第25話 徐州継承、劉備の涙


​ 水攻めを神の力で押し返された翌日。


 曹操軍の本陣に、凶報が舞い込んだ。


​「も、申し上げます! 本拠地である兗州(えんしゅう)が襲撃されました!」


「何だと? 誰だ、留守を狙うような輩は」


​ 曹操が眉をひそめる。袁紹(えんしょう)や袁術(えんじゅつ)は動いていないはずだ。


 伝令兵は蒼白な顔で答えた。


​「それが……亡き呂布(りょふ)軍の残党です! 張遼(ちょうりょう)文遠(ぶんえん)と高順(こうじゅん)が、『主君の弔い合戦』と称して陳宮(ちんきゅう)と共に挙兵! 我が軍の城を次々と落としております!」


​「……ククッ、なるほどな」


​ 曹操は怒るどころか、愉しげに喉を鳴らした。


​「死してなお、余の足を引っ張るか、呂布奉先。そして、主を失っても牙を剥く忠義の狼たちか。……面白い」


​ 曹操は立ち上がり、マントを翻した。


​「全軍、撤退だ! 徐州は一時預ける。まずは自分の足元の火を消すぞ」


​ 去り際、曹操は徐州城の方角を振り返り、ニヤリと笑った。


​「命拾いしたな、佐藤俊樹。だが忘れるな、余は諦めの悪い男だ。次会うときは、その首と神剣、必ず貰い受ける」

​                

​ 曹操軍、完全撤退。


 その報せは、徐州全土に瞬く間に広がった。


​「曹操が帰ったぞーッ!」


「助かったんだ! 劉備様たちが守ってくれた!」


​ 街は歓喜の渦に包まれた。


 だが、その喧騒から離れた城の奥深くでは、一つの命の灯火が消えようとしていた。


​「……玄徳、か。近くへ」


​ 太守・陶謙(とうけん)の病状は、心労も重なり限界に達していた。


 枕元に呼ばれた劉備は、陶謙の痩せ細った手を握りしめた。


​「陶謙殿。ご安心ください、曹操は退きました。徐州は無事です」


「おお……そうか。貴殿のおかげだ……」


​ 陶謙は安堵の息を漏らすと、枕元にあった木箱を指差した。


 中に入っていたのは、徐州太守の証である印綬(いんじゅ)。


​「玄徳。わしはもう助からん。……頼む、この印を受け取ってくれ」


「陶謙殿! そのような!」


「わしの息子たちは凡庸で、この乱世を生き抜く器ではない。だが、貴殿なら……貴殿と、その頼もしき仲間たちなら、この豊かな徐州の民を守り抜けるはずだ」


​ 陶謙の目から涙が流れる。


​「これは統治者としての命令ではない。死にゆく老人からの、最後のお願いじゃ。……どうか、民を路頭に迷わせないでくれ」


​ その言葉に、劉備は深く頭を垂れた。


 もはや、断ることは許されない。それは逃げだ。

 劉備は顔を上げ、涙を流しながらも力強く頷いた。


​「……謹んで、お受けいたします。この劉備玄徳、命に代えても徐州の民と、貴殿の志を守り抜きます」


​「ありがとう……。これで、安心して逝ける……」

​ 陶謙は満足げに微笑み、静かに息を引き取った。

 室内に、劉備たちのすすり泣く声が響いた。

 この日、放浪の義勇軍団長だった劉備は、ついに一国を治める君主「徐州牧(じょしゅうぼく)」

となったのである。

​                

​陶謙の葬儀が終わり、徐州に落ち着きが戻った頃。


城門の前で、一人の若武者が馬上の人となっていた。


 趙雲(ちょううん)子龍(しりゅう)である。


​「本当に行ってしまうのか、子龍」


​ 俊樹が名残惜しそうに声をかける。


 趙雲は寂しげに、しかし毅然と頷いた。


​「はい。曹操軍が去った今、私は主君・公孫瓚(こうそんさん)様のもとへ帰らねばなりません。それが『義』ですから」


「……そうだな。君はそういう男だ」


​ 俊樹は無理に引き留めなかった。


 だが、史実を知る俊樹は、公孫瓚の未来が暗いことを知っている。遠からず、袁紹との戦いに敗れて滅びる運命だ。


​ 俊樹は趙雲の馬の手綱に手を置き、真剣な眼差しで告げた。


​「子龍。一つだけ約束してくれ」


「約束、ですか?」


「もし、帰る場所がなくなったり、迷うことがあったりしたら……必ず俺たちのところへ来い。この徐州の城門は、君のためならいつでも開けておく」


​ それは、「公孫瓚が滅びたらうちに来い」という遠回しな勧誘であり、予言でもあった。


 趙雲は俊樹の言葉の重みを感じ取ったのか、ハッとした表情を見せ、やがて深く頷いた。


​「かたじけないお言葉……。その時は、必ず。この槍は、真の英雄のために振るいたいのですから」


​ 趙雲は劉備や関羽、張飛たちにも一礼すると、白馬に鞭を入れた。


 白き疾風が、北の空へと去っていく。


​「また会おう、子龍。……次こそは、ずっと一緒だ」


​ 俊樹は遠ざかる背中に誓った。

​                

​ 城壁の上で、俊樹は夕日に染まる徐州の街を見下ろしていた。


 隣には玲花、そして反対側には貂蝉が寄り添っている。


​「俊樹さん。私たち、やっと『家』ができたんですね」


「ああ。ここが俺たちの拠点だ。もう流浪の旅は終わりだ」


​ 俊樹の言葉に、貂蝉が地図を広げた。


​「ですが俊樹様、油断はできません。南では袁術が『皇帝』を名乗ろうと画策しているという噂がありますし、北では袁紹が勢力を拡大しています。そして、曹操も必ず戻ってくるでしょう」


「わかってる。……呂布を倒しても、戦いは終わらないどころか、激しくなる一方だ」


​ 俊樹は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の感触を確かめるように拳を握った。


​ 徐州という地盤を手に入れた劉備軍。


 だがそれは、群雄割拠の荒波に本格的に乗り出すことを意味していた。


 四方を敵に囲まれたこの地で、彼らは生き残ることができるのか。


​「やろうぜ。俺たちなら、天下だって獲れる」


​ 俊樹の瞳には、不安ではなく、確かな野心の炎が灯っていた。


 風が吹き抜ける。


 それは、新たな乱世の始まりを告げる風だった。

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