2話 道行き



馬車の窓から吹き込む風は、春の気配を帯びて穏やかだった。

街道をゆくにつれて移り変わる景色は、段々と知らないものへと変わっていく。


揺れる馬車。昨日より少しだけ居心地の悪さを減らした沈黙の中。

相変わらず交わらない視線の主から、そろりと視線を外して。

道の先に待つ未来への期待と不安に揺れながら、フェリオはそっと目を閉じた。



翌日の旅路は、ある程度順調だった。


新しく用立てられたという馬車は、昨日よりも少々古びてはいたものの十分長旅に耐えうるものだった。

何より厚めのクッションを敷いた座席が幾分か悪路の衝撃を軽減してくれていて、フェリオは心からほっとした。

相変わらず二人の間に会話はなく――できることといえば、ひたすら街並みを眺めることくらいだったのだが。


それでも、フェリオにしてみれば移り変わっていく景色は新鮮だった。

なんせ15年間、城の外に出たことなどないも同然だ。幼い頃は母に連れられて出かけもしたが、フェリオが8つの時に病死してからは数えるほどだった。

特に街中の光景は興味深くて、フェリオは降ろされたカーテンの隙間から、人々の営みを食い入るように見つめていた。


街中を楽しげに歩く、少年少女たちの手に握られたきらきらと綺麗な菓子は、なんという名前だろう。

駆け出して転んだ幼い子どもが、身なりのよい母親に抱きあげられて泣きじゃくっている。

柔らかな魔力の光に包まれて怪我が癒え、戻った笑顔に、フェリオもそっと息を吐いた。


貨幣の価値だって、もちろん常識の範囲で知識としてはありはするものの、自身で買い物などしたことがないレベルだ。

国で一番の商業都市と言われるこの街の大通りを通った時は、思わずべったり窓にくっついて外を眺めていた。

無言のままのアルトの視線が痛かった。



その日の宿は、そう大きくはない街の中央通りに面していた。

夜は酒場にもなるという一階の食堂を通り抜け、二階へ上がる。部屋は昨日と同じように、アルトと同室だ。


荷物を片付けるアルトの様子を手持無沙汰に眺めていたフェリオは、ふと翻った彼のマントの内側に目を留めた。

腰に履いている剣柄に、国内でも有数と言われる騎士団の紋章が入っていて、そっと納得する。

昨日、彼が貧民たちを脅すために見せたのはこれだったのだろう。


絡まれた際の対応を目の当たりにして確信したが、アルトは恐らくフェリオの護衛も兼ねている。

通常、王族が伴を付けて外出する場合は、必ず複数人となる。今回フェリオは身分を偽装しているため、対外的にそれは不可能だ。

となると、必然、一人でフェリオの伴に付けられたアルトは、相当な腕を持っているのだろうと推測できる。


……できたと同時に、ますますフェリオは彼が可哀想になってしまった。

この若さで有数の騎士団に所属し、実際に腕も立つ。所作を見ているだけでも、相当上位の貴族の生まれであることは明白だ。

将来有望なんてものじゃない。だというのに、彼はこれから自身のお守りとして共に辺境へ追いやられるのだ。

断れなかったのだろうか。誰の差配かまでは想像できなかったが、さすがに父王が病に臥せっている今、王命ではなかろう。


「おい」

「あっ、はい」


荷物の整理を終えたらしいアルトに促され、食事をとるために二人して部屋を出る。

扉の魔操具に手をかざして施錠したアルトが、マントを翻しながらフェリオを見下ろした。


「用を済ませてくる。食事を終えたら先に戻っていろ」

「あ、」


もしかして、置いていかれてしまうのだろうか。

慌てて声をかけようとしたフェリオの様子も気にせず、アルトはすたすたと廊下を歩いていってしまう。

ぽつんと取り残されたフェリオは、困った顔で扉を見上げた。


アルトを追うべきか、指示通りにするべきか。

今なら間に合うかもしれないと思う気持ちは、迷ううちに遠ざかる足音が宿から出ていったのを耳に、萎むように消えていった。


……とりあえず、ぐうと鳴った腹の虫をなだめておかなければ、食事が抜きになる可能性が高い。

知らない場所で一人歩きをする不安はあったものの、空腹には代えられない。


フェリオはそろりとした足取りで、おっかなびっくり階下へと歩き出した。



***



宿へ戻ったアルトは、困ったように部屋の前で立ち往生している第四王子を見つけて、思わず足を止めた。

いくらトロいといっても、さすがに食事を終えたばかりではないだろう。

