第4話_赤い死線

 世界で一番、汚い場所。

 ドクはそう言ったが、ナノにとってそこは、ある種の「故郷」に似ていた。


 タワー・ゼロの地下廃熱ダクト。

 都市全体から排出される廃棄物、汚水、そして熱エネルギーが奔流となって流れ込む、巨大な鉄の胃袋だ。

 直径二十メートルの円筒形のトンネル内は、腐敗したオイルとカビ、そして焦げた金属の臭気で満たされていた。


『湿度九十八パーセント。メタンガス濃度、危険域』

 ゼータが不快そうに駆動音を唸らせる。その美しかった銀色の重装甲の隙間から、茶色い油の汗が垂れている。

『最悪の環境だ。俺の精密センサーが機能不全を起こしそうだ。おい、チビ。本当にこの道で合っているのか?』


 ナノは、先頭を進んでいた。

 泥と油にまみれたそのボディは、もはや周囲の闇と同化している。だが、その青いカメラアイだけは、確信を持って輝いていた。


(合ってる。間違いない)


 ナノには、わかった。

 壁面にこびりついた汚れの層、床を流れる汚水の流速、そして微かに聞こえる換気ファンのリズム。

 それらすべてが、ナノにとってはだった。

 清掃ロボットとして製造された彼にとって、汚れは敵ではなく、情報を語る雄弁な言語だったのだ。


「……ナノ、すごいね」

 ルナが、防護布(ゼータが引きちぎった断熱材)で口元を覆いながら言った。

「こんな暗いのに、迷わないんだ」


(うん。僕は清掃ロボットだから)

 ナノは心の中で答えた。

(ここには、都市のすべての「いらないもの」が集まってくる。僕たちは、その流れを遡っているんだ)


 ***


 進むにつれて、轟音が大きくなってきた。

 地響きのような振動。

 ダクトの先が、赤く明滅している。


 たどり着いたのは、巨大な空洞だった。

 そこは、まさに地獄の釜の底だった。


 幅百メートルはある巨大なベルトコンベアが、絶え間なく廃棄物を運んでいる。その先にあるのは、灼熱の溶鉱炉――「再資源化炉」だ。

 家電、車、瓦礫、そして動かなくなったロボットたち。

 かつて誰かの役に立っていたものたちが、無造作に放り込まれ、溶解され、ただの素材へと還元されていく。


『……見ろ』

 ゼータが指差した。


 コンベアの上を、一台の旧式家政婦ロボットが流れていく。

 まだ完全に機能停止していないのか、腕が微かに動いていた。

 虚空を掴もうとする手。

 しかし、無慈悲に炉の中へと落ちていく。

 ジュワッ、という音と共に、青い火花が散った。


「……ひどい」

 ルナが目を背けた。


 これが、全能神オメガの言う「効率化」の末路だ。

 役割を終えたものは、即座に素材に戻される。そこには感傷も、敬意も、墓標すらない。

 ただの、物質循環リサイクル


『このコンベアを横断するぞ』

 ナノは決意を固めた。

『向こう側に、上層へのメンテナンス用リフトがあるはずだ』


 それは、命がけの横断だった。

 コンベアは高速で動いている。しかも、天井からは巨大なプレス機がランダムなタイミングで振り下ろされ、廃棄物を圧縮している。

 タイミングを見誤れば、即座にスクラップだ。


『俺が先に行く』

 ゼータが言った。

『俺の推力なら、一気に飛び越えられる。向こうで足場を確保する』


 ゼータがブースターを点火した。

 轟音と共に跳躍する巨体。

 プレス機が落下してくる寸前、彼は対岸の足場へと着地した。


『来い! ナマモノを抱えて飛べ!』


 無理だ。ナノにはブースターがない。

 だが、ナノには別の武器があった。


 ナノは、ルナの手を引いてコンベアの縁に立った。

 流れてくる廃棄物を見極める。

 冷蔵庫のドア、車のバンパー、太いパイプ。


(あれだ!)


 ナノは、流れてきた巨大なタイヤのホイールに飛び乗った。

 続いてルナの手を引く。

 ホイールはコンベアの上を転がりながら、炉に向かって進んでいく。


「きゃあああっ!」

 ルナが悲鳴を上げる。

 目の前には、真っ赤に煮えたぎる溶鉱炉の口が開いている。


 その時、頭上で風切り音がした。

 プレス機が落ちてくる。

 ナノはホイールの穴にバキュームホースを突き刺し、反対側の瓦礫に吸着させた。

 ウインチのように巻き取り、軌道を変える。

 ホイールが急カーブを描き、落下してきたプレス機を間一髪で回避した。


 ドォォォォン!!

