翌日の放課後。


 約束――というより命令――どおり部室を訪れると、いつにも増して顔色の悪い白沢部長が、いつもならオワリちゃんが座っているソファにだらしなく座っていた。


「えっと……部長だけですか?」

「そうだな。四方末はまだ来ていない」

「そうですか……」


 緊張して黙ってしまい、場に冷たい空気が流れる。


「……ひとつ聞いてもいいか?」

「は、はい! なんでしょう!」


 いきなり言われて、声が上擦る。


「なぜ四方末と付き合う? ロクなことにはならんぞ」

「今日もここに来るように言われたので……」

「気持ちは分かるが。能力を分かり合える人間に会うことも少ないだろうしな」

「はあ」


 たしかに能力を持ったひとに会う機会は今までなかった。でもそんなことより、わたしは『プールの怪』をオワリちゃんがどうやって解決するのかに興味が湧き始めていた。


「むっふっふ」


 気まずい空気が流れる部室のドアを勢いよく開き、大量の本を抱えた前島くんを従えたオワリちゃんが不気味な笑みを浮かべながら入ってきて、古ぼけた本を長机に置いた。


「要ちゃん、どうやら金川ちゃんはよほどの罰当たりだったようだ」


 よく分からないまま本を見ると、開かれたページには『罅池ひびいけの河童伝説』という項目が記されていた。


「この本は『根崩町史誌』だ。幸いなことに図書室に置いていたよ。これの伝説の項目の中に河童伝説があった。およそ三百年前、かつてこの付近にあった罅池に住んでいた河童が悪さを働いていたそうだ。だがある日、浄禍亜じょうかあと名乗る徳の高い坊さんがこの町に現れ、長い戦いの末に池のほとりにあった石へ河童を封印して『この石を動かしてはいけない』と言い残し、いずこかへ去っていったそうだ」

「えっと……それがなんでプールの霊と繋がるんですか?」

「鈍いな、要ちゃん。あれは霊じゃなくて河童だ。まあ、プールで見た限りじゃ、ほとんど姿をとどめていなかったし、長い封印のせいで河童の搾りカスみたいだったがね。デコピン程度で祓えるくらいには弱っているな、アレは」


 まだよく分からずに黙っていると、


「つまり金川くんが石を動かしたとでも言いたいのか?」


 と、部長がボソリと訊いた。


「ご明察です。罅池は戦後まもなく埋め立てられたそうですが、それがなんとちょうどプールがある場所なんですよ。大発見ですな!」

「……だが、金川くんが河童石をわざわざ移動させる理由がわからない」

「ふっふっふ、そこが面白いところですよ。河童石はプール裏にあるらしいのですが、には、部長も心当たりがあるでしょう?」

「……ほう、面白いな」


 合点がいったようにうなずく部長。


 当然ながらわたしにはさっぱり分からない。


「あのー、どういうことですか?」

「ああ、そうか。きみはまだ、あの伝説を知らないんだな」

「伝説?」

「まあいい。百聞は一見に如かず、だ。行くぞ」


 いつものように強引に手を引かれてやって来たのは、プールだった。


「こっちだ、要ちゃん」


 プール裏に向かうオワリちゃんを慌てて追うと、角を曲がろうとしたオワリちゃんの足が止まった。


「どうしたんで――」

「しっ――」


 口に人指差し指を当ててプール裏をうかがうオワリちゃんの肩越しにのぞいてみると、こっちへ背を向けた女子生徒と緊張した表情の男子が向かい合っていた。ここからは何を言っているのか聞こえなかったけれど、男子が何かを言ったようで、しばらくしてから女子が小さくうなずいた。


 男子がガッツポーズをする光景に、


「わあ」


 と、思わず声が漏れた。あれはきっと、愛の告白だ。


 憧れている高校生活のひとつが、いま目の前で繰り広げられている。


 勝手にポーっとなっていると、新カップルが気恥ずかしそうに手をつないでこっちへ向かって来た。アワアワするわたしをオワリちゃんが壁に押しつけ、プールの壁に同化したわたしたちに気がつくこともなく新カップルは校舎へ帰っていった。


「……カップル成立か。ああ、わたしの運命の人はいつ現れるのか」


 新カップルを見送りながら落胆するオワリちゃんに、


「えっと、つまりここは告白スポットってことですか?」


 と、訊く。


「そう。定番は体育館裏とかなんだろうが、ウチではプール裏が告白スポットなんだよ」

「へえ、そうなんですねえ」


 顔が更に熱くなるのを感じながらわたしは嘆息した。


「まあ、とにかく行こう」


 言われるがまま着いていくと、足を止めたオワリちゃんが地面を指差し、その先に20センチ大の円柱状の石が草むらの中に倒れているのが見えた。


「これですか?」

「見てみな」


 石にはなにか文字が彫られているようだった。


「かすれてほとんど読めないが、おそらく字間から四文字が書かれている。ほら、一番上と三番目の文字だけは辛うじて読めるだろう」


 石を起こしながらオワリちゃんが言う。


「上は『愛』って書かれていますね。三番目はほとんど読めないけど、明るいの『明』かな?」

「そう。『根崩町史誌』によると、この石に書かれているのは『愛染明王』という四文字だ。きみにも分かるように言うと愛染明王は仏教における神様のひとりで、とても強い神様だ。浄禍亜は愛染明王の力を借りて河童を封印したのだろうな」