アルトは御者と今後の打ち合わせを終えた上で物資の補給と手配、更に自身の食事まで済ませている。別れて二時間は経っていた。


「……何をしている」

「え、っと」

「まさか使い方も知らないわけではないだろう」

「それは分かるんですけど、あの、俺」


魔力がなくて、と小さく紡がれた言葉に、そういえばそうだったとアルトは思い出す。

魔操具はその名の通り、魔力をまとったものが触れることで起動する術具だ。魔力がなくては扱えない。

とはいっても、この世界において、基本的に生命を持つものは多かれ少なかれ魔力を持つ。人も獣人も魔獣も、当然ながら魔族だって。

そんな中にあって一切の魔力を感じとれず、また扱うことができないというのは、異常を通り越している。

――異質、だ。


城ではどうやって暮らしていたのか知らないが、恐らく部屋付きの侍女やなんかが面倒を見ていたのだろう。

ずっと部屋に籠りきりだったという話だったが、……果たして、籠りたかったのか、それとも出られなかったのか。アルトには関係のない話だが。

黙って扉の魔石に手をかざせば、かちゃりと小さな音がして鍵が開いた。


「お、お手数をおかけします」


事情が事情だ。身分がバレるリスクを思えば、他人に頼むこともできなかったのだろう。

それならそれで、アルトが戻るまで食堂で待つなり別所で時間を潰すなりすればいいものをと思ったが、そうしなかった理由もまた察しがついた。

就労を終えた人々が訪れ始めている食堂では、酒の提供も始まって賑やかさが増していた。長々と居座っては確かに迷惑だ。

確かにアルトは戻る時間までは伝えなかったし、昨日のこともある。一人で勝手に行動するのも憚られたに違いない。

思わず溜息を吐けば小さな身体を更に縮こめる姿に、更に大きなため息が漏れた。


「……悪かった。次から考慮する」

「えっ」

「何だ」


目を剝いて驚いた第四王子を睨みつければ、「なななんでもないです」と挙動不審にぶんぶんと首を振る。

よくよく聞けば、謝る必要なんて、とかもごもご言っているようだったので、面倒くさくなったアルトはそこから王子を無視した。


それにしても、とアルトは思いを馳せる。

魔操具を使った生活用品は、確かに高価とはいえ、この国では大して珍しくもない。

これから向かう村の生活水準は決して高くはないだろうが、果たして誤魔化しきれる範囲のものなのか。

先が思いやられるな、と吐いた溜息は、無意味に第四王子を怯えさせて宙に消えていった。




そして翌日、三日目の昼過ぎ。

馬車はようやく、二人が目的としていた村に辿りついた。


がらんがらんと時を知らせる鐘の音を響かせる鐘楼を通りすぎ、村の入り口で馬車を止める。

馬車から降りてざっと村を眺めたアルトの感想はというと、「辺境というより僻地」だ。

もちろん山奥にあると聞いて覚悟はしていたが、規模からして人口は恐らく100人もいない。

ひとつ救いなのは、魔操具の類がぱっと見たところ見当たらないことだろうか。往路の心配は杞憂だったようだ。

第四王子はといえば、村の様子もさることながら、景色の方に気を取られているようだった。


確かに、雄大な景色だった。

眼下に望むのは、山々に囲まれた広大な草原と、点在する森林。

緑萌ゆる木立の間にぽっかりと顔を出した湖面が、力強い陽の光を反射して美しく煌めいている。

春先の雪解け水が流れる小川の周囲に、小動物や魔獣が水を飲みに来ている姿も見えた。

遠くそびえる山々の頂きには冠雪が残り、うっすらとかかる雲も彩りを添えている。遮るもののない青空とのコントラストが美しい。


アルトですら、ずいぶん遠くに来てしまった、と感慨深くなるほどだ。第四王子にとってみれば未知の世界だろう。

そう多くもない荷物を確認しながら御者と話をしていれば、おーい!と大きなダミ声が二人を呼ばわった。

村の奥からゆったりした動きで歩いてくる老婆が、手を振っている。


「あんたたち!ここさ来たっちゅうお貴族さまかい!?」


近くまで来ても、その声は随分と大きく響いた。いっそ村全体に届いているのではないかと思えるレべルだ。

もしかすると耳が悪いのかもしれない、と思いながら、アルトは頭を下げる。

第四王子は隣でひっくり返りそうな顔で耳を押さえていたので、失礼だと軽く頭をはたいておく。


「あんれま~~~~、またべっぴんさんにめんごい子だべなあ」