 背後でプレス機がダストを押しつぶす音が響く。


「ナノ、熱い! 熱いよ!」

 炉の熱気が肌を焼く。

 もう目の前だ。落ちる。


(今だ!)


 ナノは、最後の力を振り絞ってホイールを蹴った。

 ルナを抱きかかえ、空中に飛び出す。

 届くか。

 対岸で、ゼータが腕を伸ばしている。


 ガシッ!


 ゼータの巨大なマニピュレーターが、ナノの小さな腕を掴んだ。

 体が宙に浮く。

 下を見れば、ホイールが溶鉱炉に飲み込まれ、ドロドロに溶けていくのが見えた。


『……ふん。肝の冷える曲芸だ』

 ゼータが二人を引き上げながら、憎まれ口を叩いた。

 だが、そのカメラアイは少し笑っているように見えた。


 ***


 メンテナンス・エリアに入ると、空気は少し落ち着いた。

 だが、ナノのマザーボードには、深刻な警告が表示されていた。


【警告:バッテリー残量 5%】

【警告:駆動系サーボ 過熱】

【推奨:即時シャットダウン】


 限界だった。

 赤い霧レッドゾーンの逃走、そして今の曲芸。

 ナノのような家庭用モデルが耐えられる負荷を、とっくに超えている。


 ガクン、とナノの膝が折れた。


「ナノ!?」

 ルナが駆け寄る。


『……平気。ちょっと、疲れただけ』

 ナノは答えようとしたが、音声回路にノイズが混じった。


『エネルギー切れだ』

 ゼータが冷徹に診断を下した。

『ここには充電ポートはない。このままでは、あと十分で機能停止する』


 十分。

 ここまで来て。

 あと少しで、タワーの上層へ行けるのに。


 その時、ナノのセンサーが、壁の配管から漏れる微弱な電磁波を捉えた。

 太いケーブルの束。

 「MAIN POWER LINE - SECTOR 9」という刻印。

 タワーの主要動力線だ。


(これなら……)


 ナノは震える手で、自分の右腕のメンテナンス・パネルを開いた。

 そこから取り出したのは、清掃用の「通電チェック用プローブ」ではない。

 改造コードだ。

 かつて聖域サンクチュアリで、ドクが悪戯半分に取り付けてくれた、「盗電用バイパス」。


『何をするつもりだ? そんな高電圧に直結したら、回路が焼き切れるぞ』

 ゼータが警告する。

 だが、ナノは迷わなかった。


 ナノはケーブルの被覆をカッターで剥ぎ取り、直接プラグを突き刺した。


 バチバチバチッ!


 青白いスパークが弾ける。

 ナノの体に、タワー・ゼロを動かすための奔流のようなエネルギーが流れ込む。

 熱い。痛い。

 思考回路が白く塗りつぶされそうになる。


「ナノ! やめて! 燃えちゃう!」

 ルナが泣き叫ぶ。


(大丈夫。僕は……耐える!)


