第5話 英雄集う街

幽州・涿郡(たくぐん)の城下町は、むせ返るような熱気と活気に満ち溢れていた。


 道幅の広い大通りには、肉まんや酒を売る屋台が立ち並び、威勢のいい呼び込みの声が飛び交っている。村の静けさとは別世界の喧騒に、玲花は目を白黒させていた。


​「わあ……すごい。こんなに人がいっぱい……」


「はぐれないようにね」


​ 俊樹が差し出した手を、玲花はギュッと両手で握り返す。


 玲花は俊樹が買い与えた桃色の絹の着物を身にまとっていた。風呂に入り、髪を整え、上質な服を着た彼女は、すれ違う男たちが思わず振り返るほどの可憐な美少女に変貌していた。


 男たちの視線を感じるたび、玲花は俊樹の背中に隠れるように身を寄せる。その仕草が、俊樹の庇護欲を心地よく刺激した。


​(さて、そろそろイベント発生の時間かな)


​ 俊樹は記憶にある「あの場面」を探して、広場の方へと歩を進めた。


 広場には、一際大きな人だかりができていた。


 官軍による『黄巾賊討伐・義勇兵募集』の高札だ。


​ その高札の前で、一人の男が深くため息をついていた。


 身の丈七尺五寸(約173cm)。膝まで届きそうな長い腕、そして自分の耳を目で見ることができるほど大きな耳たぶ。高価ではないが品のある身なり。


​(間違いない。劉備玄徳だ)


​ のちの蜀漢(しょくかん)の初代皇帝。仁徳の君主。


 俊樹がその姿を確認した、その時だった。


​「おい貴様! 何を辛気臭いツラしてやがる!」


​ 雷が落ちたような怒鳴り声が響いた。


 人混みをかき分けて現れたのは、身の丈八尺(約184cm)、虎のような髭を蓄え、丸い目をした大男だ。


 張飛益徳。


​「国が乱れているのに、刀を取って戦おうともせず、ため息をつくだけか! 腑抜けめ!」


​ 張飛が劉備に掴みかからん勢いで詰め寄る。

 周囲の野次馬たちが、喧嘩かとざわめき始めた。


​「待たれよ」


​ そこへ、割って入る巨漢がもう一人。

 身の丈九尺(約207cm)、顔は熟したナツメのように赤く、見事な長い髭を胸元まで垂らしている。


 関羽雲長。


​「この御仁にも考えがあってのことだろう。公衆の面前で騒ぐものではない」


​(役者が揃ったな……)


​ 俊樹はニヤリと笑った。歴史的な邂逅(かいこう)だ。


 だが、ここでただ見ているだけでは物語の観客に過ぎない。


 俊樹がどう介入すべきか思考を巡らせた瞬間――異変が起きた。


​ 野次馬の騒ぎに乗じて、目つきの悪い数人の男たちが、劉備たちの背後から忍び寄っていたのだ。彼らの狙いは、張飛の腰にぶら下がっている金袋。

 黄巾の残党か、ただのゴロツキか。


 スリの一人がナイフを隠し持ち、張飛の帯を切ろうと手を伸ばす。張飛は劉備への文句に夢中で気づいていない。


​(……害虫がいるな)


​ 俊樹の瞳から、スッと感情の光が消えた。


 つないでいた玲花の手を、優しく離す。


​「玲花ちゃん、ちょっと待ってて」


「え? 俊樹さん?」


​ 俊樹は地面を蹴った。


 『アメノタヂカラ』の権能を足に集中させる。筋肉が躍動し、視界が一瞬で流れる。


 次の瞬間、俊樹はスリの男の背後に立っていた。


​「――人の物を盗るには、手癖が悪すぎるな」


​ 俊樹はスリの手首を掴むと、躊躇なく、木の枝を折るように逆方向へねじり上げた。


​ ボキリッ。


​ 湿った、嫌な音が響く。


​「ぎゃあああああああ!!」


​ 男の絶叫が広場の喧騒を切り裂いた。


 手首があらぬ方向に曲がり、骨が皮膚を突き破って白く露出している。


 突然の悲鳴に、劉備、関羽、張飛の三人が一斉に振り返った。


​「な、なんだテメェ!」


​ 仲間のゴロツキ二人がナイフを抜いて俊樹に襲いかかる。


 だが、俊樹の表情は氷点下のままだった。


​「邪魔だ」


​ 一閃。


 俊樹は奪い取った男のナイフで、襲いかかる二人の大腿部(だいたいぶ)を正確に切り裂いた。


 ただ斬るのではない。太ももの太い血管と筋肉を深々と断つ、再起不能の一撃。


​「あぐっ……!」


​ 一瞬で三人の男が血の海に沈んだ。

 手首を折られた男はのたうち回り、足を斬られた男たちは大量の血を流してピクリとも動かなくなった。


 俊樹は血の付いたナイフを無造作に放り捨てると、懐からハンカチを取り出して手を拭いた。その動作は優雅ですらあり、周囲の人間を戦慄させた。


​ 俊樹は振り返り、呆然としている三人の英雄に向かって、先ほどまでの冷徹さが嘘のような、人懐っこい笑顔を向けた。


​「驚かせてすみません。背後からネズミが狙っていたので、つい駆除してしまいました」


​ そう言って、張飛の金袋を指差す。

 張飛は自分の腰を見て、切られかけた帯に気づいた。


​「おおっ! こいつら、俺の財布を狙ってやがったのか! ありがとよ兄ちゃん! いやあ、危ないところだった!」


​ 張飛は豪快に笑い、俊樹の背中をバンバンと叩いた。細かいことは気にしない性格のようだ。


 一方、関羽は長い髭を撫でながら、鋭い眼光で俊樹を見定めている。


​「……見事な手際だ。一瞬で三人を制圧するとは。ただの若者ではないな」


​ そして劉備は、俊樹の奥底にある何か――優しさと、背筋が凍るような冷酷さの同居――を感じ取ったのか、穏やかながらも真剣な眼差しを向けた。


​「助かりました。私は劉備、字(あざな)を玄徳と申します。貴方のお名前は?」


「佐藤俊樹です。旅の途中なんですが……この乱世、悪い虫が多くて困りますね」


​ 俊樹はニコリと笑い、怯えて待っていた玲花を手招きした。


 玲花が小走りで駆け寄り、俊樹の腕にしがみつく。


​「と、俊樹さん……」


「大丈夫、怖くないよ。ただのゴミ掃除だ」


​ 俊樹は玲花の頭を撫でて落ち着かせると、劉備たちに向き直った。


​「ところで皆さん。ここで立ち話もなんですし、少し酒でも酌み交わしませんか? 実は僕も、この義勇兵募集を見て思うところがありまして。……あ、もちろん代金は僕が持ちますよ。悪い虫から駆除代金をたっぷり頂きましたので」


​ 俊樹は茶目っ気たっぷりに、懐に入った大量の銅銭(盗賊から奪った資金)を鳴らしてみせた。


 張飛が目を輝かせた。


​「おお! いいねえ! 話のわかる兄ちゃんだ! 俺も喉が渇いてたところだ! 劉備といったか? お前も来い! 面構えは気に入らねえが、話くらいは聞いてやる!」


「ふむ……それも一興か」


​ 関羽も頷く。

 劉備は苦笑しながらも、俊樹という不思議な青年に興味を持った様子で同意した。


​「わかりました。では、あちらの酒楼へ参りましょう」


​ 歴史を動かす三人の英雄。


 そして、そこに混じった異世界からの来訪者と、彼を慕う美少女。


 有名な『桃園の誓い』の前夜、運命の歯車が大きく動き出した。

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