第5話 ※リンゼ目線

「ごちそう様でした。とても美味しかったです」


そう言って、リラは静かに手を合わせた。

声の調子も、仕草も、最後にほんの少しだけ緩む表情も――なぜだろう、すべてがやけに整って見える。


(……落ち着け。ただの食後の挨拶だ)


自分にそう言い聞かせるが、胸の奥では感情が跳ねていた。

尊い、とか。

眩しい、とか。

そんな言葉が、勝手に浮かんでは消えていく。


リラはお盆を持ち上げ、少し遠慮がちに尋ねた。


「あの……どこに下げたらいいですか?」


その瞬間、侍女がはっとしたように前へ出てきた。


「わ、わたくしがお下げいたします!」


やや早口でそう言い、お盆を受け取る。

リラはにこっと笑って、ぺこりと頭を下げた。


……今の、見間違いではないよな?

侍女の表情が、一瞬だけふやけた気がしたのだが。


(まさか……いや、気のせいだ)


そう思いたい。

だが最近、どうも周囲の反応が怪しい。


リラは一度部屋を出て、すぐに戻ってきた。

手には歯ブラシと歯磨き粉。


(歯磨きか。生活感があるのは……良い)


そう眺めていると――


(……あ)


歯磨き粉の量が、明らかに多い。


(出しすぎだ。どうする……?)


次の瞬間、そのまま口に入れた。


(……ほら、言わんこっちゃない)


案の定、口の周りが泡だらけになる。

白い泡をつけたまま、きょとんとした顔でこちらを見るリラ。


(…………)


(……可愛い)


理性が、一歩後退した。



少し落ち着いた頃、私は咳払いをして切り出した。


「ヒートが終わって、身体が楽になったら……城外へ散歩に行かないか?」


リラはまだ少しぼんやりしたまま、こくんと頷く。


「リラが人間だと知られるのは都合が悪い。だから、少しだけ変装が必要になるが……ほんの短い散歩だ」


そう説明すると、また小さく頷いた。


――その日から。


なぜか散歩の予定を、私ひとりが異様に楽しみにしていた。

気づけば宰相や職人まで巻き込み、計画は勝手に進んでいく。


問題はひとつ。

リラを、どの獣人に見せかけるか、だった。


宰相が恐る恐る進言する。


「リンゼ様……あの……かつての御遊びのご様子からして……ご趣味ではないことは重々承知しておりますが……」


嫌な予感がした。


「リラ様のお耳が、顔の真横についている点を考えますと……種族がかなり限定されまして……」


嫌な予感が、確信に変わる。


「ここはひとつ……上半身だけ、ゴリラ獣人の装いを……」


私は、はぁ……と深くため息をついた。

だが宰相は追撃してくる。


「お名前も……ゴリラですと馴染みがよろしいかと。ゴリラ・リラ……響きもお可愛らしく……」


私は両手で顔を覆った。


「……そんなつもりで、リラと名付けたわけではない」


しかし、計画はそのまま進行した。

耳の位置、城外に連れ出す必要性、ある程度の強さの演出――

すべての条件を満たすのが、ゴリラ獣人だったのだ。


散歩当日。


上半身だけゴリラに仮装したリラが、少し拗ねたようにふて寝していた。


(……見た目は、いつもより可愛くない。だが)


ふて寝、という行為そのものが、可愛い。


「リラ……散歩に行こう」


手を差し出すと、もそっと起き上がり、私の少し後ろを歩き出す。

城門をくぐるまで、計画に関わった者たちが、なぜか無言で見送っていた。


そして城外へ。

私の三歩後ろを歩く、ワンピース姿のゴリラ獣人――リラ。

物珍しそうに、城外の景色をきょろきょろと見回している。


私は時折振り返り、その様子を眺めていた。

ゴリラの見た目なのに、胸の前で両手をきゅっと握り、

心なしか内股気味に歩いている。


(……見た目はゴリラでも、中身は乙女だな)


そう思い、あえて話しかけず歩いていると――

再び振り返った時、リラが足止めを食らっていた。


相手は、白馬の獣人。


……ナンパ、だ。


その瞬間、私は悟った。


(……私は、何を勘違いしていた)


ゴリラの装いだから可愛くない?

そんなわけがない。


他の獣人から見れば――

ゴリラ・リラだろうと、十分すぎるほど可愛いのだ。


(……後で、自分を殴っておこう)


私は静かに歩調を変え、

白馬獣人のもとへ向かった。

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