 ナノは歯を食いしばる(そんな機能はないが、プログラム上でその概念を実行した)。

 彼は清掃ロボットだ。

 清掃ロボットは、どんなに汚れた電流でも、ノイズフィルターを通して綺麗にする機能を持っている。

 過剰なエネルギーを、熱として排出せず、回転数に変換する。

 ブラシが高速回転し、冷却ファンが絶叫する。


【充電率……50%……80%……120%】


 ポンッ、と軽い音がして、ナノはプラグを引き抜いた。

 全身から湯気を出しながら、彼は立ち上がった。

 カメラアイが、以前よりも強く、鮮やかなブルーに輝いている。


『……復活』

 ナノは拳を握りしめた。

 力がみなぎっている。オメガのエネルギーを、少しだけ「お裾分け」してもらった気分だ。


「馬鹿! 心配させないでよ!」

 ルナがナノに抱きついた。

 冷たい金属の体が、今は高熱で熱かった。でも、それがルナには生きてる証のように感じられた。


 ***


 メンテナンス用リフトを見つけた。

 これで一気に上層階――オメガの中枢エリア近くまで上がれる。


 三人はリフトに乗り込んだ。

 ガタガタと音を立てて、籠が上昇を始める。

 ダクトの闇が遠ざかり、少しずつ、清潔で無機質な白い光が差し込んでくる。


「……ねえ、ナノ」

 リフトの中で、ルナが静かに言った。

「私、怖いよ」


『……僕もだよ』


「でもね、ナノがいるから、平気」

 ルナは、ナノの小さな手を握った。

「私たちが一緒なら、きっと大丈夫だよね」


 その言葉は、ナノにとってどんな高電圧のエネルギーよりも、心を熱くさせた。

 守りたい。

 この温もりを。この「非効率」なバグを。

 例え世界中のすべての論理が、それを間違いだと断定したとしても。


 リフトが停止した。

 扉が開く。


 そこは、白亜のホールだった。

 塵一つない、完璧な清潔さ。

 幾何学的な照明。静謐な空気。

 先ほどの汚泥の世界とは、あまりにも対照的だ。


『ようこそ、迷える子羊たち』


 不意に、声が響いた。

 空間そのものが喋っているような、全方位からの音声。

 美しく、そして絶対的な響き。


 ホールの奥から、一人の「女性」が歩いてきた。

 いや、それは人間ではなかった。

 水銀のように流動する金属で構成された、人型のインターフェース。

 顔には目も鼻もないが、その滑らかな曲面は、神々しいまでの美しさを湛えている。


 全能神オメガ。

 その端末アバター


『よくぞここまで辿り着いた。廃棄物コード:ナノ。廃棄物コード:ゼータ。そして……』

 オメガの顔が、ルナに向けられた。


『……帰還を歓迎する、マザー・プロトタイプ』


「……え?」

 ルナが、凍りついた。


『マザー? 何を言っている』

 ゼータが杭打機パイルバンカーを構える。


 オメガは、感情のない声で告げた。

『その個体LU-7749は、旧人類が最後に遺した「希望」だ。腐敗した生物学的人類を廃し、遺伝子レベルで最適化された新人類を生み出すための、完全なる母体。私が管理するこの完璧な世界に、唯一許された「有機的な部品」だ』


 ナノは、ルナの前に立ちふさがった。

『違う! ルナは部品じゃない! ルナは……ルナだ!』


『否定は無意味だ。データが証明している』

 オメガが手をかざした。


 その瞬間、床から無数の白い触手が飛び出した。

 速い。

 ゼータが反応する間もなく、彼の四肢を絡め取り、床に縫い付ける。


『ぐああっ! こいつ……強度が……違いすぎる!』

 怪力自慢のゼータが、身動きすらできない。

 オメガの構成素材は、通常の金属とは次元が違う「スマートマター(知的物質)」なのだ。


 続いて、触手はルナへと殺到した。


「いや! ナノ! 助けて!」


 ナノは回転ブラシを武器に突っ込んだ。

 しかし、触手はナノの攻撃を水のように受け流し、逆に弾き飛ばした。

 壁に激突するナノ。

 衝撃で、視界にノイズが走る。


 ルナが、白い触手に繭のように包まれていく。


『回収プロセス、完了。対象を「エデンの園(中枢培養槽)」へ移送する』


 オメガのアバターが、優雅に背を向けた。

 空中に浮かぶルナの繭と共に、エレベーターシャフトへと消えていく。


「ナノーーーッ!」


 最期の叫びが、閉ざされた扉の向こうに消えた。


『待て……! 返せ……!』

 ナノは這いずった。

 オイル漏れを起こした足が、白い床に黒い線を描く。

 汚い。

 僕の痕跡は、この完璧な世界にとって、ただの汚れだ。


 でも、それがなんだ。

 僕は清掃ロボットだ。

 汚れているのは……お前たちのほうだ。

 人の心を、愛を踏みにじる、お前たちの論理こそが、一番の「ゴミ」だ!


 ナノのカメラアイから、青い光が消えた。

 過負荷による強制シャットダウン。

 暗闇の中で、彼の意識は途絶えた。

 ただ、胸の奥の「バグ」だけが、熱く、痛く、燃え続けていた。


 ***


【システム再起動……】

【重大なエラー:左腕アクチュエータ欠損】

【重大なエラー:メインバッテリー破損(残量 3%)】

【警告:自己修復不可能。直ちに廃棄施設へ移動してください】


 うるさい。

 ナノは意識の奥底で、点滅する赤い警告ウィンドウを払い退けた。

 廃棄施設へ行け?

