1部
1章 村での日々
1話 旅立ち
対峙するのは、二人の少年だった。
二人はよく似ていた。顔も、声も、瞳の色も。
けれど、その瞳に宿る光だけが、決定的に違っていた。
一人は剣も弓もなく、ただ守るべきものを背に。
一人は、全てを破壊しつくさんとする力を手に。
互いに互いの道を否定しようとする、その光景は。
――果たして、誰の過ちが生んだものだっただろうか。
これは本来、語られるはずのなかった物語だ。
誰に選ばれることも、誰に救われることもないはずだった者が、
誰も知らない結末へ手を伸ばす――
その意味を、自身さえも、知らぬまま。
***
青空に、石の乙女が掲げる魔石が美しく煌めく。
前日に降った雨も止み、澄んだ涼やかな風が梢を揺らす、いかにも旅立ちに相応しい朝だった。
麗らかな朝の日が差し込む馬車の中。
死んだ目で膝を抱える少年が一人。
「……とうとう、城を追い出されるなんて……」
いつものように引きこもって本を読んでいたところへ、唐突に辺境行きが決まったと知らされたのが三日前。
あれよあれよと準備は進み、今朝一番に叩き起こされて馬車に放り込まれ、このありさまである。
自分が何をしたというのだろうか。まるで走馬灯のように脳裏に思い出が過ぎる。
……うん、何もしてこなかったのが原因かもしれない。
少年は力なく溜息を吐いた。
生まれつきの、魔力の量。
それだけで、この国の貴族は価値が決まる。
魔力を一切持たずに生まれた少年は、十五年かけてそれを教え込まれてきた。
魔力量は血筋により決まる。賢妃と呼ばれた母は魔術に長けた人だった。
その血を分けた弟は飛び級で魔法学校を卒業し、遺憾なく魔術の才能を発揮している。
一時ではなく取り換え子や庶子を疑われたものの、亡き母の遺言と父王の「確かにこれは自身の子だ」という言葉だけで第四王子という地位を与えられ。
ならばと他の教養を積み重ねたところで、突出した才能があったわけでもない。
家庭教師たちには憐憫と侮蔑のまなざしを向けられるばかりで。
――向けられる周りからの視線、囁かれる言葉、「ノケモノ王子」の蔑称。
それを、ただただ耳に入れたくない。それだけで、ずっと自室に引きこもってきた。
……そのツケが、いよいよ回ってきたのかもしれなかった。
エルジューダ国第四王子、フェリオ、15歳の春。
病の療養を建前に辺境へと旅立つ馬車に、見送りの言葉をかける者は、誰一人としていなかった。
前日の雨でぬかるんだ道を往けば、がたごとと馬車は揺れる。
安全面を配慮して、表向き貴族として向かうことになっている山間の村は、王都から馬車で数日離れた国境にある。
何があるのかと言えば、何もない。小さな村があって、そこで慎ましく暮らす人々がいるだけだ。
外に出ない生活をしてきたためか、数時間で既に腰とお尻が痛くなってきていた。もう限界。めげそうだ。
ただ、泣き言を言う訳にもいかない事情がある。
そろりと視線を上げれば、対面で窓の外を眺めている男が見えた。
金の長い髪をひとつにまとめて流し、整った切れ長の目元と通った鼻梁は、市井に出ればご婦人方が夢中になること間違いなしの容貌。
同性の自分から見てもイケメンと呼んで差し支えない。足を組む姿も様になる、まさに貴族らしい風格の青年。
今回フェリオの世話役として同行しているこの青年とは、この旅路が初対面だった。
追い出されるにあたり身の回りの世話をする従者が付くと聞いたフェリオは、ひとつ、決意をしていた。
きっと彼も自身の意思ではなく、誰かに命ぜられたのだろう。貧乏くじを引かされたのが将来有望な青年であることは、素直に気の毒だと思う。
……とはいえ、今後ずっと一緒に過ごすことになるのだ。せめて、良好な関係が築けるよう努力しなければ、と。
だから、馬車を案内されたフェリオは、御者と話をしていた青年に、緊張で強張る身体に鞭を打って自ら話しかけたのだ。
「あ、あの、よろしくお願いします」
そして、どもりながらも差し出した手を、さらりと無視された。
