第19話 神VS鬼神、愛憎の果て
「貂蝉(ちょうせん)を……返せェェェェ!!!」
虎牢関(ころうかん)の空が、物理的な圧力で歪んだ。
主君である董卓の首を刎ね、その返り血で全身を赤く染め上げた呂布奉先(りょふほうせん)が、地獄の釜の底から這い出した悪鬼の形相で突っ込んでくる。
愛馬・赤兎馬(せきとば)の蹄が大地を削るたび、爆発のような砂煙が舞う。
その殺気は、戦場にいる数万の兵士の心臓を、ただそれだけで止めてしまいそうなほど濃密だった。
「ひ、ひぃぃぃ! 逃げろ、殺される!」
「味方だぞ!? 我々は董卓軍の……ぎゃあああ!」
呂布は進路上の人間を識別していなかった。
連合軍の兵はおろか、逃げ遅れた自軍の兵士さえも、愛馬の蹄で踏み砕き、方天画戟(ほうてんがげき)の一振りで肉片へと変えていく。
彼はもう将軍ではない。愛欲と憤怒に狂った、制御不能の災害だった。
「来るぞ! 総員、構えろォ!!」
張飛の怒号が響く。
劉備、関羽、張飛の三兄弟が、陣形の最前線で仁王立ちした。
「おうよ! 待ちくたびれたぜ、この『三姓家奴(さんせいかど)』がァ!!」
張飛が雷のような咆哮を上げ、自慢の蛇矛(だぼう)を全力で突き出す。岩をも砕く必殺の一撃。
対する呂布は、減速すらしなかった。
「雑魚がッ!!」
ガギィィィィィィンッ!!!
金属音が鼓膜を破壊するほどの衝撃波を生む。
怪力無双で知られる張飛の体躯が、馬ごと枯れ葉のように十メートル以上も後退させられた。虎口(親指と人差指の間の水かき)が割れ、鮮血が滴る。
「ぐっ……!? なんだこいつ、山でも振ってきやがったか!?」
「益徳(えきとく)、下がるな! 挟撃するぞ!」
張飛が崩された隙を狙い、関羽が青龍偃月刀を振るう。
神速の横薙ぎ。八十二斤の重量が乗ったその刃は、鉄の柱すら両断する威力がある。
だが、呂布は赤兎馬の手綱をわずかに引くだけで、紙一重でそれを回避。あろうことか、体を回転させながら画戟の柄で関羽の脇腹を殴りつけた。
ドゴォッ!
「ぬぐっ……!?」
「遅い! 止まって見えるわ!」
関羽が呼吸を詰まらせる。
そこに劉備が双股剣(そうこけん)二刀流で斬り込むが、呂布は嘲笑いながら片手でそれを弾き飛ばし、赤兎馬の巨体で劉備を突き飛ばした。
「兄上!」
「虫ケラが群れるな! 俺が見ているのは貂蝉だけだァ!」
劉備、関羽、張飛。
一騎当千の英雄三人が束になっても、足止めすることすらできない。
呂布の瞳は、俊樹の背後にいる貂蝉だけに固定されていた。その執着、その愛憎。狂気が彼の肉体リミッターを完全に破壊し、生物としての限界を超越させていた。
その光景を見て、連合軍本陣に激震が走る。
「ば、馬鹿な……関羽と張飛が、赤子のようにあしらわれているだと?」
「あれは人間ではない! 神だ、荒ぶる鬼神だ!」
兵士たちがパニックに陥りかけたその時、一人の男が声を上げた。
「――狼狽(うろた)えるな!」
曹操孟徳(そうそうもうとく)だった。
彼は愛刀『倚天(いてん)の剣』を抜き放ち、周囲の諸侯を睨みつけた。
「あれをここで野放しにすれば、我々全員が殺される! 奴はもう軍人ではない、ただの殺戮獣だ! 全軍で叩き潰せ!」
「し、しかし……」
「行かぬなら、私がやる! 『江東の虎』よ、遅れるな!」
曹操が馬を飛ばす。それに呼応するように、孫堅(そんけん)も古錠刀(こていとう)を抜いて叫んだ。
「曹孟徳に後れを取るな! 我が孫家の武勇を見せつけよ!」
曹操軍の猛将・夏侯惇(かこうとん)、夏侯淵(かこうえん)。
孫堅軍の程普(ていふ)、黄蓋(こうがい)。
中華に名だたる英傑たちが、一斉に呂布へと殺到した。
歴史上ありえない、オールスターによる対呂布包囲網。
十数人の猛将が、全方位から呂布を囲んで刃を突き立てる。
「死ねぇぇぇ呂布ッ!」
「その首もらった!」
無数の刃が呂布を襲う。
だが、呂布は狂ったように高笑いした。
「ハハハハハハ! 足りぬ! 足りぬわ! 貴様ら全員合わせても、俺の小指ほどの価値もない!」
ブォンッ!!