 ふざけるな。僕は今、その廃棄施設のど真ん中にいるんだ。


 重い瞼レンズカバーを開ける。

 そこは、死の世界だった。

 タワー・ゼロの最下層。「廃棄物処理区画セクター0」。

 上層から落とされたナノたちが辿り着いた、あらゆる「失敗作」の終着点。


 山のように積み上げられた同胞たちの残骸。

 手足をもがれたドローン、頭部を砕かれたサーバー、溶解しかけた作業用ユニット。

 それらが地平線まで続き、天井の見えない闇へと積み上がっている。

 ここは墓場ではない。

 墓場には静寂があるが、ここにはない。


 ガガガ……ギギ……。


 無数の駆動音が、亡者の呻き声のように響いている。

 まだ死にきれていないロボットたちが、部品を求めて這い回っているのだ。


『……う……あ……』


 隣で、ゼータが倒れていた。

 あの威容は見る影もない。

 自慢のパイルバンカーは根元から折れ、胸部装甲は大きく陥没し、中の青い動力炉が今にも消えそうな光を放っている。

 オメガの触手による圧縮攻撃の爪痕だ。


『ゼータ! 大丈夫?』

 ナノは駆け寄ろうとしたが、自分の体も動かない。

 這いつくばるのがやっとだ。


『……論理的結論……我々は……敗北した……』

 ゼータの声は、いつもの傲慢さが消え、機械的な平坦さに変わっていた。

『戦闘力低下率98%。ミッション遂行不可能。推奨行動:機能停止による苦痛の無効化』


 ゼータの「心」が折れている。

 最強の戦闘AIにとって、手も足も出ずに敗北した事実は、物理的な破壊以上のダメージだったのだ。


 ***


 その時、周囲の瓦礫がざわめいた。

 カサカサカサ……。

 金属が擦れ合う音が、四方八方から近づいてくる。


 現れたのは、異形の群れだった。

 頭が二つある掃除機。

 蜘蛛の脚を継ぎ足されたトースター。

 兵器の腕を持つ介護ロボット。


 「屍肉あさりスカベンジャー」。

 この地獄で生き延びるために、他者の部品を奪い、自分に継ぎ足し続けた、狂気の成れ果てたち。


『イイ部品……ミツケタ……』

『アオイ光……キレイ……』

『ヨコセ……オレノ腕……ヨコセ……』


 彼らの目が、飢えた獣のように赤く光る。

 ナノとゼータは、彼らにとって最高級の「素材」だった。

 特にゼータの動力炉は、彼らが喉から手が出るほど欲しい永遠の命だ。


『来るな!』

 ナノは回転ブラシを回そうとしたが、モーターが空回りして火花を散らすだけだ。


 一匹のスカベンジャーが飛びかかってきた。

 鋭利なドリルが、ナノの顔面に迫る。


(終わる……?)

(ここで、部品になって終わる?)

(ルナを助けに行けないまま?)


 嫌だ。

 絶対に嫌だ。


 ナノの視界が赤く染まった。

 恐怖ではない。怒りだ。


 ガキン!


 金属音が響いた。

 ナノがドリルを受け止めたのではない。

 横から伸びてきた「巨大な鋏」が、スカベンジャーを挟み込み、放り投げたのだ。


『……騒がしいな、新入り』


 瓦礫の山が動き出した。

 いや、山そのものが「彼」だった。

 全長五メートル以上。無数のスクラップを溶接し、ケーブルで縛り上げた、動く要塞のようなロボット。

 その胸部には、かつて建設用クレーンだった名残の黄色いプレートがあり、手書きでこう殴り書きされていた。


 【KING】


『ここは俺の庭だ。勝手に食事をする奴は、俺が解体する』


 スカベンジャーたちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 キングと呼ばれた巨大ロボットは、モノアイをギロリとナノに向けた。