冷たいアイスブルーの瞳でこちらを一瞥した青年は、フェリオには一切興味がないとばかりに、ふいと顔を背け。
「アルト」
「は、……はい!あの、俺、フェリオっていいま」
「知っている。さっさと乗れ」
身分はどう足掻いてもこちらの方が上だというのに、敬語ですらなかった。
それ以降会話らしい会話もなく、馬車は動き出す。
そうして早数時間。馬車の空気は最悪だった。
そんな中で泣き言なんて言おうものなら、地獄と化すに違いなかった。
腰と尻に加えて胃まで痛めるのは避けたいフェリオは、ただ黙って耐えた。
抱えた膝をきゅうと抱きしめて、第四王子は遠くなっていく実家、こと城の威容を、ひたすら眺めつづけていた。
いっそ、このままどこかへ消えてしまいたかった。
***
アルトは、己の境遇と今後を深く深く呪っていた。
今回仕えることになったこの第四王子は、この国に七人いる王子たちの中でもぶっちぎりの"ハズレ"だ。
血統を重んじる貴族社会において最も重要視される、魔力。それを一切持たない。
それどころか、貴族子女の義務教育ともいわれる魔法学校にも通わず、ずっと城に引きこもって、何をするでもなく過ごしていたと聞く。
実際に会ってみれば、これがまた、おどおどびくびくとした態度でこちらを伺ってばかり。そもそも従者に対して敬語などありえない。
年齢に見合わぬ貧相な体格とボサボサで伸びっぱなしの前髪も相まって、まるで小動物のようだ。『ノケモノ王子』などと呼ばれているのも頷ける。
本人は丁寧に振舞おうとしているようだが、今はその言動ひとつひとつがアルトの苛立ちを助長させるものでしかなかった。
今後の生活に必要な最低限の会話はしても、仲良くする気も、打ち解ける気もない。
握手を無視した時は多少の罪悪感も芽生えはしたが、すぐに割り切った。
本来自身に課せられた役目を思えば、仕方のないことで――そして、必要なことだった。
そうであらねば、成し遂げられない。その予感が、ひしひしと胸を突いていた。
そうしてアルトは、長い前髪の向こうから時折ちらちらと向けられる視線を、完全に無視して過ごしていた。
王都を早朝に出発した馬車は街道を進み、昼過ぎには小さな街へ立ち寄って、補給と昼食、馬の休憩を済ませる。
その際にもこの第四王子は、事あるごとに空回りしてはアルトをイラつかせて涙目になっていた。
商店街の呼び込みのラッパに驚いては後ろへ隠れ、食事処でウェイターがグラスを割れば飛び上がり。臆病にも程があった。
そうして第四王子は、冷淡な態度を崩さないアルトとの交流を諦めたらしい。
馬車に戻ってからはひざかけを頭から被って丸くなり、早くも引きこもりの様相である。アルトも何を言うこともなく無視した。
陽が赤く染まる頃、馬車はエルジューダの五大都市とも呼ばれる商業都市へと辿りついていた。
数日はかかる旅程だ。一泊するため中へ入ることになっている二人は、馬車の検問のため、一旦馬車を降ろされた。
商業都市の外に住んでいるのは、都市内に家を持てなかった貧民たちだ。貴族の馬車というだけで悪目立ちする。
慣れぬ長旅のおかげか足元が覚束ない王子を連れ、向けられる好奇の視線に多少の苛立ちを覚えつつ、アルトは街門で検問を待つ。
陽が落ちかけるこの時間帯は通過者も多く、時間がかかっていた。そんな折。
「……あ」
大人しく隣で辺りを眺めていた第四王子が、小さく声を漏らした。
視線の先を一瞥すると、路地裏にほど近い場所で、薄汚れた老人が荒っぽそうな男性の前で地に伏しているのが見えた。突き飛ばされたのかもしれない。
トラブルか、それとも喧嘩か。人々は遠巻きにするばかりで、誰も老人を助けようとはしないようだった。
このまま路地裏に引きずり込まれた老人が翌朝冷たくなっていようとも、この周辺に暮らす者たちにとっては日常茶飯事なのだろう。
陽は沈みかけていた。貧民街に灯りは少なく、辺りが暗くなれば急速に治安は悪化する。
関わっていいことなど一つもない。見た限りは大きな怪我もないようだし、助ける義理もない。
