第6話 ※リラ目線
わたしは、白馬の獣人にナンパされていた。
……リンゼは、まだ気づいていない。
もう少し歩いたら、振り返ってくれるだろうか。
白馬獣人越しにリンゼに声をかけるか迷っていると、白馬獣人がにこやかに名乗った。
「ボクはハクバ。君は?」
(名前……どうしよう……)
ほんの三秒ほど考えてから、弱々しく笑って答える。
「……ゴリラリラです」
ハクバはぱっと表情を明るくした。
「ラリラ。可愛い名前だね」
(……あ、ゴリが苗字で、ラリラが名前だと思ってる)
そう思った瞬間、可笑しくなってしまって、つい吹き出してしまった。
ハクバは気にした様子もなく、軽やかな調子で話し続ける。
風が吹いたタイミングで、きれいなたてがみをさっとかき上げながら。
「ボク、知ってるよ。ゴリラって、毛深くて剛腕そうに見えても……実は心が繊細で、すぐお腹を壊しちゃうんだよね。そういうところ、可愛いと思う」
……わたしは、一瞬言葉を失った。
その“可愛い”に、どうにも共感できなかったからだ。
それでも何か返さないといけない気がして、ハクバを見つめる。
YouTubeのショート動画をたくさん見てきた中で、馬といえば――
鼻先が柔らかそうなのが可愛い、と思っていたけれど。
ハクバには、人の顔がついているから、それはない。
自慢そうなたてがみは、きっと褒められ慣れているだろうし……。
「えっと……馬も、かっこいいですよね」
口が、勝手に動き出す。
「今にも走り出しそうだなって思ったら、急に跳ね上がって……空中で豪快におならするところとか……勇ましいなって……」
(……何を言ってるんだろう、わたし)
でも、もう止まらなかった。
まあ……いいか。
ゴリラの繊細さと下痢が可愛いって言う人だし……。
恐る恐るハクバの反応を見る。
ハクバは、大きな目で、変わらず優しくこちらを見つめていた。
その時だった。
「リラ」
はっきりした声。
振り返ると、いつの間にかわたしの背後にリンゼが立っていた。
尻尾が一度、ぴしりと鳴る。
ハクバははっとして後ずさった。
「リンゼ様のお連れ様でしたか! それは大変失礼いたしました」
深く頭を下げる。
「リンゼ様のお連れ様とは知らず……あまりの可愛らしさに、つい声をかけてしまいました。どうかお許しを」
そう言って、ハクバは丁寧に礼をして去っていった。
その背中を見送ってから、リンゼがわたしを見る。
「……名前を、教えたのか?」
わたしはぼんやりしたまま、こくんと頷いた。
「でも……」
少し間を置いてから、ゆっくりリンゼの目を見る。
「ハクバ、わたしの名前を勘違いして……ラリラって覚えちゃった。可愛い名前だね、って言ってたから……ぎりぎりバレてない」
リンゼは一瞬、言葉を失ったようだったが、
“リラ”と呼ばれていないことに気づいたのか、ほっとした表情になる。
そして、やわらかく言った。
「情報量が多くて疲れただろう。そろそろ戻ろう」
そう言って、手を差し出してくれる。
「最初から、こうすればよかったな。悪かった」
その笑顔は、少し照れたようでもあった。
わたしはリンゼの手に自分の手を預け、引かれるまま歩き出す。
しばらくすると、リンゼは自然にわたしの歩調に合わせてくれた。
わたしは、ぽつりと話す。
「ハクバが言ってたんだけど……毛深くて剛腕そうなのに、繊細ですぐお腹壊すのが、ゴリラの可愛いところなんだって」
リンゼは、くすっと笑う。
「ゴリラじゃないことがバレなかったのは幸いだが……ずいぶん多様だな。それで、リラはなんて返したんだ?」
わたしは、さっきのままの調子で答えた。
「馬もかっこいいですよね。走り出すのかと思ったら跳ね上がって、空中で豪快におならするところが勇ましいって……お世辞で返した」
リンゼは、とうとう我慢できなくなったように声を上げて笑った。
「それは……やきもちを焼くところじゃないな。愉快だ。漫談のようだ」
目元に、うっすら涙まで浮かべている。
どうやら、かなりツボに入ったらしい。
わたしは、ふと思ったことを口にした。
「……繊細なところを、どうして可愛いと思うのか……分からない」
リンゼは少し考えてから言った。
「それは、命を持つ者への慈愛だ。強き者には憧れと敬意を、弱き者には慈しみを注ぐ。ここは、そういう世界だ」
「その世界が続くように……わたしは尽力しているつもりだ」
――あ、今、皇太子の顔をしている。
そう思ったから、素直に言った。
「……いい世界ですね」
「ん?」
「わたしの元いた世界は……人混みで赤ちゃんが泣けば、その母親を睨みつけるような世界でした。慈愛なんて、あまり似合わない」
リンゼは何も言わず、ただ黙って耳を傾けてくれる。
「次の世代が置かれた環境も考えず……『今どきの若い者は』って言われて。前の世代についていけない人は、切り捨てられて……わたしも、その一人でした」
城門をくぐる頃。
「お帰りなさいませ」と声をかけられる頃には、
つないだ手は、いつの間にか腰に添えられていた。
何か危険な目に遭ったわけでもないのに。
――ここに居てもいいんだ。
そんな安堵感が、
じんわりと身体に染み渡っていくのを感じていた。
人間は、この世界ではひどく脆い(らしい) 万華実夕 @miyu-mange
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