 言いながらオワリちゃんが石を立てる。


「河童を封印した石が倒れていて、金川ちゃんが河童に取り憑かれている。もう分かるだろう、この石を倒したのが誰なのか」

「部長が言っていたとおり、金川さんが倒したってことですか?」

「そうだ。金川ちゃんもなかなかの肝っ玉女子高生じゃないか」

「でも、なんでそんなことをしたんでしょう?」

「理由は本人に聞けばわかるだろう。まあ、大方の予想はつくがね」

「でもオワリちゃんの推理が本当だったとして、それが分かったところで河童なんてほんとに退治できるんですか?」

「河童退治とは関係ないな。さっきも言ったが、あの河童はかなり弱っている。祓うだけなら今すぐにもできるくらいにね。だからこれは、ただの好奇心からの捜査だよ」

「好奇心、ですか?」

「そう。面白いじゃないか、あのプライドの高い金川ちゃんの、誰にも知られたくない秘密を知ることができたんだから」


 河童石を撫でながら満足そうに笑むオワリちゃんに、


「そんなことばかりしているから、お前には友だちがいないんだよ」


 と、成井さんがあきれ声で言う。


「死人に口なしだよ、優。黙っていろ」

「ふん」


 諦めたようにそっぽを向く成井さんは、端から見ていてもオワリちゃんのことがとても好きなようには見えない。それなのになぜこのひとは彼女に取り憑いているのだろう? それともわたしには男心が分からないだけなのだろうか?


「なにをやっているの?」


 突然した声に振り返ると、梶宮さんだった。


「おお、梶宮くんじゃないか。これから部活かい?」

「うん。ふたりはなにを?」

「捜査だ」


 膝についた汚れを払いながら立ち上がったオワリちゃんが答える。


「たしか幽霊部だっけ?」

「ああ。きみもなにか困ったことがあれば相談してくれ」

「……もしかしてだけど、美保に何かが起きているの?」


 今にも泣きだしそうな声で梶宮さんが訊く。


「なにか心当たりがあるのかい?」

「美保のスランプの原因がずっと分からなかったんだ。二月十五日からだから、今日で大体二ヶ月かな。スランプになるなんてずっと信じられなかったんだけど、もしきみが美保のために動いているのなら、なにか霊的なものに取り憑かれているってことだろう?」

「ずいぶんと心配しているようだね、梶宮くん。あそこまで邪険にされていたのに、そんなに金川ちゃんが心配かい?」


 愉快そうに言ってグイと近寄るオワリちゃんに、俯いたままの梶宮さんが、


「水泳に懸ける思いが強すぎて誤解されがちだけど、美保は誰よりも努力家なんだ。ぼくは彼女を尊敬しているし、いつか追いつきたいと思っている」


 と、小さいながらもはっきりと言った。


「安心したまえ梶宮くん。必ずわたしが金川ちゃんのスランプを解決する」


 自信満々に胸を張るオワリちゃんの横で、わたしは梶宮さんの発言が引っかかっていた。


「あのー。なぜ金川さんがスランプになった日をはっきりと覚えているんですか?」

「それは……」


 言いかけた言葉を飲み込む梶宮さん。


「決まっているだろう、要ちゃん。きみは勘が悪いな」


 オワリちゃんが口を挟んできて、わたしに向かってマウントのため息を吐いた。


「二月十五日の前日は、二月十四日だ」

「……あ、そういうことですか」


 二月十四日はバレンタインデーだ。オワリちゃんの推理がほんとに正しいのなら、金川さんがこの場所で誰かに告白したってことになる。そしてフラれた金川さんが、たまたま近くにあった河童石を蹴り飛ばしたのだろう。でもまだよく分からない。八つ当たりとはいえ、わざわざ蹴り飛ばすなんてことするだろうか?


「と、とにかく美保のことをよろしく」


 なぜか焦っている梶宮さんがいそいそと戻って行く。そのうしろ姿を見ながら、まさか金川さんが告白した相手って梶宮さんなのかもって思った。でもだとしたら告白を断ったってことになる。さっきの態度からすると梶宮さんは金川さんに好意どころか尊敬の念を抱いているから断るわけがないはずだけど。うーん、やっぱりわたしには男心が分からないのだろうか。


「オワリちゃんは、金川さんがだれに告白したのかは分かっているんですか?」

「確信はないが有力候補はいる。ずばり、曳田先生だ」


 思いがけない名前を出され、更にチンプンカンプンになった。


「なんで、そう思うんですか?」

「そりゃそうだろう。わたしの好みではないが、あんなに容姿の整ったひとはなかなかいない。おまけに性格も良い最高の教師だ。歳上への恋心はきみも理解できるだろう? 現に佐竹ちゃんが言っていたように、水泳部の女子のほとんどが曳田先生目当てらしいからな」

「うーん。分からなくもないですけど、梶宮さんの可能性はないですか?」

「そんなわけあるかー」


 ベタな漫才師のようにツッコミを入れるオワリちゃん。


「たしかに梶宮くんはいいヤツだが、あんなヘナヘナした男に惚れる女がいるわけがない。わたしはもっと自信に満ち溢れたムキムキマッチョの色黒男が好みだ」


 なぜか自分の好みの男性像を披露して、オワリちゃんは主語が大きな主張をした。


 でもわたしはまだ、金川さんがスランプに陥った日が「二月十五日」だと梶宮さんがはっきり覚えていることに違和感を覚えていた。


「まあ、金川ちゃんが誰に告白したかなんてどうでもいいことだよ。お仕置きには『金川ちゃんが誰かに告白してフラれた』という、惨めな事実だけがあればいい」


 満足そうに笑みを浮かべるオワリちゃんを見て、改めてこの人は性格が悪いなと思った。


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