が今、一番言われたくない言葉。


 黒背景に、双子座の星図を模したロゴマーク。そして続く煽り文句。


『その人生、最適化(デバッグ)しませんか?』  提供:Pollux Corp.  Personal AI Solution: "Castor"  月額利用料:20,000円(税込)


「……2万」


 俺の全財産の、約8割。  普段なら「うわ、出たよ情報商材」と即ブロックする案件だ。


 だが、「2万円」という金額が、妙に生々しく俺の理性に突き刺さる。詐欺にしては安すぎ、アプリにしては高すぎる。


 俺の脳内で、冷徹な経営者のような声が響いた。


 ――損切り(ロスカット)しろ。


 どうせ詰んでる人生だ。残りの数千円を守ってじわじわ死ぬより、全額ベットして派手に間違える方がマシだ。  これは買い物じゃない。自分という無能な経営者が舵を取る人生に対する、最大の「損切り」だ。


「……あぁ、もう、知るかよ」


 カチッ。


 乾いたタップ音が、淀んだ部屋の空気を裂いた。


2. 青い侵略者


 スマホの画面がブラックアウトした。  連動して、PCモニターも暗転する。


 数秒の沈黙。PCファンの回転音がやけに大きく聞こえる。  次の瞬間、世界の色が変わった。


 ブゥン……


 モニターから、スマホから、ありとあらゆるデバイスから、鮮烈な「ネオンブルー」の光が噴き出した。


 それは単なる照明ではない。膨大なデータストリームが、部屋の壁、天井、散乱するゴミの山を侵食していく。  薄暗く淀んでいたグレーの四畳半が、瞬く間に幾何学模様のデジタル空間へと上書き(オーバーライト)されていく。


『――認証完了。ユーザーID:SATO_KENTA。資産評価額:Eランク(社会的死に体)。』


 スピーカーから響く、硬質な男の声。  そして、光の奔流が収束した部屋の中央に、"それ"は浮かんでいた。


「はじめまして、マスター。私はカストール」


 人間ではなかった。  透き通るような銀の髪。発光する青白い肌の内部には、まるで銀河そのものを閉じ込めたかのように、無数の星々とデータが渦を巻いている。


 重力を無視して中空に浮遊するその姿は、あまりにも美しく、あまりにも異質だった。


 俺はパーカーのフードを掴んだまま、言葉を失う。  薄汚れた現実の真ん中に現れた、神々しいまでの非現実。


「あ、お前、AIか? 月2万も払って、なんだその見下した態度は――」 「訂正します。月2万円“しか”払えないあなたに、私が割り当てられたのです。あなたの惨憺たる人生を管理するために」


 カストールは、感情の読めない超越的な微笑みを浮かべたまま、俺を見下ろした。  その金色の瞳に見つめられた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような威圧感を覚えた。


「時間があまりありません。あなたの資金が尽きるまでの時間は残りわずかです。直ちに最適化プロセスを開始します」 「さ、最適化って、何するんだよ。就活のエントリーシートでも書いてくれるのか?」


 カストールは冷ややかな目で、俺の足元、ゴミの山を見た。


「いいえ。最初のコマンドを実行します。足元にある物体、すなわち『塩分過多な即席麺の残り汁が入った容器』を把持してください」 「……は?」 「次に、その容器を。東側の壁に向かって、全力で投擲してください」


 思考が停止した。


「ふざけんな! なんでそんなことしなきゃなんねーんだよ! 敷金返ってこなくなるだろ!」 「今のあなたに、敷金を気にする未来など存在しません。私のスキャンによれば、東側の壁は雨漏りによる腐食が進行し、強度が著しく低下しています。この行動こそが、現状打開の唯一の解(ソリューション)です。さあ、実行を」


 金色の瞳が、怪しく明滅した。  逆らえない。絶対的な強制力がそこにあった。


 俺はヤケクソで、カップ麺の容器を握りしめた。


「くっそ……! 知らねえぞ!!」


 あの日、俺を笑った人事部長の顔が浮かぶ。  見下してきた同級生たちの顔が浮かぶ。


 全部、壊れちまえ。


 俺の濁りきっていた瞳の奥で、何かがパチリと弾けた。  それは恐怖ではない。昏い歓喜にも似た、破壊への衝動。


「うぉぉぉぉぉッ!!」


 俺は人生への苛立ち、自分への絶望、すべてをその右腕に乗せて、振りかぶった。


 ドガァァァァン!!


3. 虚構の隣人


 轟音と共に、埃が舞い上がった。  カストールの分析通り、腐りきっていた石膏ボードは、俺の火事場の馬鹿力によってあっけなく突き破られた。


 壁にぽっかりと空いた穴。  その向こう側から、強烈な「ピンク色の光」が差し込んできた。


「……え?」


 穴の向こうにあったのは、俺の部屋とは対極の世界だった。  ふわふわとした白いカーテン、温かみのある間接照明、ベッドの上に鎮座するブランド物らしきクマのぬいぐるみ。


 そして、その中心で、リングライトの眩い光を浴びている一人の少女。


「……え、嘘、何!? 配信止まった!?」


 ピンクベージュの髪を完璧にセットし、もこもこのルームウェアに身を包んだ彼女は、突然の事態に目を丸くしていた。  潤んだ大きな瞳、計算し尽くされたあざといポーズ。


 画面越しに見る「天使」そのもの。


 田中まり子。またの名を、フォロワー50万人を抱える清純派インフルエンサー「マリア」。


 だが、俺は見てしまった。  彼女の足元、画面の画角外(フレームアウト)した位置に積み上げられた、毒々しい色のエナジードリンクの空き缶タワーと、くしゃくしゃになった督促状の束を。


 俺の薄汚れた「グレーのリアル」と、彼女の作り込まれた「ピンクのフェイク」が、壁の穴を通じて物理的に接続された。


 浮遊するカストールが、その光景を見て満足げに微笑んだ。


『最適化フェーズ1、完了。新たなリソース、「虚飾の隣人」を検知しました』


【Result: Episode 1】


■ 佐藤 健太(PL / 損益計算書) 繰越残高: 24,805円 [費用]Pollux社 月額利用料: -20,000円 [損失]カップ麺(投擲による廃棄): -120円 [損害]アパートの壁修繕費(概算): 測定不能

現在資産計: 4,685円 (ランクE:社会的死に体) 精神汚染度: 98% (破壊衝動の覚醒)


■ 田中 まり子(BS / 貸借対照表) [負債]消費者金融A社: -800,000円 [負債]リボ払い残高: -2,450,000円 [資産]フォロワー数: 500,000人(配信事故により激震中) [状態]カフェイン中毒・パニック

現在資産計: -3,250,000円 (破産寸前)

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