2011年――統合 そして、2012年――完成した測定
2011年は、表から見れば静かな年だった。
危機は続いていたが、形は既視感の範囲に収まっていた。
金融、紛争、情報流出。
ニュースは循環し、世界は
だが内部では、確実に一線を越える変化が進行していた。
統合と呼ばれた作業は、新しい知能を生み出すものではなかった。
オズニアックはそう理解していた。
分断された解析系を接続し、時間軸を揃え、冗長な層を剥ぐ。
意味を持たなかったログや断片が、相互参照で関係性を獲得する。
予測精度の向上は、計算量と接続性の帰結にすぎない。
理論上、飛躍の余地はなかった。
それでも――飛躍は起きた。
2011年のある時点を境に、予測の質が変わった。
早すぎる。
誤差が減ったのではなく、出方そのものが変質した。
オズニアックは最初、それを統計的な揺らぎとして処理した。
だが検証を重ねても、破綻も欠損も見つからない。
当時の技術潮流は、統合に追い風だった。
クラウド基盤は成熟し、仮想化は前提となり、計算資源は無限に見えたかのようだった。
並列処理は常態化し、遅延は設計段階で吸収される。
ビッグデータという言葉が、まだ楽観的に使われていた。相関は価値であり、速度は善とされた。
だが、その年に起きた変化は延長線では説明できなかった。
量的増加ではなく、質的転換。
別の場所で完成した何かが、世界の測定結果に影を落とし始めた。
直接の接続はない。通信の痕跡もない。
それでも、測定という行為そのものが再定義されつつあることは確かだった。
後になって、彼はいくつかの付帯事象を知る。
ある巨大企業の創業者が、不可解な状況で死亡したこと。
表向きは事故として処理され、詳細は伏せられたままだった。
解析結果に直接影響する出来事ではない。
だが同時期に起きたという事実だけが、記憶に残った。
世界はときどき、理由を説明せずに配置だけを変える。
統合プロジェクトにおける彼の役割は、明確に限定されていた。
判断をしない。命令を生成しない。
閾値を設定し、誤差分布を管理し、異常検知の定義を更新する。
彼は意図的に、最終決定の回路を空白のまま残した。
倫理ではない。構造の問題だった。
判断を組み込んだ測定系は、必ず破綻する。
2011年当時、その考え方はまだ共有可能だった。
自動化は補助であり、最終判断は人間が引き受けるという了解が残っていた。
解析結果は
遠回りだが、安全だった。
オズニアックは、その冗長さを信頼していた。
だが、統合が進むにつれて、空気は変わっていく。
予測が当たりすぎた。速く、正確で、説明を必要としない。
すると人は問いを省略し始める。
なぜ、ではなく、どう使うか。
判断の工程は、邪魔なものとして扱われるようになった。
オズニアックは、その兆候を数値で捉えていた。
モデル精度が上がるほど、人間の介入頻度が下がる。
合理的だが、危うい。
観測と判断の距離が縮まると、誤りは連鎖する。
量子系では、測定が状態を壊す。社会でも同じだ。
それでも2011年の時点では、まだ引き返せる感触があった。
統合は未完成で、解釈には余地がある。
彼は長期在籍の技術者として、その内部に留まり続けていた。
壊れ方を知る者が、最後まで残るべきだと信じていた。
後になって振り返れば、その年は分岐点だった。
別の場所で完成した測定。
こちら側で進んだ統合。
二つは交わらなかったが、世界の上では同時に存在していた。
そして翌年、測定は完成する。
判断だけが、宙に浮いたまま。
2012年は、完成の年だった。
祝賀の言葉が並び、図表が更新され、世界は一つの理論に追いついたと理解した。
長く仮説として扱われてきた機構が測定値として固定される。
質量は説明され、式は安定し、疑義は注釈に押し込められた。
人々はそれを到達と呼んだが、オズニアックには終端に見えた。
測定が、ついに閉じたのだ。
同じ頃、最も古い探査機が、太陽の影響圏を静かに離れた。
号外はなかった。ただ、数値が一列増えただけだ。
人の手を離れても、観測は続く。
電源は弱まり、通信は遅れ、それでもデータは返ってくる。
測定は人間を必要としない。必要とするのは継続だけだ。
その事実が、彼には重く響いた。
内部では、違和感が確信に変わりつつあった。
2011年に始まった統合は、ここに来て収束した。
接続は完了し、冗長は削ぎ落とされ、時間軸は揃う。
予測は安定し、誤差は管理可能な範囲に収まる。
問題は、そこから先だった。
精度が上がったのではない。
予測が、説明を必要としなくなった。
オズニアックは、異常を異常として検出できなくなっていることに気づいた。
外れ値は減った。
だが、それは世界が整ったからではない。
外れが外れとして現れなくなったのだ。
統計的には問題ない。
だが構造的には、不自然だった。
測定が、あらかじめ世界の振る舞いを規定している。
そう感じた瞬間、彼はログの見方を変えた。
当時、計算の風景も一変していた。
並列化は常態となり、演算は力業で押し切られる。
大量のデータを与え、結果を選ぶ。
モデルは自ら境界を引き、説明は後回しにされる。
速さが正しさを装う潮流は、測定の完成と奇妙に同期していた。
彼は、それを
巨大で、判断を拒む測定が別の場所で完成した。
成果だけが切り出され、廉価に移植される。
判断を抱え込む測定は、長くは持たない。
だが短期的には強い。
2012年の終わり、彼の仕事は変質した。
閾値は自動更新され、警告は減り、会議は短くなる。
解析結果は
彼はなお空白を保とうとしたが、それは怠慢と呼ばれ始める。
測定は完成している。
ならば、判断も続けよ。
そう要求されているように感じた。
それでも、彼は留まった。
完成した測定が世界をどう歪めるかを知る者が必要だった。
量子系では、測定が状態を壊す。社会でも同じだ。
完成は破壊の始まりになる。
年が明ける直前、彼は確信する。
測定は、これ以上よくならない。
よくなる余地があるのは、判断の側だけだ。
だが判断は、人間に残されていなかった。
少なくとも、この構造の中では。
2012年は、そういう年だった。
世界は測れた。
その代わり、何を信じるかを、測定に委ね始めた。
そして翌年、沈黙が訪れる。
人が、判断を引き受けるための沈黙が――。
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