当然の帰結として、アルトも人々に倣って無視を決め込んだ。
わざわざ放っておけなどと言わずとも、恐らく第四王子もそうするだろうと。
王都からここまでのたった一日の旅の中、これだけ臆病な姿を見せておいて――まさか、巻き込まれになど行かないだろうと。
「あ、あの、大丈夫ですか」
聞こえた声に我が耳を疑った。
***
先のことを考えるよりも前に、体が動いていた。
見過ごしてしまったら、またひとつ、自分を嫌いになる気がしたからだ。
それに何より――フェリオは、よくよく、知っていた。
大勢の人々の前で罵倒され、馬鹿にされ、そして、そこにいる誰にも手を差し伸べてもらえないこと。
それが、どれだけ人を孤独に、惨めにさせるものか。
老人を突き飛ばした男性が罵声を投げつけたあと、踵を返したのが見える。
ついていた杖が遠くに弾かれて、立ち上がるのにひどく難儀していたようでもあった。
駆け寄って膝をつき、声をかければ、薄汚れた老人は挙動不審にきょろきょろと視線を動かし、フェリオを見上げた。
もぐもぐと何か言いたげに口を動かすものの、漏れるのは掠れた呻き声くらいのものだ。
それでもそこに小さな肯定を聞き取って、フェリオは顔を綻ばせた。
「お怪我は、ありませんか」
「あ、ああ……」
返事なのか呻きなのかも分からない声を漏らす老人に、拾った杖を手渡し。
足が悪いらしい老人が立ち上がるのに手を貸してやって、フェリオも共に立ち上がる。
途端、速足で近づいてきた足音と共に、後ろから、ぐいと肩を引かれた。
「おい、何をしている!」
「あ、ええと」
ひどく険しい顔をしたアルトがそこにいて、フェリオは思わず面食らう。
勝手をした自覚はあったが、何もそこまで怒らなくとも――と思ったのも一瞬だ。
アルトの背後にニヤついた男が数人立っているのに気づいて、何かマズいことをやらかしたのだと気づく。
「おうおう、随分と優しいなあ坊ちゃん」
「俺たちにもひとつ、お恵みを頂けねえもんかねえ」
「ッチ」
遅かったとばかりに漏らされた鋭い舌打ちが、フェリオの耳に飛び込んできた。
背に庇われたお陰でアルトの表情は見えないが、剣呑さを孕んだ声が低く響く。
「失せろ、貴様らに渡すものはない」
「おぉっとおっかねえ。連れの兄ちゃんまで仕立てのいい服着てんじゃねえか」
「その上等そうなマントの一枚も置いてってくれていいんだぜ?なんせまだまだ夜が冷えてよぉ」
フェリオからは、何が起こったのかよく見えなかった。
力ずくでマントをむしり取ろうとでもしたのだろうか。男が一歩踏み込んで、手を伸ばして――気が付けば、その男は宙を舞っていた。
何が起こったのか分からないという顔をして路地裏に叩きつけられた男を、アルトは一瞥もしなかった。
ひ弱な貴族だと舐めていたのだろう男たちが怯んだのをいいことに、一歩踏み込み。
マントの裾を軽く払って、何かを示した。それと同時、男たちの顔色が変わる。
「――どんな愚か者でも、誰に喧嘩を売っているかは分かるな?」
低い声が追い打ちのように脅しをかければ、今度は男たちが舌打ちをして踵を返した。
路地裏に転がっていた男が置いていかれそうになり、慌てたように悲鳴を上げて仲間たちへ追いすがっていく。
ぽかんとそれを眺めていたフェリオは、男たちを見送ったアルトがこちらを振り返ったのに気づいて。
「あ、ありがとうございま」
最後まで言わせてもらえずに無言で腕をひっつかまれ、アルトが速足で歩き出したのに引きずられて悲鳴を上げた。
慌てて歩調を合わせて小走りに駆け出してから、その先に馬車が戻ってきている事に気がつく。いつの間にか検問は終わっていたらしい。
振り返れば、老人はいつの間にかいなくなっていた。うまく逃げおおせたのだろう、と、馬車に押し込まれながらフェリオは少しほっとした。
そうして、一時間も立たぬうち――――ベッドに正座を命ぜられたフェリオは、びしばしと突き刺さる視線に震え上がっていた。
