第22話 曹操の復讐、殺戮の軍靴


​ 徐州に訪れた平和は、あまりにも短く、そして脆かった。


 劉備たちが陶謙(とうけん)の客将として落ち着いてから数週間後。


 城の大広間に、血相を変えた伝令が飛び込んできた。


​「も、申し上げます! とんでもないことが起きました!」


「どうした、騒々しい」


​ 陶謙が咳き込みながら問うと、伝令は震える声で告げた。


​「曹操(そうそう)の父君、曹嵩(そうすう)殿が……我が領内にて殺害されました!」


​ その一言に、広間の空気が凍りついた。


 陶謙が目を見開き、ガタガタと震え出した。


​「な、なんだと……!? わしは曹操殿との友好のため、部下の張開(ちょうかい)を護衛につけたはずだぞ!?」


「その張開が裏切ったのです! 彼は元黄巾賊……曹嵩殿の持っていた莫大な財宝に目が眩み、曹嵩殿とその一族を皆殺しにして、財宝と共に逃亡しました!」


​ 陶謙は「ああっ!」と悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。


 これは単なる殺人事件ではない。


 当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していた曹操に対し、これ以上ない「侵略の口実」を与えてしまったことになる。


​ 劉備も顔面蒼白となった。


「まずい……。曹操殿は『孝』を重んじる。父を殺されたとなれば、復讐の大義名分を掲げて攻め込んでくるぞ」

​                

​ その夜。


 軍議の席で、俊樹は一人、険しい顔で地図を睨んでいた。


​「俊樹さん? 何か気になることでも?」


​ 玲花が心配そうに覗き込む。俊樹は静かに口を開いた。


​「……おかしいと思わないか。曹操ほどの切れ者が、なぜ自分の父親にこれほどの財宝を持たせ、しかも元黄巾賊のいる危険なルートを通らせたんだ?」


「えっ? それは……」


「護衛が少なすぎるんだよ。まるで、『襲ってください』と言わんばかりだ」


​ 俊樹の脳裏に、虎牢関で見た曹操の冷徹な瞳が浮かぶ。


 彼は合理性の塊だ。感情よりも利益を優先する。


 もし、徐州を攻め取るための口実が欲しくて、わざと父親を餌(えさ)にしたとしたら?


​(だとしたら、曹操孟徳……あんたは化け物だ。魔王・董卓とは違う、もっとたちの悪い『覇王』だ)


​ 俊樹が戦慄していると、新たな急報が届いた。


 それは、俊樹の最悪の予想を裏付けるものだった。


​「ほ、報告! 曹操軍、五万の大軍が徐州へ向けて進軍中! 掲げられた旗印は『報仇雪恨(ほうきゅうせっこん)』!」


「来たか……!」


「さらに……曹操は通告しました。『父の仇である徐州の人間は、一人残らず殺す』と。通過した村々は、鶏や犬に至るまで皆殺しにされ、川は死体で堰き止められ、水が赤く染まっているとのことです!」


​ ドンッ!


 俊樹が机を拳で叩き割った。


​「ふざけるなッ!!」


​ 激しい怒りに、俊樹の髪が逆立ち、微弱な放電が走る。


 劉備たちも驚いて俊樹を見た。普段は冷静な軍師が、これほど感情を露わにするのは初めてだったからだ。


​「仇討ちなら張開を追えばいい! なぜ関係のない農民や子供まで殺す!?」


「俊樹……」


「これは復讐じゃない。見せしめだ。恐怖で支配するための虐殺だ! ……こんなことが、英雄のやることかよッ!」


​ 現代の倫理観を持つ俊樹にとって、民間人の虐殺は最も許しがたいタブーだった。


 震える俊樹の背中に、貂蝉がそっと手を添えた。


​「俊樹様。落ち着いてください。怒りに呑まれては、曹操の思う壺です」


「……ああ、悪い。わかっている」


​ 俊樹は深呼吸し、劉備に向き直った。


 劉備の目にも、静かだが激しい炎が宿っていた。


​「俊樹の言う通りだ。民を虐げる者を、私は断じて許さん。……陶謙殿、ご安心召されよ。この劉備、命に代えても徐州の民を守り抜きます」


​ 劉備は覚悟を決めた。


 相手は五万の精鋭。対する劉備・陶謙連合軍は合わせても二万に満たない。


 絶望的な戦力差。


 だが、ここで引くわけにはいかない。

​                

​ 数日後。


 徐州城の城壁から見える平原は、曹操軍の兵士で埋め尽くされていた。


 整然と並ぶ軍列。風にはためく『曹』の旗。


 そして、その中央に座す男。


​ 曹操孟徳。


 彼は無表情で、燃やされた村々の煙を見上げていた。


​「殿。……やりすぎでは?」


 側近の将軍が恐る恐る尋ねるが、曹操は冷たく言い放った。


​「恐怖を刻み込め。二度と私に刃向かえぬよう、徐州の草一本残すな。……父上の死を無駄にはせん。この悲しみを糧に、私は覇道を進む」


​ その目には、涙など一滴もなかった。あるのは、天下を呑み込むどす黒い野心だけ。


​ 城壁の上。


 俊樹は神剣『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』の柄に手をかけた。


​「来るぞ……! 曹操軍の主力、夏侯惇(かこうとん)、夏侯淵(かこうえん)だ!」


​ ドラが鳴り響く。


 復讐という名の侵略戦争。


 徐州の運命を懸けた、血で血を洗う攻防戦が始まろうとしていた。

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