第9話 毒蛇の影と、沈黙の晩餐
カイルに案内された「聖女の居室」で、リナが運んできたスープを飲み干した後、あたしは少しだけ身なりを整えてから、ディスカール伯爵が待つ食堂へと向かった。
並んだ料理はどれも一級品だったけれど、席についた伯爵の顔は、道中での襲撃時よりもさらに険しく見えた。
「……スズネ様。まずは改めて、我が領へお越しいただいたことに感謝を。そして、食事の席でこのような無粋な話をせねばならぬ無礼をお許しください」
伯爵は手つかずのワイングラスを前に、この領地を蝕む「絶望」を語り始めた。
「単刀直入に申し上げます。この領地は今、崖っぷちにあります」
伯爵の言葉に、あたしは思わずフォークを止めた。
「我が領の命運を握る『魔導錫』――魔力を増幅させる希少な金属ですが、現在、そのすべてが原因不明の『黒い呪い』に侵され、採掘不能となっています」
「呪い……? 鉱山が、ですか?」
「ええ。さらに隣領のヴォルガス子爵が、これを『領主の不徳ゆえに女神が怒っている証拠』だと宣伝し、民を煽っているのです。街道に魔物を放ち、物流を止め……。彼は教会の権威を後ろ盾に、我が領の採掘権を強引に奪おうと画策しています」
「伯爵様。ヴォルガスが犯人だって分かってるなら、捕まえちゃえばいいんじゃ……」
「それができれば、どれほど楽か。……彼は中央教会の『大司教』を金で抱き込んでいる。私が彼を告発すれば、逆に教会への反逆とみなされ、この領地は潰されるでしょう......」
あたしは驚いてアルを見た。
アルは平然と高級な肉を突っついている。
リナが言っていた「忙しくなる」の正体は、これだったんだ。
「大司教……って、教会のすごく偉い人ですよね? その人が来たらどうなるんですか?」
「彼らは民衆の前で、貴女様に『錫の浄化』を命じるはずです。もし失敗すれば、私は領主の座を追われ、貴女様は偽聖女を騙った大罪人として――処刑台に送られることになります」
処刑。
その重すぎる言葉に、喉を通ろうとした肉が砂のように感じられた。
そう簡単に解決できる問題ではない。
敵が「大司教」という、この世界の絶対的なルールを味方につけてしまったから、手も足も出せないのだ。
「……スズネ様。不遜を承知で、この通りです。どうか、あの錫を貴女様の力で浄化していただきたい」
伯爵が深く頭を下げ、カイルも床が鳴るほどの勢いで膝をついた。
あたしは、隣で能天気にデザートを狙っているアルの脇腹を、テーブルの下で軽く蹴飛ばす。
(……ねえ、これ本当にやるの!? 失敗したらあたし、反逆者として死ぬんでしょ!?)
『いてっ……! 大丈夫だって。浄化なんて、君の魔力をちょっと「ぶっ放す」だけで終わるよ。……まあ、サクラの魔力は強力すぎるから、加減を間違えると大変なことになるけどね?』
アルはニヤリと笑い、脳内にだけ声を響かせた。
『楽しみだねぇ。聖女様がどんな「奇跡」を見せてくれるのか。……さあ、冷めないうちに食べなよ。これからは、本当に忙しくなるんだから』
奇跡なんて、そんなキラキラしたものじゃない。
伯爵の必死な目も、カイルの暑苦しい期待も、今のあたしには死刑宣告のカウントダウンにしか聞こえなかった。
……帰りたすぎる。
あたしは震える手で、味のしなくなった肉を無理やり喉の奥へ押し込んだ。
逃げ出したいのに、窓の外はもう真っ暗。
あたしは、冷めかけたスープを泥のような気分ですすりながら、リナのあの不敵な微笑みを思い出していた。
これから、忙しくなる。その言葉の本当の意味を、あたしはまだ、半分も理解していなかった。
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