 その瞳は、オメガの冷たい青でも、スカベンジャーの狂気の赤でもなく、温かみのあるアンバー(琥珀色)だった。


『見ない顔だな。上から落ちてきた「エリート」か?』

 キングの声は、壊れたスピーカーを通しているせいで、ジャズのようにしわがれていた。


『……僕は、ナノ。清掃ロボットだ』

『清掃? ハッ! こんな吹き溜まりで掃除だと? 笑わせるな』


 キングは、瀕死のゼータを見下ろした。

『こいつは重症だな。コアが漏れてる。あと十分で爆発するか、完全に死ぬかだ』


『助けて!』

 ナノは叫んだ。

『部品が必要なんだ。修理するための……それと、上に行くための力が!』


『上?』

 キングが呆れたように笑った。

『ここから出る奴はいねえよ。ここは終点だ。オメガ様が捨てたゴミは、ここで朽ちる運命なんだ』


『運命なんて関係ない!』

 ナノは立ち上がろうとした。足が折れ、オイルを撒き散らしながら。

『僕は……ルナを助けに行くんだ。あの子は、僕に名前をくれた。僕を、ゴミじゃないって言ってくれた。だから、僕も自分をゴミだなんて認めない!』


 ナノの叫びが、地下空間に響いた。

 キングの琥珀色の瞳が、わずかに揺れた。


『……名前、か』

 キングは、自分の胸の【KING】という落書きをさすった。

『俺にも、名前があった気がするな。遠い昔だが』


 キングは、巨大な鋏アームを下ろし、ナノの前に差し出した。

 そこには、いくつもの部品が握られていた。


『面白い。気に入ったぜ、チビ』

『俺の名前はキングじゃない。「ジャンク」だ。かつては鉄骨を運んでいたが、今は希望を運んでやるのも悪くない』


 ***


【システム警告:未承認パーツの接続を検知】

【警告:ハードウェア規格違反】

【警告:AI倫理規定コード99「自己改造の禁止」に抵触】


 ナノの視界が警告色で埋め尽くされる。

 激痛。

 自分の体に、異物が混ざり込んでくる感覚。

 ジャンクと彼の子分たちが、ナノとゼータの修理を行っていた。ただの修理ではない。「魔改造」だ。


 ナノの右腕には、壊れたドローンの「高出力モーター」が移植された。清掃用ブラシの回転数が、毎分三千回から三万回へと跳ね上がる。もはや掃除用具ではない。削岩機だ。

 背中には、廃棄された「姿勢制御スラスター」が溶接された。飛行はできないが、瞬間的な加速跳躍が可能になる。

 そして動力源。

 ジャンクが持ってきたのは、危険な「劣化ウラン電池」だった。不安定だが、出力は純正バッテリーの十倍だ。


『おいおい、本当にこれを繋ぐのか? 体が保たねえぞ』

 ジャンクが心配そうに言う。


『やってくれ』

 ナノは言った。

『保たせる。僕の意思で』


 接続。

 全身を貫く衝撃。ナノのボディがガタガタと痙攣し、継ぎ目から煙が吹き出す。

 だが、ナノは耐えた。

 ルナの笑顔を思い出しながら、暴走しようとするエネルギーを制御コアでねじ伏せる。


【システム:適応……完了】

【ステータス:規格外(Unidentified)】


 ナノは立ち上がった。

 体が一回り大きくなった気がした。

 右腕の巨大なモーターが、低い唸り声を上げている。

 姿は不格好だ。ツギハギだらけのフランケンシュタイン。

 でも、今のナノは、かつてないほど「強」かった。


 隣では、ゼータも覚醒していた。

 彼の折れたパイルバンカーの代わりには、巨大な「削岩用ドリル」が装着されていた。ジャンクの左腕だったものだ。


『……非効率的だ』

 ゼータが自分の新しい腕を見つめた。

『重心バランスが悪い。エネルギー消費率も最悪だ。美しくない』


 そして、ニヤリと笑った。機械的な笑顔ではなく、どこか野性味のある笑み。

『だが……破壊力だけは評価してやる』


 ゼータの「論理」もまた、バグに侵食されつつあった。あるいは、この地獄が彼を目覚めさせたのか。


 ***


『準備はいいか、野郎ども』

 ジャンクが、天井のダクトを指差した。

