第2話 ディスタウン
シャワーを浴びて幾分かマシな気分になったセーブルは、湿った髪をタオルで乱雑に拭きながらブースを出た。
さきほどの裸体はすでに、オイルの染みがついたタンクトップと、数多くのポケットがついたカーゴパンツの下に隠されている。さらにその上から、サイズの大きなフライトジャケットを羽織る。これが彼女の正装であり、戦闘服だ。
「ヒーター、出すよ。準備」
セーブルが短く告げると、ヒーターは既に運転席にその四角いボディを固定していた。
彼のボディ側面から伸びたケーブルが、キャンピングカーのダッシュボードにあるポートに直結されている。この「ケミカルキッチン」号は、ヒーターの演算処理能力を介して制御される仕様に改造済みだ。つまり、彼が車そのものになると言ってもいい。
「了解しました、博士。動力炉、接続。全システムグリーン。いつでも発進可能です」
「行き先は第9地区のジャンクストリート。レアメタルの相場が下がってるらしいから、買い出しに行く」
「第9地区ですか。あそこは治安レベルが最低ランクです。武装シークエンスをアクティブにしておくことを推奨します」
「大げさなんだよ。どうせ誰も、こんなボロ車襲わないって」
セーブルは助手席にドカリと座り、濡れた髪をかき上げた。
ヒーターが電子的な駆動音を響かせる。
次の瞬間、重たい車体が浮遊感ごとうなりを上げた。タイヤではなく、旧式のホバーユニットが泥を巻き上げながら機体を持ち上げる。
ガレージのシャッターがゆっくりと巻き上げられると、そこには暴力的なまでの色彩が広がっていた。
ディスタウンの夜は、決して暗くならない。
極彩色のネオンサインが、降り注ぐ酸性雨に乱反射し、視界の全てを毒々しい紫やピンクに染め上げている。
ビルの壁面には巨大なホログラム広告が浮かび、合成食品や怪しげな快楽物質の宣伝を大音量で垂れ流していた。
「外気毒素濃度、レベル4。フィルターを全開にします」
ヒーターの報告と共に、空調が低い唸りを上げる。
セーブルは窓の外を忌々しげに睨んだ。
通りの端には、サイバネティクス手術に失敗して身体の一部を機械に変えたまま動かなくなった浮浪者や、違法な薬物を売買する売人たちの姿が見える。
上空を飛び交うのは、治安維持局の監視ドローンと、ピザ配達のドローンだけだ。
「相変わらず、クソみたいな街」
セーブルがポツリと漏らす。
彼女はポケットから「ビルド」を取り出し、火をつけた。
フィルターを通した空気でさえ、どこか鉄錆と腐敗臭が混じっているこの街で、紫煙の香りだけが彼女を落ち着かせる。
「博士、右舷後方に不審な車両反応。追尾されている可能性があります」
ヒーターの声色は平坦だが、ダッシュボードのモニターに赤い警告灯が点滅した。
「借金取りか?」
「いえ、登録データに該当なし。車両識別コードも偽装されています。おそらく、武装したゴロツキかと」
「……ああ、そう。ボロ車だから襲われないって言った直後にこれかよ」
セーブルは深いため息をつくと、足元に転がっていた鉄パイプのようなものを拾い上げた。
ただの鉄パイプではない。先端には無骨な電極が溶接されており、手元のスイッチ一つで高電圧を発生させる即席のスタン・ロッドだ。
「ヒーター、撒ける?」
「この機体の機動性では困難です。ですが、第9地区へのルート上にある『地下水道跡』を利用すれば、地形を利用して振り切れる確率は78パーセントです」
「採用。派手に揺らしていいよ。どうせ客も乗ってない」
「了解。しっかり掴まっていてください」
ヒーターの液晶の瞳が、青から黄色へと警戒色に変わる。
直後、ケミカルキッチン号は大きく左へ旋回し、正規のルートを外れて暗い路地裏へと突っ込んでいった。
積み上げられたゴミの山をホバーの風圧で吹き飛ばし、巨大な鉄の塊がディスタウンの闇を疾走する。
セーブルは揺れる車内で、咥え煙草のままニヤリと笑った。
「さあ、ドライブといこうか。相棒」
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