第7話 偽物の聖女と、怪しげなメイド

「……はぁぁぁぁぁぁぁぁ、疲れたあぁ……っ」


カイルに案内された「聖女の居室」の扉が閉まった瞬間、あたしは天蓋付きの巨大なベッドへとダイブした。ふかふかの羽毛が体を包み込む。

この寝心地だけは、今のところ唯一の救いだ。


「もふん」

アルはあたしの背中の上に飛び乗ると、さも当然のようにくつろぎ始めた。


(ちょっと……降りなさいよ、このクソタヌキ)

『「クソタヌキ」は失礼だなぁ。むしろ「アル様」って呼んでもらわないと』

頭の中に直接響く、人を食ったような声。


あたしは枕に顔を埋めたまま、恨めしげにアルを振り返った。

「あんたねぇ……。さっきのカイルとのやり取り、心臓に悪いからやめてよね」


『心外だなぁ。僕はただ、カイルくんが「試すような真似」をしてきたから、ちょっとだけ応じてあげただけだよ。礼儀を教えるのも、聖獣の役目だよ』

アルの声は、まるでおかしな冗談を聞いたかのように弾んでいた。

アルはあたしが投げつけた枕をひらりと避け、サッと窓際に着地して尻尾を揺らす。


「っていうかそんなに強いなら、アルが戦ってくれれば良くない?あたしか弱い乙女だよ?」

『ダメだよ。僕が直接この世界に干渉しすぎると、世界のバランスがめちゃくちゃになっちゃう。……というか、そもそも僕が手を下したら、君がこの世界を楽しむ余地がなくなっちゃうだろ?』


「楽しむ……? あたし、死ぬかと思ったんだけど?」


『君をこの世界に転生させたのは、僕なりの「お詫び」なんだ。君が自分の力で運命を切り拓いて、最高に輝く姿を見る。……それこそが僕の目的であり、楽しみなんだよ。僕が全部解決しちゃったら、それはもう君の人生じゃないだろ?』

「……何それ」

『君は魔法少女としてこの世界に転生したんだ。だから魔法少女としてこの世界で生きて欲しいってことさ」

「魔法少女にしてくれなんて一言も頼んでないよ?」

あたしが詰め寄っても、アルは聞こえていないふりをして、窓の外を眺めながら優雅に毛繕いを始めた。


……本当に食えない奴。


そんな不毛なやり取りをしていると、控えめなノックの音が響いた。

「……っ!」

あたしは慌ててベッドの上で姿勢を正した。


「聖女様。お疲れのところ失礼いたします」

入ってきたのは、一人のメイドだった。


整った顔立ちをしているけれど、人形のように表情が動かない。

彼女は音もなく部屋へ入り、トレイに乗った湯気の立つスープをサイドテーブルへと運んでくる。


彼女は、手際よく夜食を並べ終えると、ふと顔を上げてあたしと、それから足元のアルを交互に見た。

そして、微かに口角を上げる。

「……失礼いたしました。お一人で、随分と賑やかなお話をされていたようで」


「えっ、あ、いや、これは……独り言っていうか、その……!」

冷や汗が流れる。


今のあたしとアルの言い合いは、側から見ればあたしが動物相手に一人で騒いでいるようにしか見えないはずだ。それなのに、彼女の目は「中身のある会話」が行われていたことを知っているような、奇妙な光を宿していた。


「お気になさらず。聖女様ともなれば、凡人には聞こえぬ『声』とお話しされることもあるのでしょうから」

彼女はそう言って、あたしにだけ見える角度で小さくウインクをした。


……この人、やっぱり何か知ってる。


「私はリナと申します。以後、お見知りおきを。あ、スープが冷めないうちにどうぞ。……これからは、お忙しくなるでしょうから」

それだけ言い残し、リナは感情の読めない微笑みを浮かべて去っていった。


あたしは残されたスープをじっと見つめ、思わずアルを振り返った。

「ねえ、アル。今の聞いた……? あのリナって人、絶対何か気づいてるよね。……っていうか、このスープ。毒とか入ってないよね? あたしのこと、面白がってるみたいで怖かったんだけど……」


窓際で毛づくろいを再開したアルが、面倒臭そうに鼻を鳴らした。

『大丈夫だよ。毒は入ってない。……それどころか、君の疲労回復に効く薬草が少し混ぜてあるみたいだ。彼女、君を殺す気はないみたいだね。むしろ、これから君がどう動くかを「観察」したがってる……といったところかな』


アルの言葉に背中を押され、あたしは恐る恐るスープを一口口にした。

……温かくて、驚くほど優しい味がした。


「……美味しい。けど、それが余計に怖いわよ」

不気味なメイドと、身勝手な使い魔。


あたしは温かいスープで少しだけ人心地つきながらも、リナが残した「これからは忙しくなる」という不穏な言葉を反芻はんすうしていた。

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