呂布が方天画戟を頭上で旋回させた。
それだけで巨大な竜巻が発生し、夏侯惇たちの攻撃が軌道を逸らされる。
「消えろォッ!!」
薙ぎ払われた一撃。
夏侯淵の槍が折れ、黄蓋の盾が砕け、孫堅が落馬する。
曹操が倚天の剣で受け止めるが、その衝撃で腕の骨がきしむ音がした。
「くっ……! 噂以上か……!」
「曹操殿、下がって!」
曹操が追撃を受けそうになった瞬間、俊樹が割って入った。
――権能解放。『スサノオ(暴風)』。
圧縮した空気の壁を展開し、呂布の画戟を受け止める。
だが、バリンッという音と共に、空気の壁が硝子のように粉砕された。
「小賢しい術を使うネズミめ! 貴様が元凶かァ!」
呂布の視線が、曹操たちから俊樹へと移る。
その瞬間、世界が重くなった。
比喩ではない。呂布の放つ殺気が濃すぎて、呼吸すら困難になる。
「俊樹さん、援護します!」
玲花が動いた。
吸血姫の超加速。赤い残像を引き連れ、呂布の死角である真上から急降下攻撃を仕掛ける。爪は鋼鉄をも引き裂く鋭さを帯びている。
だが、呂布は「見ずに」空中の玲花を画戟の柄で迎撃した。
バキィッ!
「きゃあっ……!?」
玲花の体が、砲弾のように弾き飛ばされ、城壁に叩きつけられた。背骨が折れる嫌な音が響く。眷属の再生能力があるとはいえ、数秒は動けないダメージだ。
「玲花!」
「ハエが。……さあ、そこにいるんだろう? 俺の愛しい女よ」
呂布が笑う。
血と脂にまみれた顔で、遠くにいる貂蝉に向けて手を伸ばす。
「返せ。俺のモノだ。邪魔する奴は、神だろうが仏だろうが皆殺しだ」
その姿に、戦場の誰もが絶望した。
勝てない。
戦術も、数も、権能(チート)さえも、この圧倒的な「個」の暴力の前には無力なのか。
「……上等だ」
俊樹は一歩前に出た。
恐怖で足がすくみそうになるのを、怒りでねじ伏せる。自分の女と仲間を傷つけられ、ここで引けるか。
「曹操殿、兄上たち。一瞬でいい、奴の注意を引いてくれ」
「何をする気だ俊樹!?」
「奴の正面から、俺が抉じ開ける!」
俊樹は剣を構え、深く腰を落とした。
体内にある『神の力』を、限界まで練り上げる。
――権能解放。『タケノミカヅチ(武の神)』・最大出力(オーバーロード)。
――並列起動。『ホノイカヅチ(火と雷の神)』。
俊樹の全身から青白い雷光が噴き出し、剣にプラズマが纏わりつく。髪が逆立ち、瞳が黄金色に輝く。
「いけぇぇぇ、俊樹ッ!」
劉備たちが捨て身で呂布に突っ込む。
呂布がそれを鬱陶しそうに払いのけた、その一瞬の隙。
俊樹は雷光となって翔けた。
「神だろうが鬼だろうが、俺の前で調子に乗るなァッ!!」
稲妻の如き速度での刺突。
呂布が反応し、画戟を盾にする。
バヂヂヂヂヂッ!!
雷撃が呂布の体を焼こうとする。だが、呂布はなんと「気迫(オーラ)」だけで雷を弾いた。
筋肉を鎧のように硬直させ、電気を通さない。物理法則を超越したデタラメな強さ。
「ぬんッ!」
呂布が咆哮と共に、画戟を全力で叩きつけた。
俊樹は雷を纏った剣で受け止める。
神の力と、最強の人間の力が衝突する。
拮抗したのは、ほんの数秒だった。
バキィィィィィンッ!!!!
乾いた音が、戦場に響き渡った。
俊樹の手の中で、鋼鉄の剣が無惨にも粉々に砕け散った。
呂布の膂力(りょりょく)と、方天画戟という名器の重さに、量産品の剣が耐えきれなかったのだ。
「――しまっ……!」
「終わりだァ! 虫ケラ!」
丸腰になった俊樹の脳天へ、呂布の刃が振り下ろされる。
スローモーションの世界。
劉備の叫び声も、玲花の悲鳴も、遠くに聞こえる。
死ぬ。
ここで、俺の覇道は終わるのか?
(……いや、ふざけるな)
俊樹の魂が拒絶した。
こんな理不尽な暴力に屈して、愛する女を奪われてたまるか。
(この化け物を殺すには、人の作った鉄屑じゃ届かない。なら――)
俊樹の胸元の勾玉が、かつてない熱量で脈打った。
内なる神が、俊樹の「殺意」と「守る意志」に応える。
嵐を呼べ。風を統べよ。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から出でし、至高の神剣をここに!