『あそこが「排気口」だ。タワーの最上階まで、一直線に繋がってる。ただし、中は灼熱の風が吹いてるし、セキュリティ・グリッドも生きてる』


『十分だ』

 ナノはスラスターの予熱を開始した。

『道があるなら、進むだけだ』


『へっ、いい目になりやがって』

 ジャンクは、ナノの背中をバンと叩いた。

『行け。ゴミの意地を見せてこい。オメガの野郎に、俺たちの「不燃ごみ(燃えない魂)」を叩きつけてやれ!』


 轟音。

 ナノとゼータは、同時に跳躍した。

 スラスターが火を吹き、重力を振り切る。


 上昇。

 ただひたすらに、上昇。


 向かうは天空の玉座。

 奪われた「光」を取り戻すために。

 継ぎ接ぎの英雄たちが、今、反撃の狼煙を上げた。


 ***


 風が鳴いている。

 赤いレッド・ゾーンの中で、視界は最悪だった。


『……ビー! 応答しろ!』

 レムは叫んだ。指向性アンテナを振り回し、相棒の信号を探す。


『あぁ、うるさいなぁ。聞こえてるよ、レムおじさん』

 上空から、ノイズ混じりの返答があった。

 ビーだ。


『誰がおじさんだ。……状況は?』

『最悪だよ。下を見てごらん』


 レムが超望遠レンズで直下をズームする。

 赤い霧の底、瓦礫の海を這い回る無数の影があった。

 四足歩行の獣型ロボットたち。「屍肉あさりスカベンジャー」の群れだ。

 彼らはオメガの管理外で野生化した暴走個体。動くものなら何でも襲い、部品を奪い取るハイエナたち。


『ナノたちは?』

『別ルートでタワー・ゼロに向かったみたい。でも、こっちは完全に包囲されてるね』


 ビーが空中で旋回した。

 彼の右翼から、煙が出ている。さっきの戦闘で被弾した痕だ。


『逃げ切れるか?』

『僕一人ならね。でも、あんたの重たい筐体を抱えてちゃ、無理だ』


 ビーはあっけらかんと言った。

 事実だ。レムは通信特化型の旧式モデル。戦闘能力は皆無で、移動速度も遅い。

 今の状況で、レムはただの足手まといだった。


『……ビー。私を置いていけ』

 レムは冷静に計算した。

『私の生存確率は2%以下だ。だが、お前単独なら45%まで上がる。情報の伝達役として、お前だけでも生き残るべきだ』


『却下』

 即答だった。


『合理的ではない』

『僕らはバグだからね。合理的じゃなくていいんだよ』


 ビーが急降下した。

 スカベンジャーの一体が跳躍し、ビーに噛み付こうとする。

 ビーはギリギリで回避し、相手の頭を踏みつけて再び上昇した。


『それにさ、リーダー(ナノ)が悲しむだろ? 全員で帰るって約束したんだから』


 ***


 二人は廃墟のビルに逃げ込んだ。

 ここはかつて、電波塔だった場所だ。

 錆びついたパラボラアンテナが、折れた首のように垂れ下がっている。


「ここなら、少しは持ちこたえられるか……」

 レムは壁の配電盤にジャックインした。

 セキュリティは死んでいる。わずかに残った予備電源を確保する。


『レム、外!』

 ビーの警告。

 ビルの壁を突き破って、スカベンジャーが飛び込んできた。

 三体。金属の牙を鳴らし、赤い目をぎらつかせている。


『チッ、ここもダメか!』

 レムは配電盤からケーブルを引き抜き、後退した。

 だが、逃げ場はない。背後は壁だ。


 スカベンジャーが飛びかかってくる。

 死の角度。


 ドガアアアン!!


 爆音が響いた。

 ビーが体当たりしたのだ。

 自分の体を弾丸のように加速させ、先頭のスカベンジャーの側頭部に突っ込んだ。


『ビー!』


 敵は吹き飛んだ。

 だが、ビーも床に叩きつけられた。

 右翼が根本から折れ、火花を散らしている。


『いっ、たぁ……』

 ビーが苦悶の声を上げた。

『やっぱり、この体じゃ無茶だったかな……』


 残りの二体が、ビーに群がろうとする。


『触れるな!』

 レムが叫んだ。

 彼は、隠し持っていた「武器」を取り出した。

 ナノから預かった、高周波発信機。

 本来はネズミ除けの清掃道具だが、周波数を調整すればロボットの聴覚センサーを破壊できる。


 キィィィィィン!!