「初めまして。今後は世話になる」

「お……お世話になります」

「よかよか!ま、ワシだって周りに世話させとる方だがよ」


がっはっは!と笑う老婆、ナハマに案内されたのは、この村長の家だ。

出迎えてくれた村長夫妻は多少緊張した面持ちで二人を出迎えたが、二人して頭を下げれば、穏やかに歓迎してくれた。


話を聞く限り、彼らにも二人の滞在は「ある貴族の療養のため」としか伝えられていないようだった。

馬車の中の数少ない会話で言い含めた、村では愛称か偽名を使うという決めごとの通り、第四王子には「フェル」と名乗らせる。

彼にとっては大変遺憾な話だろうが、「ノケモノ王子」と同じ名は、この国では縁起が悪いと厭われる。避けた方が無難だった。


この辺り一帯を治める領主は隣町に住んでいるため、また折を見て挨拶を、と彼らは言った。

恐らくだが、領主の方はこの一行が第四王子だと知らされているだろう。王家とて、そこへ筋を通さない訳にはいくまい。

予定を立て始めたアルトの横で、第四王子が緊張したように膝をすり合わせていた。


素朴な味のする茶を飲みながら、この村の決まりごと、週に一度やってくる商人の予定、そういった話を終えて。

さて、と座り直した村長夫妻は、申し訳なさそうな顔で切り出した。


「実は、お二人に住んで頂くご予定の家なのですが、まだ準備が整っておりませんで」

「……何だと?」

「ご覧頂ければわかると思うのですが」


そう言いながら案内された建物を見て、アルトは納得した。

石造りの立派な館だった。以前は領主が使っていたため所々に魔操具も設置されているらしく、この村では飛び抜けて上等な建物に違いない。

長年使われていないおかげで植物に浸食され、廃墟のような様相を呈していなければ、の話だが。

急に連絡を受けて慌てて掃除を始めたのだろう、玄関に繋がる石畳と入り口だけはなんとか綺麗になっていた。


「一週間ほどで何とか体裁を整えさせましょう。それまでは、村の宿をお使い頂ければと思うのですが」

「なるほどな……。承知した。後で案内してもらえるか」

「勿論です。それでは先に家の中だけご案内しましょう、足りないものがありそうなら早めに揃えておくべきでしょうから」


アルトに館の鍵を渡した村長は、雑草が茂る館の庭へと踏み入りながら、

恐らく何の他意もなく、こう二人に声をかけた。


「アルト様、フェルくん、足元に気を付けてこちらへ」


アルトは第四王子と素早く視線を交わす。

片や敬語で腰の低い、臆病そうな少年。片や堂々とした立ち居振る舞いに、いかにも貴族といった容貌の青年。

もちろんアルトが第四王子に敬語でも使っていれば別だっただろうが、生憎と村に来てからアルトが人前で第四王子に声をかける機会はなかった。

そもそれ以前にアルトの辞書には、大して尊敬してもいない年下に使う敬語など載っていないのだが。


どう考えても、完全に主従を勘違いされている。

もちろん、訂正するのが筋ではあるのだが――この時、二人は同じことを考えていた。


正直、その方がやりやすい、と。


第四王子はこの性格だ。

引っ込み思案なうえに病弱な貴族などという肩書きが付けば、村人にも遠巻きにされてしまいかねない。

王都ならばいざ知らず、本も何もない山奥で一人家に籠って過ごす羽目になるのは避けたいだろう。


対してアルトはといえば、単純に使える時間が増える。

アルトが授かっている本来の役目は、第四王子の護衛と世話、そして、監視だ。

今回は地位を隠している関係で、大っぴらに第四王子について歩くことはできない。姿を隠して行動することが多くなる予定だった。

そういった点で、病弱な貴族という設定は、大変に都合がよかった。何しろ、従者として館の外に姿を現さずとも、怪しまれずに済む。


その一瞬、絡み合った視線の示すところは、互いに同じ。

二人ともがそれを察した、その結果として。


「……ああ、今行こう」

「……は、はいっ」


どちらも村長の言葉を訂正することはなく。

また、当然ながら二人の他に、この勘違いを指摘する者もなく。


――それが一体、どんな結果をもたらすのか、誰が知る由もなく。



こうしてこの春、この村には、病弱な青年貴族とお付きの少年の、二人の新入りが加わることとなったのである。


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