――権能昇華(レベルアップ)。『スサノオ』・第二段階解放。
「来いッ! 『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』!!」
ゴオオオオオオオオッ!!
突如、俊樹の手元に暴風が渦巻いた。
大気が圧縮され、白銀の光となる。
それは剣の形をしていたが、実体は「嵐」そのものだった。
「なにッ!?」
呂布の画戟が俊樹の頭に届く寸前、俊樹は虚空から出現した神剣を逆手で抜き放ち、斬り上げた。
カィィィン!!
最強の硬度を誇る方天画戟の分厚い刃が、まるで豆腐のように欠けた。
衝撃で呂布の体が大きくのけぞる。
「馬鹿な……!? 画戟が……俺の力が弾かれただと!?」
「形勢逆転だ、野獣」
俊樹は天叢雲剣を正眼に構え直す。
剣から溢れる神気は、呂布の放つ鬼気すらも切り裂いていく。
手にした瞬間、理解した。この剣は風を操るだけではない。大気の流れを支配し、あらゆる抵抗を無効化する「絶対切断」の概念すら帯びている。
呂布の顔が、驚愕から屈辱、そして激怒へと変わる。
「小細工をォォォ! 武器が変わった程度で、最強の俺に勝てると思うなァ!」
呂布が獣のように吠えた。
欠けた画戟に全精力を込め、乱れ打ちを放つ。
一撃一撃が城壁をも砕く必殺の威力。音速を超える連撃。
だが。
「――遅い」
俊樹には、見えていた。
風が、呂布の動きを教えてくれる。大気が、呂布の筋肉の収縮を伝えてくる。
俊樹は最小限の動きで画戟を躱し、弾き、いなしていく。
「なぜだ! なぜ当たらん!」
「お前は力に頼りすぎた。風の流れが見えていない」
俊樹が踏み込む。
神剣が唸りを上げる。
――『スサノオ(暴風)』×『タケノミカヅチ(雷)』融合。
――神技『天雷・一刀両断』。
俊樹の姿が雷光と化し、呂布の嵐のような連撃の「隙間」を縫って懐に入り込む。
呂布の目が驚愕に見開かれた。
「貴様ァッ!?」
「地獄で己の弱さを呪え」
ズバァァァァァァァッ!!!
白銀の閃光が、呂布の胴体を袈裟懸けに切り裂いた。
最強の鎧も、鍛え上げられた鋼の肉体も、神剣の前には薄紙同然だった。
同時に、呂布が防御しようとした方天画戟の柄も、真っ二つに断ち切られる。
「が……ぁ……?」
呂布の動きがピタリと止まった。
胸から腹にかけて、赤い線が走る。
遅れて、大量の鮮血が噴水のように噴き出した。
「馬鹿、な……俺は、最強の……呂布奉先だぞ……!?」
呂布は膝から崩れ落ちた。
心臓を両断されてなお、彼は虚ろな目で、遠くにいる貂蝉へと震える手を伸ばした。
「貂蝉……俺の、貂蝉……なぜ、だ……」
力こそ正義。強さこそ全て。
そう信じて生きてきた最強の男は、自分より弱いと見下した男に敗れた理由が、最期まで理解できなかった。
その手は貂蝉に届くことなく、泥の中に落ちた。
ドォォォン……。
巨体が倒れる音が、戦場の終わりを告げた。
一瞬の静寂。
そして、連合軍から爆発的な歓声が上がった。
「た、倒したぞぉぉぉぉ!!」
「呂布が死んだ! あの化け物を、一騎打ちで討ち取ったぞッ!!」
俊樹は荒い息を吐きながら、手の中の天叢雲剣を見つめた。
神剣は消えることなく、確かな質量を持ってそこに存在し続けていた。暴風のオーラは収まり、今は静謐な白銀の輝きを放っている。
それは俊樹を新たな主と認め、この乱世を共に往くことを誓っているようだった。
「俊樹さん……!」
再生した玲花が駆け寄り、俊樹の体を支える。
貂蝉も泣きながら飛び込んできた。
「俊樹様……! 無茶です、死んでしまったらどうするのですか……!」
「ああ、死ぬかと思ったよ。……でも、これで君は自由だ」
俊樹は二人の美女を抱き寄せ、足元の最強の屍を見下ろした。
魔王・董卓と、鬼神・呂布。
二つの巨悪を葬り去ったその背中を見つめる曹操や劉備たちの目には、尊敬と共に、底知れぬ畏怖の色が宿っていた。
「……行ったか、怪物め」
曹操がポツリと呟く。
燃え盛る虎牢関を背に、新たな覇者が産声を上げた瞬間だった。
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