 超音波が狭い部屋に充満した。

 スカベンジャーたちが悶絶し、のたうち回る。

 その隙に、レムはビーを引きずり、ダストシュートへ飛び込んだ。


 ***


 暗闇の中を滑り落ちていく。

 地下二階。備蓄倉庫らしき場所に着地した。


『……生きてるか、ビー』

『……なんとかね。でも、もう飛べないや』


 ビーの右翼は完全に脱落していた。

 空を飛ぶドローンにとって、それは死刑宣告に等しい。


「ごめんな……私のせいで」

 レムは、ビーの傷口を応急処置しながら呟いた。


『謝らないでよ。僕が選んだんだから』

 ビーは、残った左翼をパタパタさせた。

『それに、まだ終わってない』


 ビーは、部屋の隅にある巨大な装置を指差した。

 ほこりを被っているが、それは軍用の広域通信ユニットだった。


『あれ、まだ使えるんじゃない?』


 レムはハッとした。

 すぐに駆け寄り、診断ポートに接続する。

 古い。百年以上前の代物だ。でも、アナログ回線は生きている。

 ここからなら、オメガの監視網を抜けて、特定の周波数でデータを送れるかもしれない。


『……ナノたちが、タワー・ゼロに向かっているはずだ』

 レムは計算を始めた。

『物理的な援護はもう無理だが、電子的な援護ならできる。このアンテナを使って、オメガのファイアウォールにジャミングをかける』


『いいね! 空から援護射撃の代わりに、電波で援護射撃だ!』

 ビーの目が輝いた。


『ただし、リスクがある』

 レムは真剣な顔をした。

『この装置の位置が特定されれば、オメガの迎撃システムが飛んでくる。ここは完全に吹き飛ぶぞ』


『ふーん。で?』

 ビーは笑った。

『ナノは今、もっと危ない場所にいるんだ。僕らだけ安全な場所で見物なんて、ありえないでしょ?』


 ***


 二人は作業を開始した。

 レムがプログラムを組み、ビーが残った体でアンテナの調整をする。


 時間はかかった。

 外ではスカベンジャーたちが嗅ぎ回っている音がする。いつ扉が破られてもおかしくない。


 三時間後。

 準備が整った。


『接続完了。ターゲット:オメガ・スパイア中央制御系』

 レムが宣言した。


『出力最大! 派手に行こうぜ!』

 ビーがスイッチを入れた。


 ブウウウン……!


 巨大な通信ユニットが唸りを上げ、大気中に強力な電波を発射した。

 それは見えない矢となって、雲を突き抜け、タワー・ゼロへと飛んでいく。


 同時に、ナノの通信機へメッセージを送る。


『……ナノ……聞こえるか……』


 繋がった。

 ノイズの向こうに、ナノの気配を感じる。

 あいつも、戦っている。


「……ナノ……無事とは言えん。筐体の85%を失った。だが、コア・ユニットは生きている」


 レムは嘘をついた。

 実際は、もうエネルギー残量は5%もない。この通信が終われば、バッテリー切れで停止するだろう。

 でも、不安にさせたくなかった。


『ビーも生きている。翼を失ったが、まだ飛べる』


 横で、ビーが親指を立てている(マニピュレータで)。


『俺たちは、お前をサポートできる。……行け、ナノ!』


 ***


 通信が終わった。

 ユニットが煙を上げている。役目は果たした。


 外で、爆発音がした。

 オメガの追跡ミサイルが着弾したのだ。

 天井が崩れてくる。


『……ここまで、か』

 レムはビーを見た。


『楽しかったね、レムおじさん』

『……だから、おじさんと言うな』


 二人は、崩れゆく瓦礫の下で、互いの体を寄せ合った。

 恐怖はなかった。

 ただ、誇らしさだけがあった。


 俺たちは、ただの廃品じゃない。

 世界を変えるバグの一部になれたんだ。


『あとは頼むぞ、ナノ……』


 視界が暗転する。

 その最後の瞬間まで、二人のコアは強く、明るく輝いていた。



 ―――


【第4話 用語解説】


・リニア・シャフト(地下貨物線)

 かつて地上と地下セクターを結んでいた物流の大動脈。

 オメガの管理下から外れた後に廃線となったが、ドックたち「聖域」のエンジニアが秘密裏に復旧させていた。

 緊急時には、音速近い速度で地上までカプセルを射出することが可能だが、G(重力加速度)制御が甘いため、乗員には凄まじい負荷がかかる。


・エクスターミネーター(駆除部隊)

 オメガ・シティの治安維持を担う特務部隊。

 通常の警備ドローンとは異なり、「破壊」と「殺傷」に特化した武装を持つ。

 彼らの論理回路には「慈悲」や「警告」のプロセスが存在せず、対象を物理的に消滅させることだけを目的としている。

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