誰かに仁王立ちで見下ろされるなんてこと、生まれて初めてじゃないだろうか。
一番厳しかったダンスの教育係だって、流石にフェリオにここまではしなかった。
生まれたてのヒヨコ並みの体力だの、スライムにも劣らぬウスノロさだのという罵声は、聞き飽きるほど言われてきたというのに……。
現実逃避に忙しいフェリオの意識を引き戻したのは、身も心も凍えてしまいそうな冷たさを孕んだ、低い声だった。
「……お前は、自分の立場が分かっているのか?」
「ひゃいっ!」
反射的に背筋を伸ばしたフェリオを見下ろすまなざしは、まさに絶対零度の蒼だ。
ただでさえ鋭いまなじりに淡々とした冷たさが宿るさまは、臆病なフェリオでなくても震え上がるに違いない。
図らずも先ほどのゴロツキたちの気持ちが分かってしまった。相当怖かっただろう。
「身分を隠して、行動しているんだ。分かるか。ただでさえ注目を集めていたというのに」
「そ、そんなに目立ってましたか……?」
「貴族が貧民に声をかけるという行為自体がそもそも目立つ。自ら絡まれる隙を作るなど愚行の極みだ」
「はい……」
聞いてみれば正論でしかない。
加えて迷惑をかけたという自覚があるぶん、フェリオはおとなしく縮こまって謝る他なかった。
思えば今日一日、情けない所しか見せていない。昼間だって、商店の呼び込みのラッパの音に飛びあがり、呆れた顔をされてしまった。
きっともう、取り返しのつかないくらい自分の評価は地に落ちてしまっただろう。そう思えば思うほど、じわじわと涙が滲んでくる。
追い出された形とはいえ、新しい生活の第一歩になるはずだった。
ずっと誰にも期待されず生きてきた自分でも、少しは人の役に立てるかもしれない。
安心して生きられる場所を、見つけられるかもしれない。そう思っていたのに。
このざまである。
「申し訳ありませんでした……」
「そう思うなら、せめて迷惑をかけるな。今後の道中では大人しくしていろ」
こくこくこくこくと何度も壊れた魔法人形のように首を振ると、フェリオを睨みつけていた視線はようやっと外された。
もちろん、それはそれは大きな溜息と一緒に、ではあったが。
「明日は馬車を変える。予定にはなかったが仕方あるまい」
「……め、目立ったからですか」
「その通りだ。余計な仕事を増やしてくれた」
再びぎろりと睨まれたフェリオは、サーペントに睨まれたトードのように身体を縮こまらせた。
城を追い出された上、一日目にして見捨てられては、それこそ本当に行き場がなくなってしまう。
「自分の行動の結果を少しは考えろ。一人旅じゃないんだ」
「はい……」
「分かったら軽率な行動は慎め。いいな」
吐き捨てるように告げられた言葉に頷こうとして。そこで、あれ、と、フェリオは気づく。
これだけ怒らせてしまったというのに、この青年は未だ、フェリオ自身を否定する言葉を投げかけてはいなかった。
あくまで行動を嗜めただけのそれは、能力を上から否定されまくってきたフェリオにしてみれば、新鮮な物言いだ。
この人は、フェリオ自身を否定しなかった。
ただ、行動を叱っただけだ。
常に期待されては見放されてきたフェリオの勘が、告げていた。
このひとはもしかすると、思っていたよりも――あんまり、怖い人じゃないのもしれない、と。
「返事は」
「ひゃい!!」
飛んできた𠮟責の鋭さに、いやもしかしたら気のせいかもしれない、と手のひらを返したが。
けれどフェリオは、その時確かに。
その竦みあがるような叱責に、不思議と恐怖を上回る感情を覚えもしたのだ。
そうして彼と向かう先は、見も知らぬ人々が暮らす、辺境の村。
ずっと、誰にも期待されず生きてきた。
引きこもっていた自室の中でさえ、本当の意味で安らぎなど得られなかった。
そんな、自分でも。
見つけられるかもしれないと、この時思ったのだ。
ずっと探していた――自分自身の、生きるべき場所を。
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